はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

学年誌「小学二年生」休刊に一抹の寂しさ

2016年10月06日 | 日々のよしなしごと
 この度の「小学二年生」の休刊を以て、小学館の学年誌が「小学一年生」のみを残して、全て休刊になることを知って驚いている。

 休刊のニュースに、昔、町の小さな本屋の娘として店番や、お得意さんの元へ定期購読誌の配達(それを条件に、当時皆がこぞって買い求めた自転車を、親に買って貰った。しかし、当時流行った友達が持っているような優美なラインの物ではなく、昔ながらの実用一点ばりのタイプ)をしていた者としては、小学館の学年誌と共に育った思い出も相俟って、一抹の寂しさを禁じ得ない。

 小学生の頃から投稿魔nikoであった私は、地元のローカル紙の読者欄に投稿しては謝礼の図書券を得て、隣町の大型書店で好きな本を手に入れたり、小学館の学年誌にも「ドラえもん」の似顔絵等を投稿して、そこそこ絵が上手かったこともあって高い確率で掲載され、ある時は賞品にドラえもんバッジを貰ったと記憶している。

 5年生の時には作文が何らかの賞を獲って、「小学五年生」に掲載されたのがきっかけで、秋田県の女の子と文通が始まり、思いがけず10年以上も続いた。それぞれが成長し、秋田の彼女が上京して世田谷の赤堤に住んだ頃まで文通は続いたのだけれど、互いに社会人になると、いつの間にか途絶えてしまった。同い年の彼女は今はどうしているのだろう?

 文通は秋田の彼女からの突然の申し出であった。実家の本屋で切手やハガキも扱っていたので、彼女が送った最初の手紙は、なんと町名だけで私のもとに届いた。彼女は「小学五年生」に掲載された私の作文に感動して、私と文通したいと思ってくれたらしい。

 当時は今と違って、個人の主な通信手段は手紙か電話で、特に手紙は国内外で文通が盛んに行われた時期であったと思う。相手からの手紙を待つ間の、あの待ち遠しい気持ちは、今のEメールやLINEでのやりとりでは味わうことのないものだろう。今に比べれば、随分とのんびり、ゆったり時間が流れた時代であった。

 私は自分が書いた文章は10冊以上に及ぶ日記や学年ごとの文集をはじめ、さまざまなメディアに掲載されたものまで全て保存していたつもりだが、結婚後暫く実家に置いて後から取り寄せるつもりでいたら、私の知らない間に部屋を引き継いだ末妹が勝手に処分してしまった。

 その中には、秋田の彼女との縁を結んでくれた「小学五年生」もあった。全て失ったことを知って凄く落胆したのを今でも覚えている。今、思い返しても、残念で仕方がない。なぜなら綴った文章のひとつひとつが、自分が何を見、経験し、どう感じ、何を考えたのかが記録された、自分の"歴史"のようなものだからね。

 学年誌の衰退は、時代が変わり(記事によれば、ちょうど私が講読していた1970年代が、発行部数のピークであったらしい)、子ども達の趣向も変わり、それに学年誌が適応できなかった結果なのだろうけれど(大人向けの雑誌でさえ部数減で休刊が相次いでいるから、人々が従来の形の雑誌と言う媒体に興味を失ってしまったのだろう。雑誌にとって代わったのは巷間で言われるようにネットか?)、なくなってしまうのは本当に寂しい。今の子ども達は将来、何を以て自分の子ども時代を振り返ることが出来るのだろうか?やっぱりゲーム?
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