佐倉市議会はしおか協美
市政にキョウミ
 



佐倉市では佐倉市平和行政の基本に関する条例に基づく事業として、平成8年から毎年、市内の中学生代表が被爆地を訪問し、戦争の悲惨さ、平和の尊さを学ぶ佐倉平和使節団を実施しています。

平和使節団の目的は、被爆地を訪問することだけではなく、現地で学んだことや平和の大切さを、自分の言葉で周りの人たちに伝えることにもあります。

さらには、中学校の生徒代表者のみならず佐倉市の子どもたちがこの平和記念資料館に行けるようになったら良いのではないかと感じたと同時に、京都はオーバーツーリズムが課題となりつつありますので、団体旅行の場合、京都と広島では、旅費も大きく変わらないことから検討の余地があるのではないかと考えています。

我々が平和記念資料館に伺った時も沢山の中学生が来ていましたし、資料館の展示が我々に問いかける形でそれぞれが平和について考える良い学習になると思います。







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佐倉市平和式典では、毎年、被爆地
広島、長崎を訪問した中学生が中心に執り行われています。

今年は台風の影響で長崎訪問は中止となったそうですが、被爆者の体験を聞いたり、8月9日の長崎での式典をライブで見たそうです。
感想はそれぞれだと思いますが、平和の尊さと命の重さを感じたようです。

私は、佐倉市平和式典に参列し、忠霊塔でお参りし、靖国神社へ。





『来てあげなくちゃ戦友たちが可哀想でしょ』と、生前言っていた亡父に替わり参拝。

午後3時過ぎでしたが、まだ行列は続いていました。生きたくても生きられなかった方々が苦しんで苦しんで残してくれた平和を噛み締めました。

ところで、「月光の夏」という映画をご存知でしょうか。
1945年初夏、太平洋戦争の末期、鳥栖国民学校(現鳥栖市立鳥栖小学校)を、陸軍の二人の特攻隊員が訪れたお話です。

そのうちの一人は、音楽学校ピアノ科の学生で、翌日特攻隊として知覧(鹿児島県)へ向かうことが決まっており、今生の思い出にどうしてもピアノを弾きたいと、目達原駐屯地(現三田川町)から歩いてきたと言うのです。

その隊員は、ベートーベンのピアノソナタ第14番「月光」を弾き、その演奏に立ち会った上野さんと子供たちは「海ゆかば」で二人を送り出したのだそうです。

涙。

先日、佐倉中央ロータリークラブがイオンタウンにストリートビアノを贈呈しましたが、いつでも弾けるビアノがある平和と幸せは当たり前ではないと改めて感じました。





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このコロナ禍でまだ結婚式を挙げてない娘がいます。

婚姻届も娘、婚約者、両家両親の間を郵便で

往復して娘が届けを提出しました。

なので、少なくとも娘婿のご両親様との距離を

縮めようと両家両親で食事をした後は、女子会

と称してランチしたりミュージカル観に行った

り重ねて昨日は、行列のお店に1時間一緒に

並んでから飲茶を楽しむことが出来ました。

人と人と同じように

国と国も不断の外交関係が平和を生むのでは

ないかと思った女子会でした。
(昨年9月24日の投稿です。)




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『鎮魂と平和の桜ー陽光桜
陽光桜の生みの親である高岡正明氏は、先の大戦中に青年学校の教員をしており、多くの教え子たちの戦死を目の当たりにしました。子どもたちの中には、暑い国で命を落とした子もいれば、寒い戦地から帰ってこなかった子もいました。

戦後、高岡氏は、その教え子たちの鎮魂と世界平和を願って各地に桜を贈ることを決意。しかし、当時どんな土地にでも適応する桜はありませんでした。

そこで、200種類もある桜の中から交配を試し続け、ようやく寒さに強い「アマギヨシノ」と暑さに強い「タイワンヒザクラ」を選び出し、25年かけて生まれたのが「陽光」なのです。』

岸田総理がウクライナを訪問したのと時を同じくして、陽光桜が咲いたのは、とても意味深いものと感じています。
陽光桜に平和を祈リ、WBC野球の試合でアメリカとスポーツ対戦できる平和に感謝したいと思います。


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台所と行ったり来たりの合間に

紅白の歌で忘れられない歌詞がありました


・・・子どもの命を

全力で守ること

それが自由の誇りさ・・・


桑田佳祐作

時代遅れのRock’n’Roll Band

桑田佳祐、チャー、佐野元春、野口

五郎、世良公則

平和への願いが叶いますように!




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