昨日の夕方、何気なくマンション1階の掲示板を見たら、訃報の貼り紙が。なんと同じ階の奥様。急なことに驚いた。前日5日に亡くなられたらしい。しかし死因は不明。今年度、私は町内会の役員の当番で、度々その奥様とは玄関先で募金のお願いなどのやりとりがあった。昨年12月にも普段と変わりないご様子で、明るく応対しておられた。その奥様の訃報にただただ驚くばかりだ。まだ61歳の若さ。上品な雰囲気を湛え、いつ、どこでお会いしてもにこやかに接する素敵な奥様だった。ご主人にとってはさぞかし自慢の奥様であったことだろう。
夫がマンションの理事長を務める友人にメールで問い合わせてみると、その奥様は昨年の8月の時点で末期癌であったと言う。そんなこととはつゆ知らず、私は何度もその方と言葉を交わしていた。病気の影など微塵も感じさせない明るい笑顔とユーモアを交えた語り口だけが思い出される。奥様はご自分の余命をご存知だったのだろうか。今となってはご冥福を祈るしかないのだが、「もうお会いできない」という実感が、今はどうしても湧かない。
人の命のなんと儚いことよ。とても他人事とは思えない。いつまでも新しい朝を迎えられるなんて保障は誰にもないのだ。明日は我が身かもしれない。だからこそ、今更のように1日1日を大事に生きなければと思う。未だ心は混乱しているが、奥様の為に合掌。
夫がマンションの理事長を務める友人にメールで問い合わせてみると、その奥様は昨年の8月の時点で末期癌であったと言う。そんなこととはつゆ知らず、私は何度もその方と言葉を交わしていた。病気の影など微塵も感じさせない明るい笑顔とユーモアを交えた語り口だけが思い出される。奥様はご自分の余命をご存知だったのだろうか。今となってはご冥福を祈るしかないのだが、「もうお会いできない」という実感が、今はどうしても湧かない。
人の命のなんと儚いことよ。とても他人事とは思えない。いつまでも新しい朝を迎えられるなんて保障は誰にもないのだ。明日は我が身かもしれない。だからこそ、今更のように1日1日を大事に生きなければと思う。未だ心は混乱しているが、奥様の為に合掌。