少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

顕微鏡

2008-06-30 23:06:50 | その他
図書館で顕微鏡の本を借りてきた。望遠鏡というのは星からの光が対物レンズに入って、それから接眼レンズを通して目に入ってくる。しかし、顕微鏡というのは光源から出た光がコンデンサを通ってから対象物を透過、そしてやっと対物レンズに光が当たる。光の当て方にもいろいろあって望遠鏡よりも複雑だ。高倍率の接眼レンズになると、サンプルとレンズの間に油を満たした油浸系接眼レンズというもあるらしい。そんなの今までちっとも知らなかった。

それにしても植物プランクトンのいろんな形を自分の目で見てみたいものだと思う。サンプルの用意もいろいろあるようだ。単にその辺の水たまりの水を汲んでくれば良いというものではないらしい。

望遠鏡比較

2008-06-30 22:46:34 | 天体観測
久しぶりに星空が広がった。雨が埃を流し去ったのか透明度が高い気がする。今日は、いて座のダブルダブル(4重星)を使って望遠鏡とアイピ―スを比較した。

コルキット5cmにスコープタウンの6mmオルソ・プローセルタイプでは、2重星をさらに二つの星に分けるのはちょっと苦しい。少なくとも分離しては見えない。どっちの方向に星が並んでいるかがわかってみると、その方向に星が伸びているような気がしなくもない。

テレビュー85ではどうかというと、6mmのオルソはなんかいけません。やはりF7だからだろうか。焦点がどこで合っているのかはっきりしない感じ。パワーメイト2.5XをつけてF値を大きくしてやるとOK.しっかりダブルダブルを分離できた。バローをはずしてタカハシのHi-LE2.6mmと比べてみたが、目立った違いはない。ちなみにコルキット付属のプラスチック12.5mmケルナー+パワーメイトでもしっかり星は分離した。単純な構成のせいか、すっきりとした見え味がなんとも気持ちがいい。

コルキットは安いから仕方がないが、穴のあいた紙の筒のファインダーはどうもいけない。穴の先に何があるかさっぱりわからない。月や木星はいいんだろうけど、それ以上はちっとも見えない。これはどうにかしたいなあ。それからスターベースで買った微動装置もちょっとバックラッシュが大きすぎる。軽い三脚で鏡筒がゆらゆら揺れるのも気持ちが悪い。あまり多くを望んではいけないのかもしれないけど。しっかりターゲットをつかめれば、星像はけっしてわるくないのだがねえ。

最後にコートハンガーを20mmオルソで見るとちょっと画面からはみ出してきれいに見えた。

顕微鏡

2008-06-28 21:12:26 | その他
続く梅雨空で、天体観測もなかなかままならない。
ということで、同じレンズ系の顕微鏡が気になっている。当たり前のことなんだけど、顕微鏡でも絞りを絞ったりレンズにアクロマートがあったりする。少しネットで調べると顕微鏡で微細なものをちゃんと見るためには、いろいろな作法があるらしい。学研の付録とかで顕微鏡をのぞいたことはあるけれどそれ以上に踏み込んだことは一度もない。ゾウリムシなんて本物はどんな感じなんだろう。

あまりちゃちなものを使っても仕方がないので、光を集めるコンデンサーや絞りがついたものをさがしてみると、レイマー顕微鏡というのが値段も手ごろで面白そうだ。
まあ、すぐに買うわけではないけどもうちょっとしらべてみようっと。

