はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

「怒り」(日本、2016)

2016年09月22日 | 映画(今年公開の映画を中心に)

 見終わった後にいろいろと考えさせられた。

 社会において、さまざまな事情から自分の居場所を見つけづらい人々、自身のアイデンティティを表明しづらい人々、さらに事件・事故の被害者の苦悩は、結局は当事者である本人やその家族にしか理解できないものなのかもしれない。冒頭から、その切なさが伝わって来る。

 個人的に(人懐こく見えて実は人見知りの私が)痛切に感じたのは、素性を知らない人物を信じることの怖さと難しさだ。近年はSNSによって、以前なら現実世界では接点を持ちえなかった人物と出会う機会も増えただけになおさらだ。

 出会ったばかりの人をどこまで信じ、素の自分をどれだけ相手に見せるのか、その塩梅が難しい。


 八王子の自宅で夫婦が残忍な形で殺害された事件から1年後に、東京、千葉、沖縄に現れた素性不明の3人の男。

 肉体関係を持った男性の住む都心のマンションに転がりこんだ、繊細で儚げな男。
 千葉勝浦の漁港で働き始めた、常に伏し目がちで無口な男。
 沖縄の無人島に住み着いた、風貌むさ苦しいバックパッカーの男。

 その何れもが何か訳アリの雰囲気を湛え、テレビに映し出された凶悪犯に顔つきが似ている。それぞれの地で彼らと出会った人々は、目の前にいる男との関わりを深めて行くうちに、男が指名手配の凶悪犯なのではと疑心暗鬼に囚われ始める…


 ここ数年で、「反社会性人格障害」と言う言葉をしばしば耳にするようになった。この障害を持った人物を一言で表現するなら、「良心を持たない人間」。

 自分の欲望の為なら犯罪も厭わない。弱者への思いやりもなく、他者の温かい心遣いにも嫌悪感しか抱かない(だから親切が仇になる可能性が高い)。人と人が関わり合うことで成立する社会を憎悪し、常に心の内に社会や自分以外の人間に対する怒りを抱え、その怒りを暴力で訴えることに躊躇しない。明確に「悪意」を持った人物である。

 恐ろしいのは、そんな人物が高い知能を有していたり、恵まれた容姿や体格の持ち主である可能性もあるのだ。中には悪知恵を働かせたり、腕力に物を言わせて、人を支配する立場にある人物もいるのだろう。

 そんな人物と運悪く接点を持ってしまったら、私達はどうすれば良いのか?常にどの時代にも一定の割合で存在すると言われる彼らと出会う可能性は、社会で人と関わっている以上けっしてゼロではないのだ。


 一方で「反社会性人格障害者」である凶悪犯が見せた、自ら破たんする(自滅する)生き様には興味深いものがあった。彼(彼女)は幾ら猫を被っても、結局は自らの内にある荒ぶる魂<怒り>を制御できないのだ。

 その本性を知れば誰も彼(彼女)に共感せず、彼(彼女)は社会で孤立するだけだ。

 それは逆説的に、社会の中で他者との誠実な関わりを継続できる限り、人は人として生きて行けるのだと思わせてくれた。

 現実問題として、人知れずさまざまな事情を抱え、素性を隠して、地方でひっそりと、或は都会の喧騒に紛れて暮らす人々は、この日本にも数多くいるに違いない。

 そうした人々も、流れ着いた場所で出会った人々との関わりを拒まない限り、いつしか支え合う関係が生まれ、そこから活路を見いだせるのではないか。そもそも彼らを受け入れるだけの懐の深さをコミュニティも持っていた方が、誰にとっても生き易い場となるはずだ。

 原作者の要望に応えて、現在の日本を代表する演技派を揃えてのオールスターキャスト(+新人1人)で臨んだ本作。その期待に応えての俳優陣の熱演が映画に生々しい実在感を与えて、見る者に容赦なく苦い現実を突きつける。

 後味の悪さに本作への批判的な意見もあるようだが、本作で描かれているのはけっして「怒り」がもたらす「恐怖」や「絶望」だけではないと思う。でも中学生に見せるのは些か刺激が強過ぎて躊躇われるな。

chain映画「怒り」公式サイト

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