昨日はボランティア研修で、東京芸大において、銅版画制作をしました。やはり単に情報として知っているより、実際に作品制作をし、一通りの制作工程を知っておいた方が、ギャラリートークでも、より説得力を持って銅版画作品について語れるのではないでしょうか。その意味で、今回の研修は得難い経験でした。今回、素案を企画立案して下さった、ボランティア・スタッフのIさんに、心から感謝したいです。
ここで銅版画についてミニ知識をば。銅版画はその名の通り、銅板を版として用いる版画の技法のひとつです。銅版に刃先が三角刀に似た?ビュランやニードル等で線描し、銅版表面の線描の溝にインクを充たして、紙に写し取るのです。銅版画はさらに、刷る前の銅版をどう処理するかによって、エングレーヴィング、ドライポイント、エッチング、アクアチント、メゾチント等に細かく分類されますが、今回、私はレンブラントが好んで行ったエッチングとドライポイントの技法を用いて作品を作ってみました。
銅版画の起源は1430年頃にライン河畔のドイツに生まれた凹版画と言う説が有力ですが、それ以前に、甲冑に文様を刻む装飾金工技術が、銅版画の生まれる素地となったと言えるでしょうか。この為、当初は銅板ではなく、鉄板が用いられたようです。
そもそも当初は無署名の職人芸としてスタートした銅版画ですが、マルティン・ショーンガウアー(独1430-91)によって技法的に綜合されてのち、アルブレヒト・デューラー(独1471-1528)によって芸術の高みへと押し上げられた、と言われています。そして、レンブラント・ファン・レイン(蘭1606-69)が、銅版画の技法のひとつであるエッチングの、表現技法としての可能性を大きく広げました。その後はスペインの画家、ゴヤやピカソが印象的な銅版画作品を多数残しています。
銅版画家としてはやはりデューラーが圧巻で、彼が得意としたエングレーヴィングという技法は、上述のビュランと言う道具を使って、銅版に線を刻んで行くのですが、今回、試みにビュランを使わせていただいたところ、素人は直線を引くのさえおぼつかない。銅版に対してビュランの刃先が、どの傾斜角度で入るのかが、どうもポイントのようです。彼の代表作《メランコリア》(右上画像)では多彩な線描及び点描技法が用いられていますが、今回の先生の解説によれば、ビュラン1本でこの作品を仕上げたのだそうです。まさに超絶技巧と言えるでしょうか。
さて私にとって、銅版画制作は、もちろん初めての体験です。実は絵をひとつの作品として描くのも、美大1年の時、授業で油彩を描いて以来。絵を描くのは(自分で言うのもなんですが)子どもの頃は割と得意な方で、小学校から中学校にかけて、校内や県レベルのコンクールで20回前後入賞したことがあります。中学生の時には、版画(ドライポイント)作品が、県のコンクールで特選を受賞しました。しかし、中学の半ばから高校にかけては文学に傾倒したので、絵を描くことへの興味が急速に失われてしまいました。特に絵画技法に関して専門の指導を受けたことはないので、描画はあくまでも自己流です。
もちろん、美大に入学してみたら、同じ美術史専攻の学生の中でも、私よりずっと絵の上手い人は幾らでもいました。小論文2つと面接のみの社会人入試と違って、一般入試では実技試験でデッサンも試験科目のひとつなので、一般入試を経た他の学生達は、予備校等で指導を受けていたということもあるのでしょう。それに”現役”バリバリの、ついこないだまで高校生だった子達ばかりでしたしね。美大に入学するまで絵筆を20年近く握ったことのない私とは大違いです。
しかし、今更そんな言い訳めいたことを言うのもみっともないかな。本当に絵が好きならば途中で何があっても描き続けていたであろうし、この、自らが興味を持った事柄に対して、初期の情熱を長きに渡って継続できることこそ、一種の才能とも言えるのではないでしょうか。凡庸と非凡を分けるのは、ひとつには、この資質を持っているか否かなのかもしれません。
(1)下絵を描く
今回は、予め下絵を準備してくるようにとのことだったので、お気に入りの、樹齢4000年とも言われる屋久杉の写真を描写してみました。屋久島で長らく風雨に耐えて生き抜いて来た、節くれ立った老大木の生命感が表現できればなと思いつつ描きました。
