まずは、映画で”心穏やかに”1年のスタートを切る
今年の見初めはこの作品となった。日本曹洞宗の開祖、道元の伝記映画である。二大総本山のひとつ、総持寺は我が家の近隣にあり(私には石原裕次郎の菩提寺?と言うイメージが強い)もうひとつの総本山、永平寺には昨夏行ったばかりである。これも何かの縁であろうと思い、本作を新年見初めの1本に選んだ。
因みに選択に迷ったもう1本は、これまた伝記映画の(こちらは20世紀のカリスマ革命家だけれど)『チェ 28歳の革命』である。映画で”心穏やかに”1年のスタートを切ろうか、それとも”高揚感で”いきなりスタート・ダッシュをかけようか、という二者択一で、前者を取ったのだった(笑)。
まず、この作品を見ながら、数年前に見た聖女マザー・テレサの伝記映画を思い出した。両作品共に、良くも悪くも生真面目な作りである。映画としてはドラマ性にも、面白みにも些と欠けるかな。映画『マザー・テレサ』は同時期に、赤裸々な性生活の研究レポートで世間に衝撃を与えたキンゼイ博士の伝記映画『キンゼイ・レポート』も公開されていて、娯楽性も十分に備えた手慣れた演出の『キンゼイ~』と『マザー~』はどうしても比較されがちだった。今回も映画作品としてのドラマ性という意味では、『チェ~』の方に軍配が上がりそうである。
ただ道元禅師にしてもマザー・テレサにしても宗教者であり、多くの信者の信仰のよすがでもある”聖人”の生涯を描くことには、作り手にも自ずと遠慮や自己規制が生じるものなのかもしれない。それを無視すれば、メル・ギブソンの『パッション』のように、解釈の偏向性や過激描写が物議を醸すことになる(だからと言って、こうした作品を否定するものでもない。カトリック保守派として知られるメル・ギブソンが、ある実在した修道女の記述を元に、大真面目に取り組んだ結果なのだから。それでなくとも、宗教の教義解釈の違いは、しばしば対立を生むものである。映画作品としては、一般の鑑賞者がどう受け止めるかに懸かっていると思う)。
奇しくも今年、日本では年頭から、20世紀のカリスマ革命家と750年前の曹洞宗開祖の伝記が同時期に公開されたわけだが、映画作品を時代を映し出す鏡として見た場合、この2人の登場は社会全体を覆う”閉塞感”を打破する人物の登場を、社会が、人々が待ち望んでいることの反映とも受け取れる。それは例えば米国で"Yes, we can (change)!"をスローガンに、黒人(正確には黒人と白人のハーフ)のバラク・F・オバマ大統領が登場したのと符合しているのだ。
つづく…