青空の下のプチトマト
何とまあ、2週間ぶりのプチトマト観察レポートです。その間も私はプチトマトに水をやり、観察し、写真を撮り、収穫し、味わって来ました。プチトマトはグングンと背丈を伸ばし、あっさりと支柱の丈を越えて、今では180cmに達しています。外出先から自宅マンションに戻って来ると、ベランダの手すりから大きくはみ出したプチトマトが「おかえり~」と迎えてくれているようで、何だか嬉しくなります
それにしても、おそらくこれまでの観察日記で、これほどまでに爽快な青空の下でプチトマトを撮影したことはないでしょう。私の心まで晴れ晴れするような、澄み切った空を背景に、我が家のプチトマトはいつにも増して輝いて見えます(←ハハハ…自画自賛系)。
今朝、実の数を数えてみると、生まれたばかりの小さな実も加えて、なんと40個近くありました。肥料(栄養分?)が足りないのか、個々の生育状況は今ひとつ。色づき始めた実の大きさが全体的に小さめです。しかし実際に食べてみると、サイズは小さめでも、味はプチトマトらしい程よい酸味と甘みで、市販のプチトマトと比べても何ら遜色はありません。
以前も書いたように、その熟成は劇的で、前日まで青かった実にほんのり赤みが差したかと思ったら、その後は一気に真っ赤に色づきます。写真のプチトマトも、このところの猛暑が後押しして、明日には真っ赤になっているでしょう。
ところで、市販のプチトマトなら躊躇なくドレッシングで味付けできるのに、こと我が家のプチトマトにだけは何も付け足したくない(笑)。素のままの味わいを大事にしたい思いが強く、最近は朝水やりの時に真っ赤に熟した実を1~2個もいで、ササッと水で洗って、そのまま食べてしまうことも。夏の発汗で失われやすいミネラル分の補給に、もってこいでしょうか?
下の2枚の写真は、かつて君臨した2つのプチトマ軍団の末っ子達の近況(8月13日撮影)。どちらも既に私達の胃の中に収まってしまいました。結局ひとつは、小さなままに完熟してしまいました。
日に照らされて色艶が増して見えるプチトマト。これまで何個、何十個と見てきたのに、見飽きることがありません。実のひとつひとつに紛れもない命の輝きを感じるからでしょうか。当然ながらひとつとして同じものはなく、同じ実でも日ごとに違う姿が私を魅了します。
プチトマトの葉は、木の下半分はすっかり枯れ落ちてしまい、上半分だけが繁茂しています。もしかしたら日照不足のせいかもしれません。日照を求めて上へ上へと伸びて行くプチトマト。自ずと日があまり届かない下の部分は貧相になって行きます。我が家はマンションの中層で、時折襲う強い南風からプチトマトを守るべく、壁際に鉢を寄せざるを得なかったのですが、あまりにも頭でっかちなアンバランスぶりに、正直なところ全体像を撮すのは忍びない。
それでも次から次へと花が咲き、たわわに実をつけているのですから、健気ですね。
昨日、ある方の観察日記ブログを拝見すると、苗の植え付けから枯れるまでの一連の写真が1ページに納められていましたが、命を終えて枯れてしまったプチトマトの姿に、我が家のプチトマトの行く末を思い、悲しくなりました。全ての命は終わりがあるからこそ、「生」の輝きがあるのだと理解はしているのですが…
残り少ないであろうプチトマトとの蜜月を、精一杯楽しみたいと思います。
何とまあ、2週間ぶりのプチトマト観察レポートです。その間も私はプチトマトに水をやり、観察し、写真を撮り、収穫し、味わって来ました。プチトマトはグングンと背丈を伸ばし、あっさりと支柱の丈を越えて、今では180cmに達しています。外出先から自宅マンションに戻って来ると、ベランダの手すりから大きくはみ出したプチトマトが「おかえり~」と迎えてくれているようで、何だか嬉しくなります
それにしても、おそらくこれまでの観察日記で、これほどまでに爽快な青空の下でプチトマトを撮影したことはないでしょう。私の心まで晴れ晴れするような、澄み切った空を背景に、我が家のプチトマトはいつにも増して輝いて見えます(←ハハハ…自画自賛系)。
今朝、実の数を数えてみると、生まれたばかりの小さな実も加えて、なんと40個近くありました。肥料(栄養分?)が足りないのか、個々の生育状況は今ひとつ。色づき始めた実の大きさが全体的に小さめです。しかし実際に食べてみると、サイズは小さめでも、味はプチトマトらしい程よい酸味と甘みで、市販のプチトマトと比べても何ら遜色はありません。
以前も書いたように、その熟成は劇的で、前日まで青かった実にほんのり赤みが差したかと思ったら、その後は一気に真っ赤に色づきます。写真のプチトマトも、このところの猛暑が後押しして、明日には真っ赤になっているでしょう。
ところで、市販のプチトマトなら躊躇なくドレッシングで味付けできるのに、こと我が家のプチトマトにだけは何も付け足したくない(笑)。素のままの味わいを大事にしたい思いが強く、最近は朝水やりの時に真っ赤に熟した実を1~2個もいで、ササッと水で洗って、そのまま食べてしまうことも。夏の発汗で失われやすいミネラル分の補給に、もってこいでしょうか?
下の2枚の写真は、かつて君臨した2つのプチトマ軍団の末っ子達の近況(8月13日撮影)。どちらも既に私達の胃の中に収まってしまいました。結局ひとつは、小さなままに完熟してしまいました。
日に照らされて色艶が増して見えるプチトマト。これまで何個、何十個と見てきたのに、見飽きることがありません。実のひとつひとつに紛れもない命の輝きを感じるからでしょうか。当然ながらひとつとして同じものはなく、同じ実でも日ごとに違う姿が私を魅了します。
プチトマトの葉は、木の下半分はすっかり枯れ落ちてしまい、上半分だけが繁茂しています。もしかしたら日照不足のせいかもしれません。日照を求めて上へ上へと伸びて行くプチトマト。自ずと日があまり届かない下の部分は貧相になって行きます。我が家はマンションの中層で、時折襲う強い南風からプチトマトを守るべく、壁際に鉢を寄せざるを得なかったのですが、あまりにも頭でっかちなアンバランスぶりに、正直なところ全体像を撮すのは忍びない。
それでも次から次へと花が咲き、たわわに実をつけているのですから、健気ですね。
昨日、ある方の観察日記ブログを拝見すると、苗の植え付けから枯れるまでの一連の写真が1ページに納められていましたが、命を終えて枯れてしまったプチトマトの姿に、我が家のプチトマトの行く末を思い、悲しくなりました。全ての命は終わりがあるからこそ、「生」の輝きがあるのだと理解はしているのですが…
残り少ないであろうプチトマトとの蜜月を、精一杯楽しみたいと思います。