しかし、難しい!すべて線描で行う陰影表現はもちろんのこと、複雑な表情を見せる木肌や何百とある葉の描写をどうするか悩みました。実は銅版画はすべてを「線描」で表現する為、「線」が命なのです。後に、この「線」で私は、少し後悔することになります。
(2)下絵をトレーシングペーパーに転写する
下絵をトレーシングペーパーに転写することになりましたが、ドジな私は指定されたサイズを間違えていて、下絵は銅版よりかなり大きめ。そこで一部を割愛することになりました。
どうしたら、作品の持ち味、老大木の生命感を損なわずに、限られたスペースに描き込むか?画面が小さくなる分、モチーフが画面の中で、より大きく描かれることになるので、指導して下さったS先生は、「意外に、その方が迫力が出るかもしれませんね」と仰って下さいました(ここからが私のドジ・ストーリーの始まり)。
(3)トレーシングペーパーから銅版へ下絵を転写する
(4)転写された下絵に従って、ニードルを使って、銅版を彫り込んで行く
(5)銅版を塩化第二鉄溶液に漬け込み、腐食させる(45~60分間)
左写真は、(3)~(5)の工程を終えた段階の銅版。
作業としては、下絵の銅版への転写の下準備として、銅版のクリーニングとグランド塗布が必要です。まずエコウオッシュという溶液をふりかけ、テッシュで拭き取った後、中性洗剤をふりかけ、筆でブラッシングし、水道水で洗浄します。次に、水分を拭き取った銅版の表面に、グランドと呼ばれる、アスファルト、松ヤニ、蜜蝋を主成分としたものを塗布します。グランドが銅版上で伸び易いように、ウォーマーと呼ばれるテーブル状の機械の上に銅版を乗せ、しばらく温めた後、ローラーを使って万遍なく塗布します。
この後グランドを銅版に固着させるために水道水で一気に冷やすのですが、私はここでドジ2連発。1発目は、熱でかなり熱くなった銅版を、大きめのコテに乗せて水道の蛇口まで移動する途中で、銅版を落としてしまいました。これで銅版のクリーニングからやり直し。2発目は、落とすまいとしてティッシュを手にした片手で支えたら、銅版の表面にティッシュが付着してしまいました。これで、また最初からやり直し。先生には「またぁ…?」と呆れられてしまいましたホント、恥ずかしいよね。この2度に渡る作業のやり直しで、私は他の研修者に大きく遅れをとることになりました(そもそも他の人々より細かい描写の下絵なのに…)。
そして、(「やっと」と言うか…)いよいよ、トレーシングペーパーから、銅版への転写です。できるだけ割愛する部分が少なくなるように、斜めの構図で描くことにしました。銅版の上にカーボン紙を乗せ、その上に、(版画は左右反転するので)表裏を返して、斜めにずらしたトレーシングペーパーを重ね、トレーシングペーパーの描画に沿って鉛筆を走らせます。これも、私の下絵は描写が細かいだけに時間がかかりました。他の人の進度が速いので、焦る焦る。
下絵の銅版への転写が済むと、今度は転写した描線の通りに、ニードルで銅版を彫って行きます。この後、銅版を塩化第二鉄溶液に45~60分間浸すのですが、これが腐食の工程に当たります。浸している間、グランドで皮膜されている部分の銅版は、グランドによって腐食を免れますが、線描で銅版が剥きだしになった部分は、溶液で溶け出し、線描によって出来た溝がより深くなります。つまり、浸す時間の長短で、溝の深さを調節することができるのです。
一定時間、塩化第二鉄溶液に浸した後、銅版を引き上げ、これ以上の腐食の進行を止めるために、銅版を数秒重曹液に浸して中和させ、水で洗浄し、さらに醤油を銅版全体にかけて、再び水で洗浄します。何でも醤油に含まれるアミノ酸の働きで、腐食の進行に止めを差すらしい。
(6)1回目の刷り(試し刷り)
銅版に残った水分をウエス等で拭き取った後、再びウォーマーで銅版を温め、今度はローラーで銅版の表面にインクを伸ばします。線描の溝にインクを押し込めるよう意識して。
次にカンメンシャ?と呼ばれる目の粗い固い布で銅版の表面を円を描くように荒拭きし、さらに紙で拭いて、余分なインクを取り除きます。さあ、いよいよプレス機で、最初の試し刷り。版画紙は前日のうちに水で濡らしておき、刷る直前に乾いた紙2枚の間に挟んで余分な水分を取り除いた後、プレス機の上に乗せた銅版の上に重ね、フェルトカバーをかけてプレスします。
プレス機のフェルトカバーを持ち上げ、版画紙をひっくり返す瞬間は、果たしてどんな仕上がりかとドキドキワクワクしました。まるで我が子の誕生の瞬間に立ち会うかのよう。実際、「作品」は世界にふたつとない、私自身の創造物と言えます。
