参議院議員の藤巻幸大さんが大動脈破裂のため亡くなりました。
54歳の若さでした。
藤巻さんは、伊勢丹時代、“カリスマバイヤー”と呼ばれて
数々のプロジェクトに携わり、
その後は社長として福助の再建やイトーヨーカドーの取締役として活躍。
2010年からは参議院議員を務めていました。
僕が藤巻さんと初めて出会ったのは、
たしか藤巻さんが伊勢丹を辞めた直後の飲み会の席でした。
テリー伊藤氏をさらにいかつくしたような藤巻さんの風貌に、
初対面の僕はややビビってしまったものの、
彼が伊勢丹の出身であることを知り、
すぐに彼と打ち解けて話すことができました。
藤巻さんは見た目と違って腰が低く、とても気さくな人でした。
伊勢丹は、かつて僕が大学時代にアルバイトをさせてもらったデパートです。
当時の僕は、駆け出しの物書きとして大先生のカバン持ちをしたり、
10分番組1本500円なんていう安価な原稿料でラジオの台本を書いていました。
が、当然、小遣いに窮してしまう。
なにしろうちの父は、会社を経営する自分の後継者にするために、
僕を理工学部に進ませたかったのに、
肝心の僕は真逆ともいえるナンパな世界に足を踏み入れ、
しかも、父に尾っぽを振って擦り寄ることもしなかったために、
学費こそ出してくれましたが、小遣いなどくれようはずがなかったからです。
やりたいことをやりたかったら自分の金でやれ、の主義です。
そこで、当時レナウンに勤めていた叔父のツテで、
時間の空いている時に、
伊勢丹の紳士服売り場でアルバイトをさせてもらうことにしたのです。
これは渡りに船でした。
なぜなら僕はもともとアイビー少年だったので、
アイビーファッションの殿堂ともいうべき伊勢丹でバイトできることは、
なによりも嬉しいことだったのです。
そして、この伊勢丹で、僕にはさまざまな邂逅がありました。
中でも、当時、バイヤーを務めていた市川昭司さんとの出会いは、
僕の人生を変えるほど大きなものでした。
ほどなく僕がバイトをする売り場の係長になった市川さんは、
仕事の帰りは必ず他の部下と一緒に僕を飲みに連れて行ってくれたものです。
また、当時市川さんは伊勢丹に勤務しながら、
母校・慶應義塾大学のスキー部の監督も務めていたので、
冬になればたびたびスキーにも連れて行ってくれ、
公私にわたって大変に可愛がってくれたものでした。
やがて、僕がいよいよ卒業するという時は、市川さんから、
「お前、うちに来る気があるなら上にちゃんと話を通すぞ」とまで言われ、
一時は本当に伊勢丹に入れてもらおうかどうしようか、
進路について真剣に悩んだものでした。
しかし、大きな岐路、選択の時でしたが、
結局、僕は将来どうなるかわからない物書きの道を選んだのです。
まぁそれも人生だったのでしょう。
その後、市川さんは伊勢丹の常務取締役となり、
請われて、先年まで京急百貨店の社長を務められました。
藤巻さんは、そんな想い出の多い伊勢丹で、
しかも僕の人生の師ともいえる市川さんの下で、
バイヤーの道を歩んだ、いわば“もう一人の僕”のようなものかもしれません。
なぜなら、あの時、僕が市川さんに、
「よろしくお願いします」と頭を一つ下げていれば、
今ごろ僕は、伊勢丹マンとして定年を迎えていたかもしれないからです。
あれからもう35年以上が経ちます。
さて、そんな想い出話はさておき・・・
急逝した藤巻さんの運勢の分析をしましょう。
藤巻さんはこの2月4日に年運の天中殺が始まった午未天中殺。
そう、このところ僕がブログで書きつづってきた
斉藤佑ちゃんや浅田真央ちゃん、
新垣隆さんや小保方晴子さんらと同じ天中殺のグループなのです。
この午未天中殺は、算命学の立体五行説でいうと、
未来を意味する南方が欠けているため、後継者に恵まれぬ、
いわゆる家系を締めくくる「末代運」といわれ、
何かをまとめて終わらせるという役割を持っています。
藤巻幸大 1960年1月5日生まれ(54歳)
〈陰 占〉 〈陽 占〉
生日 生月 生年
壬 丙 己 牽牛星 天禄星
午 辰 子 亥 車騎星 石門星 貫策星
未 天庫星 禄存星 天将星
天 戊 癸 壬
中 乙 甲
殺 癸
藤巻さんは、陽占の中央に石門星、中年期の従性に天将星を持つ、
まさに典型的な組織のトップ、リーダーたる人間。
これは、安倍首相や小沢一郎氏、楽天の三木谷社長と同じ星の組み合わせです。
そんな藤巻さんは日干が壬水なので、
天中殺の今年は年運に鳳閣星が回る鳳閣星天中殺の年です。
鳳閣星には、健康、食禄、中庸、公平、バランス、のんびり、穏やかなどの意味があり、
今年はこれが中殺されてしまうために、なによりも健康面に障害が出やすいのです。
ゆえに、今年はずばり病気運の年。
しかも、藤巻さんの大運(十年運)を見ると、
藤巻さんは9歳から10年ごとの運が変化する9歳運なのですが・・・
《大運》
9歳~乙亥 調舒星・天禄星 △ △ 自刑
19歳~甲戌 鳳閣星・天南星 冲 △ △
29歳~癸酉 石門星・天恍星 合 破 △
39歳~壬申 貫策星・天貴星 半会 △ 害
49歳~辛未 玉堂星・天印星 △ 害 △
位相法で39歳から59歳までは、亥‐申、子‐未と、
無理をすると体調を崩しやすい害がかかっていました。
しかも、今月3月は丁卯の月なので、日支の辰と卯‐辰の害。
僕も数多くの例を見てきましたが、
鳳閣星天中殺の中の害の重複は本当に怖いです。
とはいえ、鳳閣星天中殺と害が重なる時ばかりが怖いのではなく、
それ以外の天中殺の時ももちろん注意が必要ですし、
必ず体調を崩すというわけではありません。
重ねて言っているように、占いは《転ばぬ先の杖》なんです。
ふだんよりも、そうなる可能性がより以上に強いので、
注意をしようということです。
最後になりましたが、好漢・藤巻幸大さんのご冥福を心からお祈り致します。
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54歳の若さでした。
藤巻さんは、伊勢丹時代、“カリスマバイヤー”と呼ばれて
数々のプロジェクトに携わり、
その後は社長として福助の再建やイトーヨーカドーの取締役として活躍。
2010年からは参議院議員を務めていました。
僕が藤巻さんと初めて出会ったのは、
たしか藤巻さんが伊勢丹を辞めた直後の飲み会の席でした。
テリー伊藤氏をさらにいかつくしたような藤巻さんの風貌に、
初対面の僕はややビビってしまったものの、
彼が伊勢丹の出身であることを知り、
すぐに彼と打ち解けて話すことができました。
藤巻さんは見た目と違って腰が低く、とても気さくな人でした。
伊勢丹は、かつて僕が大学時代にアルバイトをさせてもらったデパートです。
当時の僕は、駆け出しの物書きとして大先生のカバン持ちをしたり、
10分番組1本500円なんていう安価な原稿料でラジオの台本を書いていました。
が、当然、小遣いに窮してしまう。
なにしろうちの父は、会社を経営する自分の後継者にするために、
僕を理工学部に進ませたかったのに、
肝心の僕は真逆ともいえるナンパな世界に足を踏み入れ、
しかも、父に尾っぽを振って擦り寄ることもしなかったために、
学費こそ出してくれましたが、小遣いなどくれようはずがなかったからです。
やりたいことをやりたかったら自分の金でやれ、の主義です。
そこで、当時レナウンに勤めていた叔父のツテで、
時間の空いている時に、
伊勢丹の紳士服売り場でアルバイトをさせてもらうことにしたのです。
これは渡りに船でした。
なぜなら僕はもともとアイビー少年だったので、
アイビーファッションの殿堂ともいうべき伊勢丹でバイトできることは、
なによりも嬉しいことだったのです。
そして、この伊勢丹で、僕にはさまざまな邂逅がありました。
中でも、当時、バイヤーを務めていた市川昭司さんとの出会いは、
