はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

就活いまむかし

2014年01月26日 | はなこのMEMO
大学院に通う息子の就活が始まった。親世代の頃とは大きく様変わりしたらしい就活。最近では就活生を持つ親向けの就活セミナーも、大学、地方自治体、或いは民間で開催されているらしい。

今のところ、私はそうしたセミナーに参加する予定はない。息子の就活について、特に親としてサポートをするつもりもない。ただ、息子が幼い頃から彼の自立に向けてさまざまな働きかけはして来たつもりなので、今は成長した彼の頑張りを信じて、見守るだけだ。もちろん、彼から何らかのアドバイスを求められれば、夫と共に精一杯応えてあげたいと思っている。


私の時代(私の出た短大?)は、企業から求人があれば、学内でまず成績によって選抜があり、学内面接を経た選りすぐりの学生のみが、当該企業の採用試験を受験できる仕組みだった。採用試験は一般教養を問う適性テストでまずふるいにかけられ、その後面接で内定の成否が決まった。私は学内選考を経て受験した1社に無事内定をいただけた。民間で受けたのはその会社だけだ(他に国家と地方公務員を受験し、両方受かった)

その会社を選んだのは3つの理由による。技術職であること。東京もしくは大阪勤務のチャンスが与えられること。自分が短大で学んだことも生かせる可能性があること。その時は学内で約50人の応募があり、まず成績で25人に絞られ、そこから学内面接で選抜された10人が採用試験に臨み、適性テストで6人に絞られ、その後面接で4人が内定をいただけた。私の就活は2年生の春頃から始まり、学業に支障を来すこともなく11月頃には終わった。

しかし、現在はどうだろう?基本的にどの学生も学内選抜を経ずに、希望する会社へエントリーシートを送付することができるのだろうか?(息子の話では、採用実績の多い企業への学内推薦制度はあるようだ)。しかもセミナーやら懇談会やらが目白押しで、就活生はそうした会場に何度も足を運ぶ。その為の交通費もバカにならないらしい。エントリーに建前上制限がないからこそ、50社、60社、時には100社にもエントリーしたのに、1社からも内定が貰えない、という学生が出現するのではないか?

報道によれば、大量のエントリーシートを捌くために人事担当者は徹夜が続く一方で、就活生がエントリーシートを提出しても、実質、大学名によって弾かれることが多いと聞く。「偏差値エリートが必ずしも仕事で大成するとは限らない」「無名大学の学生の中に、磨けば光る原石があるかもしれない」という前提で、企業は広く門戸を開いているのかもしれないが、その為に企業と就活生の間で膨大な量のミスマッチが生じ、少なからぬ悲劇を生んでいるのであれば、現行の求人&求職システムに問題があると言えるのではないか?

キツイ言い方かもしれないが、学生は企業に対して強くアピールできる"何か"を持っていない限り、自身の"現時点"での能力、適正をしっかりと見極め、それに見合った企業への就職を最初から目指すべきだろうし(つまり、それ相当のレベルの企業への就職を希望するならば、学生も高校時代に受験勉強に真剣に取り組んでそれ相当のレベルの大学に入学し、入学後もしっかり勉強し、専門知識なりスキルなり、或は資格なりを得るのは当然であろう)、企業は企業で、中途採用枠を拡大させ(今や大手メーカーでも、年々その傾向は強まっているようだ)、卒業後十分な研鑽を積み、優れた職能を獲得した人材を、学歴や学校歴に拘らずに積極的に採用すべきではないのだろうか?人材の流動性を高めて行くことで、学業が苦手だった人間にもチャレンジの機会を与えられれば、企業、求職者の双方にメリットがあるだろう。実際、学業成績が芳しくなかった友人で、社会的に成功した人は何人もいる。その逆のケースも然りだ。

それにしても、TPPの推進で、今後益々日本人が否応なくグローバルな競争に晒されて行く中で、安倍政権の言う、ベア推進による内需拡大で、国内経済の活性化は本当に可能なのだろうか(僅かなベースアップでは、結局増税分で相殺されて焼け石に水だろうしhekomi)?寧ろ、海外とのコスト競争に引き摺られる形で、よほどハイスペックな人材でない限り、大半の日本人の給与収入は下がる一方のような気がしてならない。そして報道にもあるように、就職でも、外国人との競争に晒されることになるのだろう(息子の出た国立大学の博士課程なんて、外国人の比率が高かった。特に中国、韓国。日本では博士課程まで進むと逆に就職の門戸が狭まるから、どんなに優秀でも修士課程で終える学生が多いように思う)。今、改めて日本の人材育成政策が問われているような気がする。

その意味でも『教育』は、国の大事な仕事だと思う。日本政府は日本の将来を担う若い世代の教育に、もっと予算を割くべきだ。現状では、教育費負担を各家庭に依存するあまり、どの地域で生まれたか、どの親のもとに生まれたかで、子供が受けられる教育の質・量共に差が大き過ぎると思う。公教育を充実させない限り、恵まれない家庭の向学心ある子供にとって、今の社会はフェアとは言えない。

国として教育の機会均等を推し進めて個々の能力を高めて行くと同時に、人材の流動性を高めて誰にでもセカンドチャンスを与える柔軟な社会にすることが、今後衰退が懸念される少子化日本が活路を見出すひとつの方策だと思う。息子の就活をきっかけに就活の今昔を比較したら、そんな思いに至った。
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