自分のイメージ通りに刷り上がっているのかどうか…刷り上がった作品をチェック。陰影表現等物足りない点があれば、ここでニードル等を使って加筆します。試し刷りの時点で、私の作品は鉛筆での下書きと比べると線描の量が少なく、何となく物足りない印象。特に木肌の材質感が全然再現できていないように感じました。
さらに、線描の雑なこと。これは刷って初めて気づいたことでした。エッチングは「線」が命だからこそ、1本1本の線描を疎かにしてはいけないのです。最初にニードルを銅版の上に乗せた時から最後まで、緊張感を保った状態で線を彫る。最後に気を抜いてしまうと、何とも締まりのない線になってしまう。特に今回私が描いた屋久杉は威風堂々とした佇まいが持ち味とも言えるので、締まりのない線の存在はそれだけで、モチーフの本来の魅力を損なってしまいます。その意味で、線描の雑さが悔やまれます。
(7)再試し刷り
再試し刷り、と行きたいところですが、時間が押していて、私はこの後、2回刷って、作業を終わりとしました。加筆後は、最初に彫った部分の溝の腐食を防ぐ為にマジックインキで皮膜して保護した上で、銅版を再び第二酸化鉄溶液に、今度は20分浸しました。そして2度目、3度目の刷り。指導に当たって下さった院生の方のアドバイスで、ルーレット?を用いて加えた点描が木肌の質感を思いの外巧く表現し、試し刷りの時より、作品に深みが出たように思います。
(8)本刷り
【感想】
作業工程が複雑で、一度やっただけでは、私など、とても覚えられそうにありません。しかし、7時間(2時間は講師による作業工程の実演と説明、残り5時間が銅版画制作演習)と言う時間があっと言う間に過ぎてしまったほど、慌ただしくも楽しめました。自分の手で無から有を生み出す「創作の醍醐味」を久しぶりに味わったように思います。他の参加メンバーも作業に集中して、それぞれに個性的な作品を生み出していました。今回、芸大で版画の非常勤講師をしておられるS先生と3人の院生の方にご指導いただきました。殆ど初心者の私達に忍耐強く指導して下さり、心から感謝を申し上げたいと思います。「この道30年」と仰ったS先生。確かに、銅版画の世界も奥深いようです。機会があれば、是非また挑戦したいですね。
長文記事を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
ここで銅版画についてミニ知識をば。銅版画はその名の通り、銅板を版として用いる版画の技法のひとつです。銅版に刃先が三角刀に似た?ビュランやニードル等で線描し、銅版表面の線描の溝にインクを充たして、紙に写し取るのです。銅版画はさらに、刷る前の銅版をどう処理するかによって、エングレーヴィング、ドライポイント、エッチング、アクアチント、メゾチント等に細かく分類されますが、今回、私はレンブラントが好んで行ったエッチングとドライポイントの技法を用いて作品を作ってみました。
銅版画の起源は1430年頃にライン河畔のドイツに生まれた凹版画と言う説が有力ですが、それ以前に、甲冑に文様を刻む装飾金工技術が、銅版画の生まれる素地となったと言えるでしょうか。この為、当初は銅板ではなく、鉄板が用いられたようです。
そもそも当初は無署名の職人芸としてスタートした銅版画ですが、マルティン・ショーンガウアー(独1430-91)によって技法的に綜合されてのち、アルブレヒト・デューラー(独1471-1528)によって芸術の高みへと押し上げられた、と言われています。そして、レンブラント・ファン・レイン(蘭1606-69)が、銅版画の技法のひとつであるエッチングの、表現技法としての可能性を大きく広げました。その後はスペインの画家、ゴヤやピカソが印象的な銅版画作品を多数残しています。
銅版画家としてはやはりデューラーが圧巻で、彼が得意としたエングレーヴィングという技法は、上述のビュランと言う道具を使って、銅版に線を刻んで行くのですが、今回、試みにビュランを使わせていただいたところ、素人は直線を引くのさえおぼつかない。銅版に対してビュランの刃先が、どの傾斜角度で入るのかが、どうもポイントのようです。彼の代表作《メランコリア》(右上画像)では多彩な線描及び点描技法が用いられていますが、今回の先生の解説によれば、ビュラン1本でこの作品を仕上げたのだそうです。まさに超絶技巧と言えるでしょうか。
