会社に勤めていると打ち合わせをする。社内の人との会議もあれば社外の方との打ち合わせをすることもある。打ち合わせの内容をきちんと決めて短時間で議論を行い、終わったらちゃんと議事録をとって確認する。アクションについては期限を決めてパパッとリズミカルに話をすすめる。まあ、こんな感じだろうか。
でも、研究所にいるころは、この打ち合わせというのが面倒くさくて仕方がなかった。今の時代、メールもあるんだから必要なことはメールで周知すれば済むことを、わざわざ電車賃を使って出向いて行って打ち合わせなんて何でするのだろうと思ったものだ。確かに必要なことはメールで文字にして伝えた方が、あいまいな話でコミュニケーションするより誤解がなくて良いような気もしないでもない。大体私の言うことを黙って聞いて、部下は作業をすればいいと思っていた私に会議は不要だった。でも、人々は打ち合わせをする。たくさんの会議室を奪い合うように予約して、毎日どこかで会議をやっている。自分だって、打ち合わせだらけの毎日を送っている。なぜか。
それはたぶん、会議をすると出席している人同士の相互作用があることが重要なんじゃないかと思う。メールで何かのメーッセージを相手に送ったとする。そのメールを受け取った人が、どのように思ったかを知るすべはない。もちろん、社交辞令の返事は来るかもしれないが、その人の真意をその返信メールからくみ取ることはなかなか難しい。ところが、会議では話はもっとストレートになる。気に入らない話をすれば、相手の人の眉間に皺がよったり、貧乏ゆすりを始めるかもしれない。そういうリアクションを目の当たりにすると、「おっとこれはまずい。」ということで、提案を少し変更することもあるかもしれない。そんな会議の参加者間の見えないリンク(相互作用)が会議の最も大事なことなのだ。
相手が自分の意見に賛成したか反対したかということは、実はたいしたことではないのかもしれない。いろんな反応によって会議に微妙なバランスが形成されることを意識してはどうだろうか。あまり極端な意見を出すと、そのバランスは壊れてしまうに違いない。そんなカタストロフィにいたらなくても、いろんなバランスが会議には存在しうる。そういうバランスをコントロールする人、もしかするとあんまり意見も言わずに、会議室の端っこでお茶を飲んでいる人なのかもしれない。ほら、さっきの会議にもいたでしょ、そんな人。
会議をしましょう、会議。結構楽しいかも。