少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

ぐずぐずすること

2012-05-26 23:21:55 | 哲学
最近よく「ぐずぐず」しようと思うことがある。えっ!?と思われるかもしれない。しかたなく「ぐずぐず」する事はあっても、自分から「ぐずぐず」しようと思うことなど、あまり考えられないと思うかもしれない。

そんなことを考えていたら、まさにビンゴの名前の本を見つけた。大阪大学の総長も務められた著者の鷲田先生によれば、「ぐずぐず」というのは次のようなことを指すらしい。

ぐずぐず」とは、決断がつかず決着を引き延ばしているうちに、やがて「自然」に引っぱられ、流されていく、そんな予感に包まれたひとのためらいや逡巡を表わす。身を引き裂かれる思いにさらされながら、情けないことにいつまでも決心がつかない。宙ぶらりんのままだから、当然力が入らない。力が入らないまま、そのだれた姿をそのまま晒す。

普通は、もうちょっとスマートにぱっぱっぱと決断なり何なりをした方がいいだろうに、「ぐずぐず」するというのは、何ともみっともない。でも、「ぐずぐず」に関連して、先生はこうも言っているのである。

すかっと噛み切れる論理より、いつまでも噛みきれない論理のほうが、重い。滑りのよい言葉には、かならず、どこか問題を逸らせている、あるいはすり替えているところがある。ぐずぐずしながらも、逡巡の果てにやがてある決断にたどりつく、いやたどり着くことを嫌でも強いられる。その時間をそぐことだけはしてはならないとおもう。その時間こそ人生そのものなのだろうから。

そう、私もまさにそんな風に考えていた。仕事をする時には、「上手く行く仕事」と「上手く行かない仕事」があり、「正しい仕事」と「正しくない仕事」があると考える人は多い。でも話はそんなに簡単ではないのである。どっちの意見もそれなりに正しく、それなりに問題を抱えていることが殆どではないか。

「今日はとりあえず、この辺までにして一杯行きますか?」

なんて、適当なことを言って「ずるずる」と話を先延ばしにしていませんか?でも、それっていけないことなのだろうかと思うのだ。多分そんなことはない。一生懸命「ぐずぐず」していると、その逡巡の果てにある決断にたどりつく、そう、そんなもんだよきっと。みんなで「ぐずぐず」しませんか。

参考文献:鷲田清一、“「ぐずぐず」の理由、”角川選書

今日の太陽:Today's Sun

2012-05-26 11:55:46 | 天体観測
黒点を観察するときに三脚の下に100均で買ってきたクッションジェルを敷いてみた。高い周波数の振動はなくなったが、ふわふわとしたゆっくりした振動が残ってしまった。ゆっくりした振動も気にはなるが、細かい振動が消えたことですごく小さい構造を見るときにすっきりとした感じがして気持ちが良い。シーイングが良いのと相まって気持ちよくスケッチできた。

PST ダブルスタック比較

2012-05-26 11:28:51 | 天体観測
前の記事の太陽のプロミネンスを標準のPSTとダブルスタックで比較してみた。見た目のイメージに近くなるようにスケッチをしてみたつもり。明らかにダブルスタックにして見ると”ヌルッ”とした感じの見える。シングルの方では、周辺にざらざらした感じがして細かいところまで良く見える。代理店のホームページを見ると、ダブルスタックにすると暗くなる分、細かいプロミネンスが見えなくなる旨書いてあったが、明るさの問題というより分解能が低いということのように思える。前の記事にもあるようにダブルスタックにするとコントラストが上がって、ダークフィラメントが良く見えるというメリットもあるので、一概に悪いということではないとは思うが、個人的には見えるぎりぎりまでを観察してスケッチしたいので、最初にダブルスタックで、さらっと見てからフィルタをとって観察というスタイルになりそうな気がする。あと、PSTとフィルターのマッチングをしていないということも分解能の問題の原因として考えられなくはないが、それは問題ではないだろうなあ、たぶん。