佐倉市議会はしおか協美
市政にキョウミ
 





戦争でなくなられたかたがたのご冥福をお祈りし、恒久平和を祈念するため、佐倉市民音楽ホールで佐倉市戦没者追悼式

が挙行されました。

遺族代表の言葉を述べられたN樣は、お父様が出征中に生まれたのでお父様と会った事もなく、

お父様は昭和19年11月1日にレイテ島へ、そして食料も弾薬もない中で戦死されたそうです。

38歳になって初めてレイテ島の慰霊式に参列し、亡きお父様に初めて会った気がしたと伺い、

胸に迫るものがありました。

これまでの戦争で亡くなられた方々の追悼式に参列させて頂く意義を重く感じながら献花させていただきました。

式典最後には、根郷小学校合唱部の美しい歌声が献歌されました。

戦没者追悼式に小学生が参列し、73年前の大戦はじめ数々の戦争ついて学ぶことが、

平和に繋がっていくと願っています。

8月15日の終戦記念日と同じく、過去の戦争で亡くなった10009人の御霊が祀られている市役所敷地内の忠霊塔は開門されています。

ご自由に参拝ください。




早くから準備する担当の皆さん。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 平成30年佐倉市平和式典は、

8月6日の広島市平和式典に参列したばかりの平和使節団の中学生による進行で、黙とうを捧げ、平和の鐘を鳴らしました。

平和条例のある佐倉市の市長として「核兵器のない世界を」挨拶で述べ、平和使節団団長の中学生が、

広島の広島平和記念資料館を訪れたことで学習した、平和の重み、命の大切さについて報告しました。

11歳のときに広島で被爆され、佐倉市原爆被爆者の会の代表の故山本昌司様から、平和使節団事業のために約1億913万円もの

ご寄附をいただき、山本昌司さまのご寄附を基金に昨年度まで各学校1名だった平和使節団派遣が、各学校から男女1名づつになり

今年度は24名の中学生が派遣されました。

これは、山本様から、もう二度と、核兵器を使ってはならない、そして戦争を繰り返してはならないという、

強いご遺志を、私たちに託されたものです。

中学生の感想にありました通り、広島、長崎を訪れて少しでも事実を知ることが大切です。

学校が始まりましたら、中学校でこの平和使節団の経験を皆さんに報告し平和の大切さ、核兵器のない世界を

伝えてほしいと願っています。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






小学生の頃、学校には小児麻痺の子がいました。身近にある病気でした。

自分が社会人になる頃には、ポリオワクチンの接種で小児麻痺と呼ばれる病気は減りましたが、

世界を見渡すとまだまだ沢山存在している病気でした。

病気にむしばまれた子ども達は立つことができないので、手足の4本で歩き物乞する姿を中央東南アジアで見かけたのは30年前。

当時、ポリオのワクチン接種で防げる病とは知りませんでした。

世界単位で取り組まなければ出来ない公衆衛生の向上に取り組み、ポリオゼロを目指しているロータリークラブの国際協議会が終了しました。

世界530地区からの次期ガバナーとそのパートナー、役員、スタッフの約1400名を支えて下さった、黄色いジャケットのSAの皆様、

日本語通訳の方には、大変お世話になりました。

分科会では、韓国のロータリークラブの方々と交流し、記念撮影も出来ました。

世界中に友達が居れば、その国と戦争はしないのではないでしょうか。

集まった1400名という人数が、毎日世界で、防げる病気で亡くなっています。ポリオゼロを達成すれば、

毎年400億円が節約出来る試算です。

島国の日本では、あまり緊迫感がありませんが、イスタンブールのロータリアンと話したところによると、

シリアからの難民が毎日陸路で流入してくる現状では、ポリオが1件発症すれば、3日で世界中に広がる危険があり、

交通網の発達に伴い、日本も運命共同体ということです。

公衆衛生の向上は、易々と解決出来ない難課題ですが、きっと達成出来ると信じています。

今月、佐倉市内で悲しくも残念なことに交通事故で2名の方が亡くなりました。

目指している交通事故死ゼロの達成も難問ですが、

地道にコツコツとやっていこうと思います。

理事の皆様、研修リーダーの皆様、同期次期ガバナー&パートナーの皆様はじめ、世界中の皆様にお世話になりありがとうございました。

日本、千葉県、佐倉市のPRも併せてすることが出来ました。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






佐倉市戦没者追悼式では、ご本人が7ヶ月の時にお父様が出征し戦死なさったので、

お父様のお顔も知らないとおしゃるご遺族の方のごあいさつがあり、戦中戦後の厳しい日々の体験を語られました。

初節句のお雛様を大雪の日にお父様が買いに行ってくれたそうですが、ひな祭りを迎える前に出征した事をお母様から聞いたそうです。

私を含めて物が溢れる戦後生まれの我々は、平和を守るために戦中戦後のこのようなお話を何度も伺い、語り継ぐことが大切です。

これまでの戦争で亡くなられた方々の追悼式に参列させて頂く意義を重く感じながら献花させていただきました。

式典最後には、小竹小学校合唱部の美しい歌声が献歌されました。

戦没者追悼式に小学生が参列し、72年前の大戦はじめ数々の戦争ついて学ぶことが、

平和に繋がっていくと願っています。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





佐倉市平和式典に参列させて頂きました。

黙とうに続き、市長挨拶、平和の鐘点鐘。

中学生による佐倉市平和使節団の発表がありました。

「佐倉平和使節団」は市内の各中学校の代表が被爆地を訪れ、戦争や原爆の悲惨さと平和の尊さを学ぶ

の活動です。

今年度の佐倉市平和使節団は、市内中学生の代表12名の団員が8月8日から8月10日の日程で

長崎市を訪問いたしました。

長崎で全国ピースフォーラムや慰霊平和式典に参列した中学生の報告では、

レンガを一つ一つ積み重ねて30年がかりで再建した浦上天主堂はじめ、

長崎の町が原爆による高温と爆風で跡形もなくなった72年前の8月9日の

人々の思いと願いを聴くことが出来たそうです。

中でも全国の同世代との意見交換の時間では、戦争という重い話題を同世代で学び、

話す経験をし、意見がそれぞれ違っていても

被爆者を出したくないという同じ思いを共感出来、過去があって今があり、

教訓忘れず、一人一人が考え、話し合いで解決する力を養うことこそ

私たち世代がやらなければならないことだと結びました。

平和使節団の目的は被爆地を訪問するだけではなく、現地で学んだことを学校の集会で発表することで

戦争と原爆の悲惨さと平和の大切さを伝えることにありますので、各中学校での発表が楽しみです。

式典参列前に忠霊塔を参拝し、平和を祈念いたしました。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »