佐倉市議会はしおか協美
市政にキョウミ
 



毎年父は8月15日に参拝していました。

『来てあげなくちゃかわいそうでしょ』

亡くなった戦友達に唯一寄り添える場所だった

んでしょう。

私も幾度か付き添いました。

時には孫を連れて。

お昼は娘が一生懸命貯めたポイントでランチ。

ご馳走さま。

午後は『スラムドックミリオネア』をお世話い

ただき観劇。素晴らしかったです。

疫病、戦乱、事故、災害、病気、

スラムから生きるために見せ物になったり

心身不自由にされたり

生きているのは当たり前でない事を痛感した

終戦記念日でした。


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きのこ雲原子爆弾炸裂し
奇跡の命母から繋ぐ
 
母にとっての曾孫を連れて娘が今日、退院して
 
きました。原子爆弾を投下した飛行機が過ぎ
 
去ってすぐのピカドン、そしてきのこ雲、皮膚
 
をたらした人々が一晩中通りを抜けていくのを
 
見た母だから、自分の主張のために人を責めな
 
い、悪口を言わない、争いごとを増やさない。
 
一生かけて学び続け、生き残ってくれた事、産
 
んでくれた命に感謝していきます。


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所用で都内の帰りに寄り道。

夕暮れ時でしたが、傾く太陽に照らされてきれいでした。しかしながら靖国神社の満開桜はやっぱり物悲しいです。
ハルビン〇〇連隊とか〇〇連隊の会とかが植樹したもの🌸

2度と日本で桜を見ることが出来ない戦友のために毎年花を咲かせていると思うと胸が締めつけられます。

我々日本人も侵略戦争をしてしまった過去を忘れてはいけないですし、その戦争に召集された人々(父も)が一生悔い生きながらえたことも忘れないようにしています。










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子どもが小学生の頃「どうして戦争が無くなら

ないの?」と、質問された事があります。私は

「兄弟喧嘩が無くならないのと同じよ」と、応

えました。我が家では、兄弟喧嘩が起きても親

たちはどちらにも加担せず、2人でぎゅうぎゅう

(世に言うハグ)して「ごめんね」と、言うよ

うにしていました。イヤイヤぎゅうぎゅうし

て、イヤイヤ「ごめんね」を言うわけですが、

いつの間にか仲直りしていました。

・・・大人になると仲直りは難しいですかね


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亡父は76年前の今日、ジャワ島でこの日を迎えるまでに沢山の戦友を亡くしました。現役を引退してからはほぼ毎年、815日は靖国神社を参拝していました。何かを主張するためではなく、単に命をおとした戦友たちと会うために。

本日の終戦の日の式典で天皇陛下が不戦を誓うとともに新型コロナについては「私たち皆がなお一層心を一つにし、力を合わせてこの困難を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います」と述べました。

感染拡大が止まらない中、考え方の違いに対して相手が倒れるまでやり込める風潮ですが、大雨被害に対しても今こそ心を一つに力を合わせられないかと静かに願う一日でした。合掌


(青空を願ってロンドンから送られてきた写真を添えます)



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