はなこのアンテナ@無知の知

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テロの世紀

2015年11月18日 | 気になったニュース
 20世紀は「戦争の世紀」と言われたけれど、 21世紀は後に「テロの世紀」と言われるのだろうか?

 「国家」対「国家」ではなく、「思想」対「思想」、「宗教」対「宗教」の争いが国境を越えて展開する。顕在化した「価値観」の対立、「民族間」対立は、異質な者に対する寛容性の欠如(今の時代の空気?)から起きているのだろうか?

 さらには、これまで長きに渡って続いて来た「欧米中心主義」と言う国際社会の在り方に、異を唱える勢力の宣戦布告とも言えるのかもしれない

 正直、その印象が拭えないので「世界の連帯」と言う言葉には、どうしても違和感を覚えてしまう。今までにもテロは様々な国・場所で起きて来た。それなのに、なぜ、フランスで起きたら、「世界の連帯」を叫ぶのか?相手がISだからか?(もちろん、ISはイスラム教徒を装った、とんでもない極悪集団である。10月にはトルコのアンカラで、そのISメンバーの自爆テロにより100人近い死者が出たが、その時には「世界の連帯」の声は聞かれなかった。同じISが引き起こしたテロで、トルコとフランスの何が違うのか?)

 対テロ攻撃にしても、テロはボーダーレスに展開し、「聖戦<ジハード>」のスローガンの下、自爆も厭わぬ相手がゲリラ戦を仕掛けて来るのだから、従来の軍隊や警察の戦い方では対処できないのではないか?

 現在行われている空爆にどれだけの効果があると言うのか?降り注ぐ爆弾の下で、ゲリラ以上に"敵国民でもない"無辜の民が多く負傷し、死んでいるのではないか?ISの支配下にあるシリア・イラクの国民は二重三重の恐怖に喘いでいる。

 従来の「勝ち戦<イクサ>のセオリー」が通用しない時代。予測のつかないISの動き。

 いつなんどき、どこで起こるか分からない恐怖が世界を覆う。

 双方の戦いが激化すればするほど、「死の商人」の高笑いが聞こえて来るようで、心底腹が立つ。その「死の商人」とやらは、狡猾な個人かもしれないし、冷酷無比な組織かもしれない。或いは"人命より金"を尊ぶ企業や羊の皮を被った狼国家かもしれない。

 この不毛な戦いを終わらせる為に、世界中の良心と叡智を持った人々が集い、何か良案を出せないものか?それこそボーダーレスたるインターネットは、今こそその道具として役立てられないのだろうか?(現状はインターネットのボーダーレス性が、憎悪や対立感情の拡散等、世界をマイナスの方向へと導いているように見えて仕方がない)

 …と、極東の島国の片隅で、凡庸で無力な人間は思う。

 
 尤も、自分も人類の一員であることを棚に上げて冷めた見方をすれば、増え過ぎた「ヒト」と言う種が、本能的に総量調節をしているだけなのかな、とも思う。現状、人類は地球上でやりたい放題に母なる地球を痛めつけ、他の種の存在まで脅かしているのだから。これを機に人類社会が衰退の一途を辿ったとしても、自業自得な気がする。私達は、自分で自分の首を絞めているだけなのかもしれない。

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