少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

スキャナ

2005-05-31 22:46:42 | 写真
すぐに買おうと思っているわけでもないが、昼休みにヨドバシに行ってスキャナを見た。
安い機種だと1万円を割ったものもある。1万5千円くらいだと35ミリのフィルムをスキャンできたりする。ただ、そのくらいだとブローニーのフィルムは対応できない。ブローニー対応だと2万5千円というところだろうか。

フィルムをそのまま取り込めると、ちょっとしたプリントならお店に出さなくても済むようになる。それは魅力だが、紙もそれほど安くはないし数十円位のコストは発生するだろう。

多分、解像度は安いものでも問題はないから、買うとしたら安物でいいかな。

それにしても、あんな光学電子機器を一万円以下で売れるメーカーってどういうコスト構造になっているんだろうか。数つくるったって、ねえ。

ドブソニアン

2005-05-30 22:57:30 | 天体観測
ドブソニアンというのは望遠鏡の一種である。反射望遠鏡を徹底的にコストダウンして、眼視に徹したものである。赤道儀とかそういう複雑な制御の世界とは全く無縁の代物で、胴体は木だったりする。

僕の持っている望遠鏡は85mmの屈折望遠鏡だ。ハイエンドのも望遠鏡でお値段も半端ではない。そのぶん作りもとてもしっかりしている。それはそれでいいのだが、望遠鏡の性能の一つにその直径がある。基本的に直径が大きいほど性能が高い。もちろん、作りの良し悪しでずいぶん違うことは確かだが、いくらこった作りでも直径の大きさをひっくり返すことは難しい。

要するにたくさんの光を集めるので暗い対象まで見え、さらに分解能が高くなる。これはどうしようもない。

都会の天体観測では、暗い遠くの銀河などはなかなか見えないが、散開星団や球状星団だとそれでも見える。散開星団などは、都会で見てもとても美しい。しかし、球状星団ではそれぞれの星を分解して見ることがどうしても出来ない。有名なM3でボーっとした雲のようにしか見えないのだ。

ドブソニアン。安いキットだと6万円ほどで手に入る。きっと85mmでも見えるのだろうけど、僕の修行レベルではどうしてもうまくいかない。うーん。また物欲に負けちゃいそうな予感。20cmの直径ってどんな見え方するんだろう。でも安物はやっぱり安物なのだろうか。


拡大レンズ

2005-05-30 22:44:32 | 写真
僕はハッセルのレンズは80mmの標準レンズしか持っていない。なんたって、値段の高いハッセル、レンズったってそう簡単に買うわけにはいかない。

でも、ちょっとした小物や花の写真を撮ろうと思うと、90cmほどまでしか寄れないレンズだけではなかなか難しいことも多い。

そこで、僕はケンコーの拡大レンズを持っている。NO2というやつとNO4という2つである。値段は2000円ほど(たしか)だったので、ハッセルレンズに比べればただのようなもの。それでも拡大レンズをつけると、それなりに大きくなっていろいろと写真を取れる。花の写真を撮るのが大好きなので、拡大レンズは手放せない。

が、このレンズをつけてとった写真というのが、なんというか眠い感じになるのだ。ネガを見ただけでも違いが分かるなんか、フニャーとしているのである。それが幸いして幻想的な写真になることもあるのだが、フニャッとなる確率も高い。それから露出も1段くらい余計に光を当てないと暗くなる。

やっぱり、お値段には勝てないのだろうか。といってもすぐに次のレンズに手が出せるわけではないのだが。

自衛隊下総基地

2005-05-29 22:01:50 | 写真
今日は海上自衛隊下総基地で公開イベントがあった。自宅から自転車も15分くらいのところなので、ハッセルを担いで出かけた。

もしかしたら入り口でボディーチェックを受けて、弁当箱のようなカメラが見つかったらどうしようなどと、つまらぬ事を考えながら門をくぐった。結果は、チェックなど何もなく中に入ることが出来た。

中では、対潜哨戒機P3CやYS11、他にはヘリコプター(名前は忘れた)が展示されていた。抽選で当たった人達が、飛行機に乗って体験飛行に出かけていった。

時々飛行機は利用するが、これほど近くに本物の飛行機を見る機会というのはそれほどあるものではない。夢中でカラー一本、白黒一本を撮影した。昼間で結構強い日が差していた。飛行機も白っぽいし、空はもちろん真っ白、滑走路は少しグレーかかったコンクリート。どこの光を拾って絞りを決めればいいのやら。

