はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

(6)ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

2009年11月24日 | 映画(2009-10年公開)
 昨日、夫と映画を見た。小池徹平主演の『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』と言う長たらしいタイトルの映画だ。中学時代に受けたイジメをきっかけに8年間自室に引きこもり状態にあった若者が、一念発起して就活したものの、よりによって労働基準完全無視の所謂「ブラック会社」に就職してしまった顛末を、面白おかしく描いている。原作者の実体験に基づく実話らしい(←どうも2ch発らしい)

 全編ブラックなユーモアに包まれているが、お笑いタレント品川ヒロシ演じるゴーマンなリーダーが、何かにつけ「バーカ」を連発するのが正直不快だった。お笑いタレントにゴーマン役を配して笑いを取る狙いらしいが、それで人を人と思わないそのゴーマンさが薄まるわけでもない。人を蔑ろにしている本質は変わらないのだ(ただし、常々書いているように、他人に対して威圧的な態度を取るのは、自分の自信のなさの裏返しだったりするものだ。「暴言」は自分の弱さをひた隠す為の鎧のようなもの?!)。「何が何でも納期を守ります」と言うリーダーの姿勢は、かつてのモーレツ社員の名残りなのかもしれないが、怒鳴って、脅して、人が動くわけがない。

 本作ではIT業界のピラミッド構造の底辺に位置するソフト製作会社の劣悪な就業環境が辛辣に描かれているが、ピラミッドのより上位に位置する発注会社の無謀な納期設定で、何日も続く徹夜作業を強いられる(←業界用語で”デスマ”=Death Marchと言うらしい)姿が気の毒だ。しかし、そんな中でも(半ばヤケクソで?!)仕事をやり遂げる主人公。

 劇中劇としてしばしば登場する戦場での戦闘服姿は、そのままIT業界の底辺で働く彼らの立場を表している。「ソルジャー」とは、仕事の前線で働く実動部隊要員を指す隠語で、管理部門の人間が実動部隊の人間に対して、ある種の侮蔑を込めた呼称である。主人公の仕事への直向きさは、そうしたソルジャーとしての立場を甘受してまでも、過去の弱かった自分と決別しようとする彼の覚悟のようなものが見えて、同じ年頃の息子を持つ身には感涙もの。

 「NEET」であろうが、「中卒」であろうが、本人に自分を変えたい、変わりたいと言う強い意志があれば、途中いろいろ困難はあっても人は変われるのである。逆に「NEET」や「中卒」を理由に人を侮蔑し、その努力を嘲笑う人間の方こそ、人の在り方としては醜悪だと思う。

 子ども社会にも、大人社会にもはびこる、こうした差別やいじめの構造には根深いものがある。同じグループに属するメンバーの中で、自らが少しでも優位に立ちたいと思う人間がいる限り、いじめはなくならないだろう。そういう人間は常に同じグループ内のメンバーの差異に敏感で、それをいじめの材料にするものだ。一方で、そうした人間のアグレッシブさは社会を活性化させるエネルギー源となるのも事実。「霊長類」と自負してみても、所詮人間も「弱肉強食の世界」に生きる動物と変わらないと言うことだろうか?となれば、「いじめられっ子」は自ら強くなるしかない(もっとも根っからの悪人や冷血人間は、そうそういないと思うが…自分の行いを時々省みる謙虚さは持って欲しい)

 本作で次々と主人公に立ちはだかる壁は、顧みれば彼の人間的成長を促す課題だった。そして壁の前で苦悩する彼を支えたのもまた、人であったのだ。良き先輩の励ましの言葉が彼を支え、前へ進むよう導いた。こうした人との出会いは、主人公が自室から外へ一歩踏み出して初めて可能だったと言える。とどのつまり、自分で動き出さなければ、状況は何も変わらないと言うことなのだろう。本作は、ブラック会社の実態を描いた暴露話の体裁を取りながら、その実なかなか一歩を踏み出せない若者への応援歌、とも言うべき作品なのかもしれない。

 「君はなぜ働くんだ?何の為に働くんだ?」~その問いに対する答を、主人公は彼なりに導き出したようだ。

 



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