「正義を行わしめよ、たとえ世界が滅ぶとも」というフレーズは、イマヌエル・カントが使って一躍有名になった。『ハーバード白熱教室』で人気教授になったマイケル・サンデルが議論のトピックに使いそうなテーゼである。
正義を現実に優先させるか、現実を正義に優先させるか。当然、議論はわかれる。日本国の憲法第9条の解釈がその好例である。
冷戦時代の国際政治学者で、古典的リアリズム派の旗手だったハンス・モーゲンソー教授は、著書『国際政治』の中で次のように主張している。個人は道義原則を守るため自己を犠牲にする権利はあるが、国家にはそのような権利はない。一見道義にかなった行為であっても、その政治的結果が考慮されなければ、政治的道義は存在しえない。
上記のことを心にとめて、自民党政権が最も頼りにしている米国さえ「失望」(disappointed)させた2013年の暮れの安倍晋三首相の靖国神社参拝を考えてみよう。
最大の疑問は、彼はなぜ靖国参拝をしたのだろうか、という点である。
靖国参拝によって、日中、日韓関係が悪化することは予測していただろう。おそらく米国の失望表明も予期していただろう。
というのは、2013年5月、安倍首相は訪米したさい、『フォーリン・アフェアーズ』のインタビューに応じて、米国のアーリントンと日本の靖国を同様の施設と考えるという〝異見〟を表明したことがある。
アーリントン墓地には米国内戦時の南軍の兵士も埋葬されている。米国大統領がアーリントンを訪問しても、それが奴隷制度を肯定する行為とはだれも考えない。靖国参拝も同じことだ。そういう趣旨だった。
アーリントン墓地は無宗教の墓地で、米国大統領が訪問するのは墓地の中の「無名戦士の墓」である。米国政府はアーリントン墓地と靖国神社を同列視する日本国首相の誤解を正そうとして、バイデン副大統領とヘーゲル国防長官の訪日のさい、二人を千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に行かせている。
米政権の中枢にいる副大統領と国防長官の千鳥ヶ淵献花の意味を、日本国政府首脳は、当然、理解していたはずだ。
では、首相は、たとえ日本国が外交的機能不全に陥ろうとも安倍晋三の個人的な心情を満足させようとしたのだろうか。
それとも――。
安倍政権の軍事・安全保障政策を後押ししているのは、東アジアで高まる「脅威」の雰囲気である。かつての冷戦時代、米国が軍拡路線を進めるために、米国のミサイル戦力がソ連のそれとくらべてひどく劣っているという「ミサイル・ギャップの神話」(はからずもケネディー政権のマクマナラ長官がミサイル・ギャップなど存在しない、ともらしたことがある)を喧伝した。同じように、中国の軍事力と北朝鮮の核の脅威、韓国からの敵視、などが高まれば高まるほど、安倍政権のいわゆる富国強兵策のうち、強兵政策が日本国民に受け入れられやすくなる。
そうした脅威の増幅を煽る目的で、日本国首相は靖国神社に行った。
(2013.12.29 花崎泰雄)
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