入射光の測定値も参考にしながら、露出を決める。EI125で15EVくらい。ちょうど体験飛行を終えたYS11と、そのそばで警戒する自衛隊員をセットで撮影した。いい感じ。

こういうイベントでは、35mmカメラに白い望遠レンズをつけ、耳には航空用の無線のレシーバを持っている人がたくさんいた。どうも小さな脚立も標準装備らしく、みんなそれも持っていた。
それにしてもあんな大きな望遠レンズで三脚なしで写真がとれるのだろうか。まあ、今日は明るいのでどうにかなるかもしれないけど。

まだ続く現像実験

2005-05-29 21:45:40 | 写真
引き続き現像実験。

Fuji NEOPAN 400 PRESTOをEI125で撮影した。200のときと比べると2分の一段程度露出が変わることを確認して、18%グレーカードを露出を変えて撮影した。

現像時間は昨日は8分のままにしようと思ったが、それではどう考えてもハイライトが飛んでしまうので、7分40秒に設定した。

印画紙の焼付けは、以前もとめた真っ黒になる最小時間条件、F16,5秒で行った。

結果は、ゾーン1からゾーン8まで諧調が確認できた。ゾーン1は少し苦しいが、0と違うといえば違うくらいの微妙な差ではあった。一応、これで最大の諧調幅が得られたことになる。

ここまで来るのに大分フィルムを使ってしまったが、いろいろと細かいところに気が回るようになった。特にフィルムの現像条件はとても微妙だ。温度も0.1度くらいの精度であわせこんでいるし、攪拌も出来るだけ再現性良く行わなくてはいけない。時間もいつ排出をはじめるカまで秒刻みの制御をする必要がある。

とりあえず、条件だしはここまでにして、今度は普通の写真を撮ることにしよう。

今日の現像実験はハプニング連発

2005-05-28 20:10:25 | 写真
金曜日にフィルムを3本かってきた。ネオパン400は今日も18%グレー板を撮影し続けいてる。

先週の実験では8分の現像時間を7分40秒に短縮した結果、ハイライトはゾーン8まで諧調が得られたものの、ダーク部がつぶれてしまった。

そこで今日はフィルムスピードを200から160に下げ、さらに現像時間を7分50秒に変更して実験を行った。

7分50秒というのはかなり微妙なタイミングだ。というのもいつも7分30秒で3回の倒立攪拌を行っているから、それで大体7秒かかる。一方で液の排出から次の液を投入開始するまでに大体12秒かかるから、7分50秒で現像を終わるとすると最後の攪拌から排液開始まで1秒しか時間的な余裕がないことになるのだ。

結局、今日は3回の攪拌を1回にして、7分38秒から排出を開始した。

ところが、そのことを現像中ずっと考えていて心に隙が出来てしまった。排出するためにマスコタンクのふたを取ろうと思ったら、過って大きいふたが開いてしまった。光が入ってしまったのだ。おまけに、それで動揺して停止液の代わりに定着液を入れてしまった。何たることだ!!

が、これでやめてしまうのものもったいないので、気持ちを入れ替えて定着を続けた。

出来上がったフィルムは非常に薄いネガになった。ざっくり言って7分40秒で普通に現像したものより2から3段分くらい薄い。

途中で光が入ったりしたので、あまり断定的なことはいえないが、ネガが薄いということは途中の露光による影響ではないはずだ。だって余計に光が当たればネガは濃くなるはずだから。

それで、ネガが薄くなったということは、停止中にも結構ネガ濃度は濃くなっていくということかもしれない。

もう一つ、フィルムスピードを160にしたのだが、200に対して160は3分の1絞りだけ露出を多くすることになる。ところがハッセルは絞りの設定が二分の一段でしかかえられない。したがって、200を160に変えてもレンズの設定には殆ど影響しないのだ。目に見える程度の変化を得るためにはもう三分の一段くらいは明けた方がよさそうだ。次回は125まで明けてみることにしよう。

現像時間は、攪拌の関係で7分30秒から8分で大きく条件が変わってしまう。以前の結果をみると8分の方がよさそうなので、時間はそこでとりあえず固定することにする。明日再挑戦だ。

平均や分散のこと

2005-05-25 22:14:50 | 哲学
統計の初歩は平均や分散だろう。一見ランダムに見える現象もそのサンプルを足し続けていくと、母集団が持つ統計的な性質が顔を出してくる。

それって人の人生とよく似ている気がする。個人個人の経験は全くランダムに起こっているような気がしている。これから何が起こるか未来のことは誰も分からない。それはあたかも統計のサンプルみたいなものである。

