佐倉市議会はしおか協美
市政にキョウミ
 



長崎に原爆が投下された日から76年。
無事に男の子を出産し、家族みんなで祝っているその時に原子爆弾がさく裂し、喜びと希望が新しい命と共に全てを失ってしまった家族の事を広島の松井市長の8年前の平和宣言に引用されていました。
何の落ち度もない老若男女の命を奪ってしまうのが戦争です。
これは、決して忘れてはならない事ですし、平和な世界を実現するための原動力の一つであります。
また、人から頂いた恩恵や自分の初心、自然から頂いた恵みも忘れてはいけない事です。
人のためにしたこと、人から受けた不利益は、恩着せがましくなったり、恨みがましくなったりしないように忘れたほうがいいと、その当時先輩が仰っていました。
この、忘れてはいけない事、忘れたほうがいい事を頭の中で整理し実行するのはかなり難しいものです。
忘れ方も結構難しいともありました。
原子爆弾が広島、長崎に投下され、多くの命が一瞬にして奪われた事実は、忘れていけない事ですが
恨んでやり返す、ドラマで流行った10倍返しなんてことを考えてはいけないという意味ですね。

そして、忘れる段階にはほど遠い東北の大震災や大雨で被災された方々の苦しみや、コロナ禍で苦境に立たされている方々、日々他から不利益を受けている方々の思いに寄り添っていきたいと思っています。

この写真は長崎市への原子爆弾投下の際のキノコ雲です。米軍の爆撃機B29から撮影された写真ですが、地上からこのキノコ雲を見た母のその後の体験は壮絶なものでしたが、愚痴や恨みつらみを言ってるのを聞いた事がありません。心の底から平和を願っているからでしょうね。頭が下がります。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今日は終戦記念日。

75年前に長崎で被爆した母は、終戦

の玉音放送が終わると直ぐに米国の

軍艦が長崎港に入港してきたのを見

て、日本が置かれていた状況を改め

て痛感したと言います。

コロナ禍真っ最中の世界が、再び戦

争をすることがないようにと心から

願い、誓う1日です。

午前中は、黙々とゴミ拾いに参加し

ました。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




手前の黄色いバラは「ピース」 戦争を止めるタイミングが何度もありながら

広島、長崎に原爆が落とされ尊い命が失われたことが悔やまれます。

毎年、被爆地に平和使節団として中学生を派遣している佐倉市には、

平和条例があります。 広島、長崎に原爆を落とされた日を正確に答えられた割合は、

3割以下という調査結果もありますので、きちんと歴史を知り、

条例を守る佐倉市にする取り組みを進めるためには、長崎市長がおっしゃる通り、世界中の人々が核軍縮について当事者意識を持つことだと改めて感じました。

これはコロナウィルス感染防止も同じですね。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






終戦記念日の意味が毎年、重みを増してく

る気がします。

戦争が無く平和であることは当たり前では

なく、有り難い事だと子ども達の笑顔を見

るたびに思います。

今朝は所用で娘に手を引かれ、昼には母の

手を引く。

74年前の長崎で、生き抜いた母に改めて

感謝!

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





同期の中でも頑張り屋さんの彼女は、JAL

退職後は大学に戻り、学びを続け大学で

非常勤講師をしながら、ビルマ戦の研究と

次世代に繋ぐ活動をしています。その彼女

の新聞記事が掲載され、御巣鷹山の記事と

並んでいることにも命の重さを感じるもの

がありました。

ぜひ読んで下さい。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »