佐倉市議会はしおか協美
市政にキョウミ
 



只今、83歳の夢を募集しています。

女性が世界首位の86.8歳、男性が世界6位の80.5歳の日本...

ニュージーランドの小さな島で誕生した平均年齢83歳の “ 世界最高齢ヒップホップダンスチームが

ラスベガスで行われる 世界最大のヒップホップダンスの大会に出場しようと奮闘するドキュメンタリー映画を見ることが出来た。

最高齢は94歳。耳慣れないリズムに、持病もあるし、旅費もない。

「今が一番楽しい!」と前向な彼らの前向きな姿に感動し、ラスベガスで何万人を前に踊り、

若い観客から総立ちの大喝采を受けた事に、感涙!

高齢者がなるべく要介護状態とならないように、介護が必要な人もそれ以上悪化させないようにするために、

住み慣れた地域で自主的・継続的に介護予防活動に取り組むことができる「通いの場」づくりを目指して、

地域介護予防活動支援事業を佐倉市では追加募集をしていますが、すでに事業を開始している

アクティブシニアのお兄様お姉さま方からは、ちょっと物足りないとの声をチラホラ頂いています。

平均年齢83歳の “ 世界最高齢ヒップホップダンスチームが、自分らしく生きる通いの場を作ったように、

10人から35人までの団体、グループで、地域介護予防活動支援事業をするには、その地域、そのメンバーそれぞれの事情に

沿った活動ができるようにする工夫と後押しが必要ではないかと思います。

今日の映画『はじまりはヒップホップ』で、生き生きと元気になっていく平均年齢83歳の “ 世界最高齢ヒップホップダンサーを

みて、更にその思いを強くしました。

平均年齢にちなんで、“83歳の夢”を募集しているそうです。

●応募締切:10月31日(月)
Facebook『はじまりはヒップホップ』の記事のコメント欄にお名前と「83歳の夢」をご投稿できます。

最高齢ダンサーの94歳の夢を考えるのもまたステキ。

考えることで、自分は最期までどう生きたいかが、みえてくるのではないかと思います。

観るチャンスを下さった方々に感謝!

 

 

 

 

 



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佐倉市出身の佐藤優香選手が、リオオリンピックトライアスロンで大健闘15位です。

スイム1.5キロ、自転車40キロ、ラン10キロの過酷な競技を自転車では第一集団の中で

一時は6位まで順位を上げ頑張っていました。

厳しい練習を積んで、自分らしく頑張る姿は、美しく感動的でした。

東京オリンピックでの活躍が今から期待されます。


昨日、開催しました議会報告会では、NPO千葉・在宅市民ネットワークビュア代表藤田敦子さんに

「最後まで自分らしく生きる」について講演して頂きました。

講演の感想には、

「自分自身の選択・意志・家族の同意は既に得ている」ものの、改めて『自分らしく生きる、

最期を如何するか』に関して自信を持つことができました。」

Kさんブログには、

「ご近助力を深めることは防災だけではなく、終活でも必要な人間関係なのだ。

延命治療は受けない、病院よりも自宅で人生を全うするようにしたい。

そのために家庭医の先生、そして家族と話し合っておかなければなならないと思う。」

と、ありました。

私の公約の一つに「最期まで自分らしく住める佐倉市」を掲げていますので、

まずは、後援会の皆様に自分らしく生きるには?について考えるきっかけづくりを

させて頂きました。

今後も、段階を踏んで「市民が自分らしく生きる」ために取り組んでまいります。




 



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東京医療センターの本田美和子先生が、認知症ケア ユマニチューの講義と実技ユマニチュードを広める市民に広めるために、

