夏休みも後半に入って、また子どもが被害者の痛ましい事件が起きた。
被害者はその身体的特徴から、当初から小学生ないし中学生と推定されたのに、すぐには身元が判明しなかった。今回、不幸にも被害者となったお子さんが、日頃から1日や2日は自宅にいないことがあったので、親御さんも、まさか我が子が事件に巻き込まれていたとは思っていなかったようだ。
しかし、つい数ヶ月前までランドセルを背負っていた子が、1日2日、家を空けることが常態化していたというのは、おかしくないか?(特に夏休みは子どもの生活習慣も乱れがちだから、いつも以上に親も注意を払う必要がある)
夜間外出は昼間以上に危険を伴うものだ。大人でも深夜のひとり歩きは危ない。信号無視の暴走車や飲酒運転の車に轢かれるかもしれない。親父狩りに遭うかもしれない。視界が悪くて何かにつまづき転倒することだってあるかもしれない。どれも明るい昼間には、滅多に起こりえないことだ。
ましてや抵抗力のない子どもなんて、犯罪者(←必ずしも成人とは限らない)の格好の標的ではないか?
事件や事故はいつでも起こる可能性があるが、夜間は特に闇に紛れて、昼間以上に犯罪が起こりやすい状況にあるのではないか?確率から言えば、夜間の方がリスキーに決まっている。
そんな夜間に、まだ判断力も身体も未熟なローティーンの子どもを、大人の庇護なしに家から出しては駄目だよ。
一部にある「今の時代、子どもの夜間外出は珍しいことではない」と言う、親や大人の感覚こそ、疑ってみるべきだと思う。
心も身体も成長期にある子どもにとって、夜間は寝るべき時間帯(少なくとも、家で静かに過ごすべき時間帯)。これはいつの時代でも変わらない普遍的なこと。
心ある親なら、我が子を危険から遠ざけたいと思う親なら、断固として子どもに無用な夜間外出はさせないこと(続報を見ると、事件に巻き込まれたのは昼間の可能性が高いらしいが、夜間徘徊を放置した家庭環境が事件を誘発したとも言える。夜通し外で過ごしたとなれば、子どもは疲労で警戒心も鈍るだろうし、見た目もだらしなくなり、犯罪者に目を付けられる可能性が高まるだろう)。
時々、子どもが全然親の言うことを聞かないと嘆く親御さんがいるけれど、子どもとの信頼関係は幼い時からの積み重ね。親の言うことに耳を貸す子どもに育てるのも親の育て方次第。
親は言うべきことは毅然とした態度で言い、子どもを納得させなければならない。我が子を守るためなら、主張を曲げずに、妥協せずに、徹底的に我が子と対立しても良いのではないか?我が子の前に立ちはだかる存在として、一時的に嫌われたって、疎まれたって構いやしない。親子の絆はそんなことで壊れるような脆いものではけっしてないはずだ。
ある程度の年齢になれば、親に反発して自分の思うがままに行動した結果、痛い目に遭うことも、ひとつの人生勉強と言えるだろう。その子どもには、既にその痛みに耐えられるだけの抵抗力もついているだろうから。しかし、小学生や中学生には、まだ早過ぎる。まだまだ親の庇護が必要な時期だと思う。
我が子を永遠に失うことの恐ろしさを思えば、親として全力で我が子にぶつかれるはずだ。
親は子育てを甘く見てはいけないと思う。ひとりの人間を巣立つまで育て上げることは、そんなに楽なことではない。まさに自分の命を削るようなしんどさがある。
同時に、たとえ不器用な愛情表現しかできない親であっても、心を尽くし、力を尽くした分だけ、我が子の成長に幸福感を覚えることができるものでもあると思う。
親が守れずして、誰が我が子を守れると言うのだろう?
実際、世間の大半は、他人の子どもの動静には無関心である。ひとたび事件が起きれば騒ぐが、それも一時的なものである。結局、人の不幸は噂の種でしかなく、次から次へと流れては消えて行く情報のひとつでしかないのだ。所詮、他人事なのだ。
そんな中で、親や保護者の立場にある大人は事件から教訓を学び取り、「せめて自分達の子どもだけでも守らねば」と気を引き締めるしかない。
それぞれが自分の持ち場で、やるべきことを精一杯やる。親なら我が子を無用な危険から遠ざける。それだけでも、どれだけの親子が、家族が、悲しい思いをせずに済むか…
社会全体で子どもを守り育てる。虐待やネグレクト等、親の庇護から漏れる子どもを守るためにも、社会のセーフティネットを充実させることが理想ではあるが、これも一朝一夕でできるものではない。だからこそ親が、せめて目の前の我が子だけでも守るしかないのだと思う。
いつの世にも一定の割合で変質者や殺人者がいる以上、世の中には残念ながらリスクがあること、そのリスクを回避する方法を、親が我が子にしっかり教えるしかない。
被害者はその身体的特徴から、当初から小学生ないし中学生と推定されたのに、すぐには身元が判明しなかった。今回、不幸にも被害者となったお子さんが、日頃から1日や2日は自宅にいないことがあったので、親御さんも、まさか我が子が事件に巻き込まれていたとは思っていなかったようだ。
しかし、つい数ヶ月前までランドセルを背負っていた子が、1日2日、家を空けることが常態化していたというのは、おかしくないか?(特に夏休みは子どもの生活習慣も乱れがちだから、いつも以上に親も注意を払う必要がある)
夜間外出は昼間以上に危険を伴うものだ。大人でも深夜のひとり歩きは危ない。信号無視の暴走車や飲酒運転の車に轢かれるかもしれない。親父狩りに遭うかもしれない。視界が悪くて何かにつまづき転倒することだってあるかもしれない。どれも明るい昼間には、滅多に起こりえないことだ。
ましてや抵抗力のない子どもなんて、犯罪者(←必ずしも成人とは限らない)の格好の標的ではないか?
事件や事故はいつでも起こる可能性があるが、夜間は特に闇に紛れて、昼間以上に犯罪が起こりやすい状況にあるのではないか?確率から言えば、夜間の方がリスキーに決まっている。
そんな夜間に、まだ判断力も身体も未熟なローティーンの子どもを、大人の庇護なしに家から出しては駄目だよ。
一部にある「今の時代、子どもの夜間外出は珍しいことではない」と言う、親や大人の感覚こそ、疑ってみるべきだと思う。
心も身体も成長期にある子どもにとって、夜間は寝るべき時間帯(少なくとも、家で静かに過ごすべき時間帯)。これはいつの時代でも変わらない普遍的なこと。
心ある親なら、我が子を危険から遠ざけたいと思う親なら、断固として子どもに無用な夜間外出はさせないこと(続報を見ると、事件に巻き込まれたのは昼間の可能性が高いらしいが、夜間徘徊を放置した家庭環境が事件を誘発したとも言える。夜通し外で過ごしたとなれば、子どもは疲労で警戒心も鈍るだろうし、見た目もだらしなくなり、犯罪者に目を付けられる可能性が高まるだろう)。
時々、子どもが全然親の言うことを聞かないと嘆く親御さんがいるけれど、子どもとの信頼関係は幼い時からの積み重ね。親の言うことに耳を貸す子どもに育てるのも親の育て方次第。
親は言うべきことは毅然とした態度で言い、子どもを納得させなければならない。我が子を守るためなら、主張を曲げずに、妥協せずに、徹底的に我が子と対立しても良いのではないか?我が子の前に立ちはだかる存在として、一時的に嫌われたって、疎まれたって構いやしない。親子の絆はそんなことで壊れるような脆いものではけっしてないはずだ。
ある程度の年齢になれば、親に反発して自分の思うがままに行動した結果、痛い目に遭うことも、ひとつの人生勉強と言えるだろう。その子どもには、既にその痛みに耐えられるだけの抵抗力もついているだろうから。しかし、小学生や中学生には、まだ早過ぎる。まだまだ親の庇護が必要な時期だと思う。
我が子を永遠に失うことの恐ろしさを思えば、親として全力で我が子にぶつかれるはずだ。
親は子育てを甘く見てはいけないと思う。ひとりの人間を巣立つまで育て上げることは、そんなに楽なことではない。まさに自分の命を削るようなしんどさがある。
同時に、たとえ不器用な愛情表現しかできない親であっても、心を尽くし、力を尽くした分だけ、我が子の成長に幸福感を覚えることができるものでもあると思う。
親が守れずして、誰が我が子を守れると言うのだろう?
実際、世間の大半は、他人の子どもの動静には無関心である。ひとたび事件が起きれば騒ぐが、それも一時的なものである。結局、人の不幸は噂の種でしかなく、次から次へと流れては消えて行く情報のひとつでしかないのだ。所詮、他人事なのだ。
そんな中で、親や保護者の立場にある大人は事件から教訓を学び取り、「せめて自分達の子どもだけでも守らねば」と気を引き締めるしかない。
それぞれが自分の持ち場で、やるべきことを精一杯やる。親なら我が子を無用な危険から遠ざける。それだけでも、どれだけの親子が、家族が、悲しい思いをせずに済むか…
社会全体で子どもを守り育てる。虐待やネグレクト等、親の庇護から漏れる子どもを守るためにも、社会のセーフティネットを充実させることが理想ではあるが、これも一朝一夕でできるものではない。だからこそ親が、せめて目の前の我が子だけでも守るしかないのだと思う。
いつの世にも一定の割合で変質者や殺人者がいる以上、世の中には残念ながらリスクがあること、そのリスクを回避する方法を、親が我が子にしっかり教えるしかない。