僕の人生を変えるほど大きなものでした。
ほどなく僕がバイトをする売り場の係長になった市川さんは、
仕事の帰りは必ず他の部下と一緒に僕を飲みに連れて行ってくれたものです。
また、当時市川さんは伊勢丹に勤務しながら、
母校・慶應義塾大学のスキー部の監督も務めていたので、
冬になればたびたびスキーにも連れて行ってくれ、
公私にわたって大変に可愛がってくれたものでした。
やがて、僕がいよいよ卒業するという時は、市川さんから、
「お前、うちに来る気があるなら上にちゃんと話を通すぞ」とまで言われ、
一時は本当に伊勢丹に入れてもらおうかどうしようか、
進路について真剣に悩んだものでした。
しかし、大きな岐路、選択の時でしたが、
結局、僕は将来どうなるかわからない物書きの道を選んだのです。
まぁそれも人生だったのでしょう。
その後、市川さんは伊勢丹の常務取締役となり、
請われて、先年まで京急百貨店の社長を務められました。
藤巻さんは、そんな想い出の多い伊勢丹で、
しかも僕の人生の師ともいえる市川さんの下で、
バイヤーの道を歩んだ、いわば“もう一人の僕”のようなものかもしれません。
なぜなら、あの時、僕が市川さんに、
「よろしくお願いします」と頭を一つ下げていれば、
今ごろ僕は、伊勢丹マンとして定年を迎えていたかもしれないからです。
あれからもう35年以上が経ちます。
さて、そんな想い出話はさておき・・・
急逝した藤巻さんの運勢の分析をしましょう。
藤巻さんはこの2月4日に年運の天中殺が始まった午未天中殺。
そう、このところ僕がブログで書きつづってきた
斉藤佑ちゃんや浅田真央ちゃん、
新垣隆さんや小保方晴子さんらと同じ天中殺のグループなのです。
この午未天中殺は、算命学の立体五行説でいうと、
未来を意味する南方が欠けているため、後継者に恵まれぬ、
いわゆる家系を締めくくる「末代運」といわれ、
何かをまとめて終わらせるという役割を持っています。
藤巻幸大 1960年1月5日生まれ(54歳)
〈陰 占〉 〈陽 占〉
生日 生月 生年
壬 丙 己 牽牛星 天禄星
午 辰 子 亥 車騎星 石門星 貫策星
未 天庫星 禄存星 天将星
天 戊 癸 壬
中 乙 甲
殺 癸
藤巻さんは、陽占の中央に石門星、中年期の従性に天将星を持つ、
まさに典型的な組織のトップ、リーダーたる人間。
これは、安倍首相や小沢一郎氏、楽天の三木谷社長と同じ星の組み合わせです。
そんな藤巻さんは日干が壬水なので、
天中殺の今年は年運に鳳閣星が回る鳳閣星天中殺の年です。
鳳閣星には、健康、食禄、中庸、公平、バランス、のんびり、穏やかなどの意味があり、
今年はこれが中殺されてしまうために、なによりも健康面に障害が出やすいのです。
ゆえに、今年はずばり病気運の年。
しかも、藤巻さんの大運(十年運)を見ると、
藤巻さんは9歳から10年ごとの運が変化する9歳運なのですが・・・
《大運》
9歳~乙亥 調舒星・天禄星 △ △ 自刑
19歳~甲戌 鳳閣星・天南星 冲 △ △
29歳~癸酉 石門星・天恍星 合 破 △
39歳~壬申 貫策星・天貴星 半会 △ 害
49歳~辛未 玉堂星・天印星 △ 害 △
位相法で39歳から59歳までは、亥‐申、子‐未と、
無理をすると体調を崩しやすい害がかかっていました。
しかも、今月3月は丁卯の月なので、日支の辰と卯‐辰の害。
僕も数多くの例を見てきましたが、
鳳閣星天中殺の中の害の重複は本当に怖いです。
とはいえ、鳳閣星天中殺と害が重なる時ばかりが怖いのではなく、
それ以外の天中殺の時ももちろん注意が必要ですし、
必ず体調を崩すというわけではありません。
重ねて言っているように、占いは《転ばぬ先の杖》なんです。
ふだんよりも、そうなる可能性がより以上に強いので、
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