イヴ・ジネスト先生とロゼット・マレスコッティ先生が確立された、認知症ケア「ユマニチュード」の勉強会を開催。

お二人は、体育の先生で、病院では「動かないで下さい」が主流の中、「動いて下さい」ということを提唱し 1982年から患者さんを

ベットから起こすようにするための技術をユマニチュードとして確立された方です。

クローズアップ現代やEテレで観た方も多くいらっしゃるかもしれませんが、このユマニチュードで寝たきりの方が、立ち上がるという

劇的な変化をもたらしたのを目の当たりに見て私自身びっくりしたのを覚えています。

イヴさんは、拘束抑制の現実を知り、重い患者さんの清拭や着替をする中で、生きるためには動き、最期まで寝たきりにしないために

自由の大切さ、患者さんの価値観、愛・自由・幸せ哲学を生かすユマニチュードの技術を

実践し体験し現実と結びつけていきました。

怒ったり、怒鳴り声をあげコミュニケーション取れない認知症の患者さんに対して

「見る」「語りかける」「触れる」ことで、脳のスイッチをオンにし、関節を動かし、本人の力を生かし、話しかけ、呼びかけることで

笑顔で立位が取れて最期を迎えることができるように導く過程を見せて頂きました。

オキシトシン分泌指令、目を合わせる試み、実況中継しているように優しく話しかけ続け

見つめる(視線を合わす)、触れることで、ねたきりにならない。

認知症の方は、視界の中心の人しか見えないので真横から話しかけると全く気づかれない事があり、

3メートル正面から近づき、 20センチ正面から語り掛け、応答フィードバッグをし、

目を見てくださいと語り掛けながら優しく触れる。

清拭を嫌がっていた認知症の方も、気持ちよく背中を洗ってもらい、 右手を自ら上げて、左足伸ばす。

こんにちはと話しかけ、目を見て話しかけることで、ありがとうと返答が返ってくる。

「ケアされる側もする側も人間なんです」とイヴさんは伝えるとおしゃっていました。

ロゼットさんの講演では、人間は動物であり出産で誕生後、 愛を伝えるには、 見ることと話しかける言葉のトーンが重要であり、

指をつかわず手のひら以上の面積で包み込むように優しく触れることの重要性をわかりやすく説明して下さいました。

人生を通して 「ネガティヴな関係」触れ方に意味があり、情報が頭の視床に入り、扁桃核で感情で反応する。

その情報を分析する大脳皮質へ運ばれても大脳皮質が欠けているアルツハイマーの患者さんの脳では分析出来ないので

触れる事の意味が理解できない。覚えてないけど「懐かしい」。

触れるといっても、指先でつかむと、お前が嫌いと伝わってしまうそうです。

正常に生まれた後に、愛情を注ぐことで第二の誕生となり、見る 話す 触れるで脳が発達できる。

愛情をこめて見る 話す 触れるがなければ、30パーセントのこどもが死んでしまうか、自閉症に似た症状を表し、脳が発達出来ないそうです。

寝たきりで反応が無い認知症の患者さんの部屋でも入室する時にノックをすることで、 出会いの準備ができる。

ノックすると大抵気づいてくれる 。

ケアを拒否する認知症の方でもケアの準備を整え、関係を築くことが重要で、あなたを愛しているというのは、

知覚の共有をし、関係を固める事で、大脳皮質は覚えてなくても感情は覚えているそうです。

出会いの準備、ケアの準備、感謝の固定、再会の約束。

手を縛られて生きていけるか?生きたくない。!人間である事を伝え、 立位を取ることが第三の誕生となる。

人間は、愛を与え、受け取るための動物であり、患者さんは自分で治す事が出来るのは、愛情や絆があるから

生きたいと思う からだと、 ロゼット・マレスコッティ先生が講演を結びました。

生存科学研究所青木先生、東京医療センター武田 純三病院長、大熊由紀子先生はじめ多くの先生方の後押しがあって、このユマニチュード

が広まりつつあることに、物事が動き進む過程も学ぶことが出来ました。

認知症情報学から考えるケア分析をされている静岡大学の石川翔吾先生が、「根拠に基づく医療」と同様に「根拠に基づくケア」へ

するために従来型ケアとユマニチュードのケアについて、映像から数値化したことでこのユマニチュードの広がりにもつながっています。

イヴ・ジネスト先生とロゼット・マレスコッティ先生が30年前から「ユマニチュード」取り組んできた中で、

高齢者に特化していなかったと述べておられましたが、まさにその通りで、

子育てをする中で、パソコンやスマートフォンの画面から目を離し、子どもと目を合せ、優しいトーンで話しかけ、触れるだけで

物やお金に頼らずとも十分に愛情が伝わるのですね。夫婦、親子、兄弟、上司部下、友人関係もですね。

医師、看護師、介護士さん他現場の専門職で30〜40代の受講者が多くいらっしゃいました。

認知症の家族と対応する家庭が現場となっている悩み多き市民のお役に立てないか模索中です。





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知人Kさんからのご報告 「来年の4月1日(土)〈於 東京オペラシティー コンサートホール〉14:00開演には、
 
病魔に屈することなく(また、エイプリルフールに終わることなく)なく、今と変わらぬ姿で出演できるよう精進いたします。
 
合唱団員は総勢153名(事務局によると経験者が50名)でスタートしました。
 
合唱指揮者山田和樹氏は、「高齢者の第九を20年指導して歌えなかった人は一人もいなかった」と豪語する熱き指導者。

「ベートーヴェンの第九には魔法がかかっているので誰でも歌える」
 
「がん患者からといって一切の妥協はなく、音楽として演奏者、聴衆に100%以上の満足を与える方。安心してついてきてください」
 
日本人の二人に一人ががんになり、三人に一人ががんで亡くなる中、余命宣告されたにもかかわらず、
 
いつも前向きなKさんのメールは常に前向きで、こちらが励まされます。
 
来年4月1日の公演は楽しみに伺います。
 
まさに最後まで自分らしく生きることを実践されているKさんはじめがん患者さんの公演を応援ください!
 
 


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Kさんのブログによると、年末に亡くなられた東山先生は、亡くなる前日までご自分の葬儀のことやお墓のことなどを話され、

休診はするなよという言葉を残して亡くなられたという。

金曜日だったので土日に家族葬を済ませて、月曜日から診療を行ったそうです。

病院受付に、貼りだされた職員一同の送別文に私も感動をし、感謝をこめて、その全文を掲載させていただきます。

 先生が東山胃腸科外科を開業されたのは昭和五十二年十月十日でしたね
 当時は病院の数もまだ少なく
 食事がままならならぬほどの忙しさでした
 午前・午後は外来患者さんを診察し
 昼休みになると往診に出かけ 手術をし
 入院患者さんの回診をする
 夜間の急患は
 白々と夜が明けることもありました
 心優しい先生も 仕事になると”モーレツ”
 私たちもミスがあったら大変と
 いつも気が抜けなかったのを思い出します
 先生は一度診た患者さんや物のありかは
 恐ろしいほどよく覚えていらっしゃいました
 偶(たま)の海外旅行以外は遊びにも出かけず
 お出かけになっても
 もう帰ることを考えていらっしゃる
 そんな診療ひとすじだったお姿は
 私たちに沢山のことを教えてくださいました
 あのすばらしい筆文字も
 もう見られないのですね
 一同はいま言い尽くせない感謝の気持ちで一杯です
                   職員一同



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