さて私にとって、銅版画制作は、もちろん初めての体験です。実は絵をひとつの作品として描くのも、美大1年の時、授業で油彩を描いて以来。絵を描くのは(自分で言うのもなんですが)子どもの頃は割と得意な方で、小学校から中学校にかけて、校内や県レベルのコンクールで20回前後入賞したことがあります。中学生の時には、版画(ドライポイント)作品が、県のコンクールで特選を受賞しました。しかし、中学の半ばから高校にかけては文学に傾倒したので、絵を描くことへの興味が急速に失われてしまいました。特に絵画技法に関して専門の指導を受けたことはないので、描画はあくまでも自己流です。
もちろん、美大に入学してみたら、同じ美術史専攻の学生の中でも、私よりずっと絵の上手い人は幾らでもいました。小論文2つと面接のみの社会人入試と違って、一般入試では実技試験でデッサンも試験科目のひとつなので、一般入試を経た他の学生達は、予備校等で指導を受けていたということもあるのでしょう。それに”現役”バリバリの、ついこないだまで高校生だった子達ばかりでしたしね。美大に入学するまで絵筆を20年近く握ったことのない私とは大違いです。
しかし、今更そんな言い訳めいたことを言うのもみっともないかな。本当に絵が好きならば途中で何があっても描き続けていたであろうし、この、自らが興味を持った事柄に対して、初期の情熱を長きに渡って継続できることこそ、一種の才能とも言えるのではないでしょうか。凡庸と非凡を分けるのは、ひとつには、この資質を持っているか否かなのかもしれません。
(1)下絵を描く
今回は、予め下絵を準備してくるようにとのことだったので、お気に入りの、樹齢4000年とも言われる屋久杉の写真を描写してみました。屋久島で長らく風雨に耐えて生き抜いて来た、節くれ立った老大木の生命感が表現できればなと思いつつ描きました。
しかし、難しい!すべて線描で行う陰影表現はもちろんのこと、複雑な表情を見せる木肌や何百とある葉の描写をどうするか悩みました。実は銅版画はすべてを「線描」で表現する為、「線」が命なのです。後に、この「線」で私は、少し後悔することになります。
(2)下絵をトレーシングペーパーに転写する
下絵をトレーシングペーパーに転写することになりましたが、ドジな私は指定されたサイズを間違えていて、下絵は銅版よりかなり大きめ。そこで一部を割愛することになりました。
どうしたら、作品の持ち味、老大木の生命感を損なわずに、限られたスペースに描き込むか?画面が小さくなる分、モチーフが画面の中で、より大きく描かれることになるので、指導して下さったS先生は、「意外に、その方が迫力が出るかもしれませんね」と仰って下さいました(ここからが私のドジ・ストーリーの始まり)。
(3)トレーシングペーパーから銅版へ下絵を転写する
(4)転写された下絵に従って、ニードルを使って、銅版を彫り込んで行く
(5)銅版を塩化第二鉄溶液に漬け込み、腐食させる(45~60分間)
左写真は、(3)~(5)の工程を終えた段階の銅版。
作業としては、下絵の銅版への転写の下準備として、銅版のクリーニングとグランド塗布が必要です。まずエコウオッシュという溶液をふりかけ、テッシュで拭き取った後、中性洗剤をふりかけ、筆でブラッシングし、水道水で洗浄します。次に、水分を拭き取った銅版の表面に、グランドと呼ばれる、アスファルト、松ヤニ、蜜蝋を主成分としたものを塗布します。グランドが銅版上で伸び易いように、ウォーマーと呼ばれるテーブル状の機械の上に銅版を乗せ、しばらく温めた後、ローラーを使って万遍なく塗布します。
この後グランドを銅版に固着させるために水道水で一気に冷やすのですが、私はここでドジ2連発。1発目は、熱でかなり熱くなった銅版を、大きめのコテに乗せて水道の蛇口まで移動する途中で、銅版を落としてしまいました。これで銅版のクリーニングからやり直し。2発目は、落とすまいとしてティッシュを手にした片手で支えたら、銅版の表面にティッシュが付着してしまいました。これで、また最初からやり直し。先生には「またぁ…?」と呆れられてしまいましたホント、恥ずかしいよね。この2度に渡る作業のやり直しで、私は他の研修者に大きく遅れをとることになりました(そもそも他の人々より細かい描写の下絵なのに…)。