コルキット・ファーストライト

2008-06-25 23:13:47 | 天体観測
昨日は梅雨の晴れ間で夜遅くに月と木星を観察した。コルキットのファーストライトだった。
結果から言うと、この望遠鏡よく見える。Or20mmで見る月は視野にすっぽり収まって、上限の月のかけ際のクレータがくっきりと見えた。まだ月が低くてやや空気の揺らぎはあったが、少し黄色っぽく見えるクレータにしばし見入ってしまった。
それから、Or6mmを試してみた。600mmの焦点距離の対物レンズで100倍、50mmの口径にはちょっと過剰倍率かとも思ったが、ところがどっこいこれもとてもよく見える。まったくと言っていいほど像の破たんもなく、微細な構造が浮かび上がってきた。アイピ―スを前後させるのに微動がないのでちょっと合わせにくいところはあるが、一度合わせてしまえばあとはいじることもない。木星を見るとしっかりと2つの縞が確認できて、多少それぞれの縞のうねっている様子も見える。南北の極付近は多少暗い感じも確認できた。2つの衛星がごく接近して木星のそばに寄り添っていた。ただ、この倍率では望遠鏡の方向を移動させる微動装置(スターベースで3500円ほど)は必需品だろう。
上の2つのアイピ―スはスコープタウンから買ったプローセル・オルソなのだが、最初から望遠鏡についていたケルナー12.5mmも、これがなかなか負けていない。プラスチック製のちょろいつくりにもかかわらず、見た感じはそれほどオルソに劣らない。

それにしても、超軽い鏡筒とミニミニアイピ―ス。これほどお手軽な星見があるだろうかと思うくらい快適だ。ツァアイスサイズのアイピ―スがものすごく小さいので胸のポケットにみんな入れても全然重くない。もちろん50mmの口径はどうしようもないので、あまり暗い対象や超高倍率は望めないが、ちょっとお手軽星見にはとてもよい選択のように思う。

オルソアイピ―ス

2008-06-23 22:43:29 | 天体観測
この間買ったコルキットの5cmモデル。天気が悪くてさっぱり空を見るチャンスがない。こうなると道具を考えるしかないということでK-12.5mmしかないアイピ―スをちょっと増やすことにした。

スコープタウンというサイトにツァイスサイズのアイピ―スが安価に出ていたのでこれを検討することにした。他のサイトで教えてもらったりしてわかったことは、オルソというデザインのアイピ―スには2つあり、ひとつがおなじみのプローセルタイプとアッベというあまり聞かないタイプ。アッベタイプのオルソつまりアッベ・オルソというのがとてもよく見えるらしいのだが、これが作れる人というのは何人もいないくらい難しいらしい。で、どうも今市場に出回っているアッベオルソは谷オルソというブランドに収れんするようだ。なんでも80歳を超えた爺さんが手で作っているとのこと。なんかそそられますな。

それはさておき、こうしたクラシカルなデザインのアイピ―スは対物レンズのF値が大きくないとうまくいかないらしい。つまりアイピ―スに差し込む光の角度が大きくなると(F値が小さい)収差が大きくなってうまくいかなくなるのだという。

幸いコルキットのレンズはF12なのでオルソでも十分によく見えるはずだ。ためしに送ってきた接眼レンズをコルキットにつけて送電線鉄塔を見てみると、かちっとしてとてもよく見える。購入したのは20mmと6mm。

ついでにツァイスサイズとアメリカンサイズのアダプタも買ったので、F値の小さい他の望遠鏡でも試してみるつもり。もし、6mmでよい結果が得られたら、アッベオルソを購入しようかと思っている。

それにしても3000円もしない小さなアイピ―ス。紙の筒でできた5cm鏡筒にこの小さなアイピ―スをつけるとなんともかわいい。

これまでにこの望遠鏡プロジェクトにかけたお金。コルキット5000円+微動装置3500円+アイピ―ス2本6600円+鏡筒デコレーション500円=15600円也。アイピ―スのアダプタが1000円ちょっとだったので、これを除くと15000円もかかっていない。三脚は最初からあったけど、経緯台つきの50mm屈折望遠鏡に接眼レンズが3つも手に入った。天文ってお金をかけなくても結構楽しめる。(まあ、これまでの投資があるから無駄なくいっただけとも言えるけど)

あまり書かれていないけど、F値の大きな対物レンズを使った望遠鏡を手に入れることがポイントみたいだ。ちょっと大きくなるけど、安価なアイピ―スでも十分実用になる。

議論に勝つこと

2008-06-22 10:21:36 | 哲学
人と話をする。相手と意見が違うことだってある。そしてしばらく話をしていると、自分の方の考えの方がいいということになる。めでたしめでたし。