平均が0.5の母集団のサンプルは、0.1のこともあれば1.5のときもある。それぞれの値はバラばあだから、何が起こるかわからないというのも無理はない。でもそれをどんどん足していくと、そういうばらつきは小さくなって0.5という「神の声」が次第に顔を現すのだ。

そういう風に考えると、人の人生もあらかじめ決められているのではないかとも思える。人生にはいろんなことが起こるのだけれど、長い時間をかけるとそういうバラツキは消えうせていく。その結果残るのは何か。それは人の心の中にあるその人の有り様だ。夢といってもいい。

自らの夢を明確に持ち、その道に向かってこつこつと進むとき、それは長期的には必ず実現する。もし、そうならかったとしたら、それはその人が、「本当に」その夢を望んでいたかあやしいのである。

人間万事塞翁が馬

ということわざがある。それは統計におけるバラツキに気をとられないで、平均という本質を見失わないようにすることが大切ということだ。

心と道具の関係

2005-05-23 22:11:18 | 哲学
昔、まだ人々が心を持たなかった頃、全ての人は自然と一体だった。人は何も望まなかったし、また何も得られないものもなかった。全ては一体だったのだから。

あるとき、それが何の拍子だったかは定かではないが、人は心を持った。多分偶然だろう。

心を持った瞬間、人は何かを望むようになり、それが得られない焦りや憧れを抱くことになった。

心をなくせば全ては満たされる。しかし心のないところに望みもない。

心はその不完全さゆえ、道具にその思いを託すようになった。自らの思いのたらなさを道具に頼ったのだ。

別にハッセルブラッドを使わなくてもいい写真は撮れるに違いない。心を無にして自然と一体になることが出来れば使い捨てカメラでだっていい写真は撮れる。いや、。究極にはカメラなんかなくても写真は撮れるに違いない。

いいカメラに頼る心はカメラマンの心の弱さの現われなのだ。

でも、どんな強靭な心を持つ人でも、自らの心を持っている以上、完璧であることはありえない。
だから、道具に思いを託すのだ。祈りをこめてシャッターを切る。心を込めて。

現像条件その後

2005-05-22 22:18:32 | 写真
ハイライト部の諧調を伸ばすためにフィルムの現像時間を

8分→7分40秒

にした。ネガはゾーン0からゾーン9まではっきりと濃度差が確認できる。よしよし。

印画紙への焼付けは以前求めた最大濃度最短時間よりF16,5秒という条件で行った。

結果は、ハイライト部分は目論見どおりゾーン8までトーンが残って、ゾーン9が真っ白になった。
しかし、今度はダーク部がつぶれてしまった。ゾーン2以下ではほとんど差が認められず真っ黒になってしまった。少し、焼付け時間を短くしてみたが状況はかわらず。

フィルムの現像時間は思ったより敏感にネガ濃度に影響を与えることが判明した。20秒,30秒の変化が大きく跳ね返ってくる。

もう少し現像時間を長くしようか。後10秒くらい伸ばしてみる価値はあると思う。
それからダーク部のつぶれは撮影時の露出がモノを言うはずだから、フィルムスピードをもう少し遅くしても良いかもしれない。今、200だから160くらいに落としてみたい。

少しダークがつぶれ気味なので、フィルタを2号から1.5号に変えて普通の写真を焼いた。結構いい感じになった。

だんだんいろんな条件が固まってきた。もう少し、もう少し。こういうのが楽しいね。

現像条件

2005-05-21 20:34:56 | 写真
先週現像条件の実験の結果から、もう少しフィルムの現像時間を短くしてハイライトの諧調をもう少し伸ばそうと実験を行った。

以前の現像条件が

D76(1:1) 22℃ 8分(1分攪拌+7秒攪拌(30秒毎))

だったのを7分に短縮した。

結果は、予想以上にネガが薄くなって、ゾーン2以下ではネガは完全にスヌケになり、ゾーン10でも以前のゾーン5くらいの濃さしかならなかった。

現像時間はかなりネガ濃度に敏感に反応することが分かった。次はもう少し長くして現像してみることにする。7分45秒位かな。

それにしても、この季節は現像向きの季節だ。水道の水の温度も大体20度くらいでほんのちょっとお湯を入れれば温度はきまる。途中での温度変化も小さい。引き伸ばしをお風呂にこもってやってもそんなに暑くならない。夏になる前に実験は終わらないと、ちょっと暑くて単調な実験はやってられないものね。