そして、(「やっと」と言うか…)いよいよ、トレーシングペーパーから、銅版への転写です。できるだけ割愛する部分が少なくなるように、斜めの構図で描くことにしました。銅版の上にカーボン紙を乗せ、その上に、(版画は左右反転するので)表裏を返して、斜めにずらしたトレーシングペーパーを重ね、トレーシングペーパーの描画に沿って鉛筆を走らせます。これも、私の下絵は描写が細かいだけに時間がかかりました。他の人の進度が速いので、焦る焦る。
下絵の銅版への転写が済むと、今度は転写した描線の通りに、ニードルで銅版を彫って行きます。この後、銅版を塩化第二鉄溶液に45~60分間浸すのですが、これが腐食の工程に当たります。浸している間、グランドで皮膜されている部分の銅版は、グランドによって腐食を免れますが、線描で銅版が剥きだしになった部分は、溶液で溶け出し、線描によって出来た溝がより深くなります。つまり、浸す時間の長短で、溝の深さを調節することができるのです。
一定時間、塩化第二鉄溶液に浸した後、銅版を引き上げ、これ以上の腐食の進行を止めるために、銅版を数秒重曹液に浸して中和させ、水で洗浄し、さらに醤油を銅版全体にかけて、再び水で洗浄します。何でも醤油に含まれるアミノ酸の働きで、腐食の進行に止めを差すらしい。
(6)1回目の刷り(試し刷り)
銅版に残った水分をウエス等で拭き取った後、再びウォーマーで銅版を温め、今度はローラーで銅版の表面にインクを伸ばします。線描の溝にインクを押し込めるよう意識して。
次にカンメンシャ?と呼ばれる目の粗い固い布で銅版の表面を円を描くように荒拭きし、さらに紙で拭いて、余分なインクを取り除きます。さあ、いよいよプレス機で、最初の試し刷り。版画紙は前日のうちに水で濡らしておき、刷る直前に乾いた紙2枚の間に挟んで余分な水分を取り除いた後、プレス機の上に乗せた銅版の上に重ね、フェルトカバーをかけてプレスします。
プレス機のフェルトカバーを持ち上げ、版画紙をひっくり返す瞬間は、果たしてどんな仕上がりかとドキドキワクワクしました。まるで我が子の誕生の瞬間に立ち会うかのよう。実際、「作品」は世界にふたつとない、私自身の創造物と言えます。
自分のイメージ通りに刷り上がっているのかどうか…刷り上がった作品をチェック。陰影表現等物足りない点があれば、ここでニードル等を使って加筆します。試し刷りの時点で、私の作品は鉛筆での下書きと比べると線描の量が少なく、何となく物足りない印象。特に木肌の材質感が全然再現できていないように感じました。
さらに、線描の雑なこと。これは刷って初めて気づいたことでした。エッチングは「線」が命だからこそ、1本1本の線描を疎かにしてはいけないのです。最初にニードルを銅版の上に乗せた時から最後まで、緊張感を保った状態で線を彫る。最後に気を抜いてしまうと、何とも締まりのない線になってしまう。特に今回私が描いた屋久杉は威風堂々とした佇まいが持ち味とも言えるので、締まりのない線の存在はそれだけで、モチーフの本来の魅力を損なってしまいます。その意味で、線描の雑さが悔やまれます。
(7)再試し刷り
再試し刷り、と行きたいところですが、時間が押していて、私はこの後、2回刷って、作業を終わりとしました。加筆後は、最初に彫った部分の溝の腐食を防ぐ為にマジックインキで皮膜して保護した上で、銅版を再び第二酸化鉄溶液に、今度は20分浸しました。そして2度目、3度目の刷り。指導に当たって下さった院生の方のアドバイスで、ルーレット?を用いて加えた点描が木肌の質感を思いの外巧く表現し、試し刷りの時より、作品に深みが出たように思います。
(8)本刷り
【感想】
作業工程が複雑で、一度やっただけでは、私など、とても覚えられそうにありません。しかし、7時間(2時間は講師による作業工程の実演と説明、残り5時間が銅版画制作演習)と言う時間があっと言う間に過ぎてしまったほど、慌ただしくも楽しめました。自分の手で無から有を生み出す「創作の醍醐味」を久しぶりに味わったように思います。他の参加メンバーも作業に集中して、それぞれに個性的な作品を生み出していました。今回、芸大で版画の非常勤講師をしておられるS先生と3人の院生の方にご指導いただきました。殆ど初心者の私達に忍耐強く指導して下さり、心から感謝を申し上げたいと思います。「この道30年」と仰ったS先生。確かに、銅版画の世界も奥深いようです。機会があれば、是非また挑戦したいですね。
長文記事を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。