議論に勝つってどういうことだろうって、最近思うことがある。ふつうは自分の意見が通ったんだからうれしい気がするはずだろう。でも、最近、そういう風には思えない時があるのだ。なぜか。

それは、すべての考えというのは完ぺきではありえないから。もし、その考えは正しいということになって、それ以上の思考をしなければ、その正しい議論の背後にあるはずの他の考えに到達することはできない。すべてはめでたしめでたしでそこで終わってしまう。

でも、もしその議論に負けてしまえばどうだろう。悔しいから、またあれこれと考えを続けることができる。議論が稚拙でふらふらしているからこそ、その考えは存在し続けることができるのだ。完璧であればある程、その議論はただの記号となってわれわれの意識から消えていってしまう。空虚な記号となってしまう。

あなたが今日議論に負けたとしよう。それは素晴らしいことに違いないのだ。そして議論に買った人に、そっと手を合わせておこうじゃないか。彼らはそこで考えるのをやめてしまったのだ。そしてそういう彼らのおかげでわれわれは、また思考を続けることができる。ありがたいことに。

観察について

2008-06-21 20:45:41 | 哲学
天体望遠鏡でも写真でも、観察というのはとても大切なことだ。でも、観察というのはもちろんそういう趣味の場合だけではない。仕事でも観察はとても大切だ。市場動向や競合他社の動きなど、鋭い観察によって自らの次の一手を導き出さなくてはいけないのだから。

それではどうやればよい観察ができるのか。まず考えられるのが先入観を捨てること。こうなるはずだ、ああなるはずだと頭の中で決めてしまっていては、なかなか良い観察をすることはできないだろう。邪念を捨てて対象に向き合うことができれば、まずは第一関門突破といってもいいだろう。

では次のステップは何かということになるのだが、どうも頭の中を空っぽにしてしまうだけでは良い観察はできないということも事実らしいのである。目の前にあるものをたただ写し取っていく作業をいくら繰り返しても、それでは出来の悪いデジカメ写真しか生まれない。何かに着目して、言い換えればテーマを持って対象に立ち向かう姿勢もまた、とても大切なことなのだと思う。観察というのは客観的であると同時にきわめて主観的なものでもあるのである。科学というのはだれがやっても同じ結果が出ることを積み上げたものであって、主観をできるだけ排除しなければいけないとよく言う。ある程度まではそれは事実なんだろうけど、物理現象も、結局それを観察するわれわれがいるから、それは物理現象として認識されるわけで、そういう主観を全く排除したところに意味はないと思う。

で、最初の観察の仕方の話に戻ると、結局客観的であり、主観的であるべきなどどいう、わけのわからないことに結論が落ち着いてしまった。これでは、どうしていいかさっぱりわからない。でも、このよくわからない結論にも意味はある様な気がしている。つまり、よい観察というとのは、主観と客観がごちゃまぜになったときに生まれるのではないかと。それって何と思うかもしれない。それは『迷い』である。月のスケッチをしていて、

『ここに小さなクレータがあるはずなんだけどなあ』

と思って望遠鏡を眺める。次の瞬間にはデジタルカメラのように主観を捨てて画面の濃淡だけに集中する。そしてまた元に戻って本に出ているクレータのあるべき位置を探してみる。こんな繰り返しが大切なんだと思う。

うまく言えないけど、上にあげた例のように主観と客観の混在は別に時系列になっている必要はないかもしれない。逆にそういう風に理路整然と二つが分けられているのは、あまりいい観察ではないかもしれない。本当の観察というのは、もっと迷いに近いような不安な心境に近いような気がする。仕事でもそう、何かを見つける直前というのはとても辛く迷いが深いに違いない。自分でやっていることが正しいのか悪いのかよくわからない、でもあきらめずに前に進む、そんなときふっと遠くが見えるときがあるような気がするのだが。