“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

またふたたび夢の話・・・好きな人が夢に出てきた!

2012年06月20日 23時51分57秒 | Weblog
某テレビ番組から「急ぎで・・・」と出演者の夢占いを頼まれ、とりあえず夢鑑定をしたのですが、
その件を依頼して来たADさん曰く、
「いちおう収録で鑑定結果を使わせていただく予定ですが、
それが放送になるかどうかはわかりません」と、やや意味不明(?)な説明をされました。
どうやら本番の流れや収録後の編集でカットになることもあるという意味なのでしょう。

で、その番組の放送を見たら、案の定カットされていました(笑)

なぁ~~んだ、せっかく“渋谷の父”の名前が出るところだったのに~~残念!

まぁそんなもんでしょうけど・・・(笑)
僕も放送業界で育った人間ですから、そのへんの制作の裏事情はよーくわかります。

さて、そんな僕が昨日見た夢ですが・・・

これがなんと!なぜか以前ものすご~~く憧れていた(妻以外の←強調)女性が夢に出てきたのです。

その人とはもう5年ぐらい逢っていないのですが、
夢に出てきてみると、《ああ、僕はいまでも彼女のことが好きなんだ》と思いました。
もちろん、その人と道ならぬ恋をしていたなんてことはないんですけどね(笑)
ただ一方的に憧れていただけで・・・

でも、この5年間、いや5年前ですら、一度たりとも夢に出てきてくれたことなんてなかったんですよ。
それが昨日いきなり夢に登場したんです!うん、これはなにかある!・・・と勝手に思ったりして。

夢にある特定の人が出てくるということは、基本的にその人を意識しているということです。
その人とコンタクトをとりたい、コミュニケーションをはかりたいなどなど、
とりわけその人が気になる異性であるならば、その人と仲良くなりたいと思う願望の表れかと・・・
まぁ、こういう心理分析は少しでも心理学をかじった人ならば誰でもすると思います。

しかし、僕は独断に満ちたもっととんでもない自論(?)を持っているんです。

それは、平安時代の人たちが持っていた夢に関する考え方です。
曰く、《好きな人が夢に出てくるのは、相手が夢で逢いに来るのだ》
つまり、《相手が自分のことを想ってくれているのだ》というはなはだ勝手な解釈です。
平安時代の人は夢に出てくるのは両想いの証拠だと、そう思っていたんです(笑)

『古今集』の藤原敏行の歌には、
“住の江の 岸による波 よるさへや 夢の忍び路 人目よくらむ”
というのがあります。

《住之江の岸に波が寄せるように、
あなたは夜(=寄るとかけている)だというのに、
どうして人目を避けて私の夢に出てきてくれないの?》
といった意味でしょうか。

・・・ということはですよ。
5年前に憧れていた人が、僕のところに恋している・・・
とまではいかなくとも、
《どうしているのかな?》と想ってくれているのかもしれません。

また同時に、近い将来、街中でばったり出くわす可能性も示唆しているのだと思います。
これも一つのシンクロニシティーなのですね。

ああ、ホントにそうなったらいいな・・・
ホント、勝手な奴っちゃな、僕は(笑)


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コメント (1)
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