播州赤穂藩の浪人が吉良邸に殴り込みをかけ、吉良上野介義央と居合わせた家臣らを殺した、いわゆる元禄赤穂事件は旧暦12月14日のことである。今年は西暦1月14日が旧暦の12月14日にあたる。
この事件を題材にした芝居では、吉良上野介は悪者にされている。しかし、実際に悪者であったかどうか、はっきりとした歴史的資料は今のところ見つかっていない。浅野内匠頭は「遺恨」と叫んで上野介に背後から切りつけたそうだが、その遺恨とは何であったか、これまた史実として説明されていないままだ。
日本人の多くがもてはやしている元禄赤穂事件の劇場版「忠臣蔵」は脚色された物語であって、史実ではない。赤穂の浪人たちはいったい何のために吉良邸を襲撃したのだろうか?
吉良邸を襲撃した赤穂の浪人たちを非論理的な行動をした暴漢や、幕府の裁定に不満を表明したテロリストでなく、義士としてまつりあげる目的で吉良上野介が性悪男に仕立てあげられた可能性もおおいにある。
歴史が興味本位に脚色されて、それが特定の価値観と結びついて独り歩きするのは、よくあることだ。
昨年、韓国が中国に協力を求めて安重根が伊藤博文を暗殺したハルビン駅の現場に碑を建てようとする動きに関して、日本の菅義偉官房長官が、日本は安重根が犯罪者であると考えていると不快感を表明した。
それを聞いた韓国では、外交省の趙泰永報道官が「安重根義士は我が国の独立と東洋の平和のために命を捧げた」と反論した。
日本の新聞報道によると、菅官房長官は韓国側の反応を「ずいぶんと過剰反応だなと思う。従来の我が国の立場を淡々と言っただけだ」と言ったという。
過剰反応はお互いさまだ。日本の政治家の一部にとっては、安重根は千円札にもなった伊藤博文を暗殺した犯罪者であり、韓国の政治家の一部にとっては、安重根は韓国では朝鮮半島を支配した日本帝国主義の大物を撃った愛国者である。これは時間の経過による忘却しか解決できない問題であり、歴史のかさぶたがまだ生乾きの今は、それをひっかきあうよりも、おたがいにいわゆるbenign neglect(丁重な無視)の態度をとるしかないだろう。
さて、ひまにまかせて東京都墨田区両国3丁目の本所松坂町公園と港区高輪2丁目の泉岳寺へ行ってきた。
泉岳寺にある赤穂の藩士たちの集団墓標には線香の煙が絶えない。12月14日には義士祭がおこなわれる。いっぽう、殺された吉良の屋敷跡の一部につくられた本所松坂町公園には吉良上野介の像が飾られている。この公園は戦前に両国3丁目の有志が土地を買って東京都に寄付し、その後、墨田区に移管されたものだ。
面白いのは、毎年12月14日にはここでも義士祭を行っている。あちこちの義士祭と少々違うのは、事件の現場である吉良邸跡では、義士祭の後に「吉良祭」が引き続き行われることだ。時間がたてばこういうことも可能になる。
(2014.1.12 花崎泰雄)
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