少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

ゴッホの色彩

2005-04-29 10:05:38 | 写真
NHKのテレビでゴッホの紹介をしていた。

ゴッホの絵は、よく知られているように黄色がたくさん使われている。

でも、黄色は黄色だけでは意味を持たない。キャンバス全体が黄色では何がなんだかわからない。

ゴッホの絵を良く分析すると、黄色の反対(補色)である青がほとんど黄色と同じ割合で使われているのだ。

同じ黄色でもわずかに色合いの違う色が組み合わされて色に深みを生み出している。

色に限らず人は、相対的にしか物事を理解できない。絶対的と思っている事柄も実は補色と同じように、コントラストでしか分からないのだ。いや、理解というのはコントラストそのものだといってもいいかもしれない。

モノクロ写真の白と黒、カラー写真の補色関係。どちらも同じこと。

ゴッホは最後に誰にも相手にされず自らの命を絶った。色を相対的に完璧に理解していたゴッホがなぜ、現実世界では人との関係を絶対的なものとして考えたのだろう。人間関係には楽しいこともあればつらいこともあるという、当たり前のことが理解できなかった。でも、それは色を完璧に理解するための代償だったのかもしれない。

リバーサルの花

2005-04-28 23:30:54 | 写真
この間、散歩をしているとき撮った近所の写真が出来てきた。最近はL判の小さい写真しか焼かない。要するにコストの問題だけなんだけど。

チューリップや桜草などなど、とてもいい感じでプリントが出来てきた。せっかくハッセルで撮ったんだからもっと大きく焼けばいいのにという声も聞こえてきそうだが、大きいと飾る場所も大変になる。とりあえずはこれで楽しいからいいのだ。

台紙にはさんで、色を写真に合わせたフレームに入れた。今日は黄色と赤のチューリップの花をオレンジ色のフレームに入れてみた。うーん。自分で言うのもなんだが、すごくいい。

モノクロもいいけど、カラーもいいねえ。

写真は楽しい。

ハナミズキの花

2005-04-28 23:25:09 | その他
さっきテレビを見ていたら、ハナミズキのはなというのはアメリカに桜を送ったお返しに日本に来たものだという。

ちょうど今が盛りで、あちこちで白やピンクの花をつけている。

花がすっかり咲く前に花びらがくっついて輪になっているあの花だ。そういわれると、ちょっと日本っぽくない気もする。

僕はハナミズキと聞くと一青窈を思い出す。確かその名前の歌を歌っていたと思う。彼女の歌の妙な言葉使い、擬音というかなんというか独特なフレーズが僕は大好きだ。

なんだかとりとめもない話になっちゃった。まあいいか。

否定すること

2005-04-26 23:44:53 | 哲学
最近は、人からダメだと言われるとちょっとうれしくなることがある。なぜかというと、その人がダメだということの理由を突き止めることによって自分のレベルを上げることができるからだ。

人は自分で自分のことを理解できない。他の人の否定によってのみ自分の実像を知ることが出来る。だから他人のダメ出しは貴重なシグナルなのだ。

でも、一方で僕はあまり人に怒らなくなった。以前は、「なんでそんなことをしているんだ」みたいなことをよく人に言っていた。そういうことをすっかり言わなくなってしまった。

それは、何かをしようと思ったときには、おこらないことが一番の近道だとわかったから。「あーしろ、こーしろ」と言ったら、それで全ては終わりになる。いつもニコニコが一番の近道だ。

今、僕はニコニコしながらダメと言ってくれる人を探して歩いているような感じがする。アホかと思うかもしれないが、その通りなのだ。でも、そうすると思っていると、ことはどんどん実現していくのだ。

いつもニコニコしながら、困難に立ち向かう。僕のことをいい人だと思うかもしれない。でも、そんなことはない。いつもニコニコしている人は、他の人の自らを知るプロセスの何の役にもたたないのだから。究極のエゴイストと言ってもいいかもしれない。

いつも怒ってばかりの人のほうが100倍マシなのだ。



プリントの色

2005-04-25 21:42:26 | 写真
現像をしているときは、もちろん暗室の中にいる。赤い光の中で見るプリントはイマイチいいのか悪いのか良くわからない。仕方がないので定着が終わったところで明るいところに出してもう一度眺めてみる。

結構いいなあと思って水洗をし乾燥させてみると、なんだか思ったほど諧調が豊かに見えない。最近の傾向は、ちょっと露光時間を長くしすぎてややハイライトがくすんだ感じになってしまっているようだ。印画紙のクセのようなものもあるのだろう。なかなか思い通りにはいかない。

何が変わった?

2005-04-25 21:32:54 | 写真
モノクロの現像を始めてから1年ほどたった。出来上がった写真をみると大分上達したなあとは思うのだけど、では一体何がかわったのだろうかと改めて考えてみた。

そう考えてみるのだけれど、実は大した変わりはない。やっているプロセスのほとんどは、現像を始めた頃と一緒だ。その中のキーとなる処理や設定がほんのちょっと変わったに過ぎない。そのほんのちょっとの差が、決定的な結果の差をもたらしているのだ。

例えば現像液の温度だったり、露出計を向ける向きだったり、マスコタンクの振り方だったりする。違うといえば違うのだろうが、まあどうでもいいといえばどうでもいいような細かいことだ。

振り返って、そうした重要な細かい点に気づくことができるようになった原因は、「きちん」と処理をするということだったと思う。マニュアル通りに繰り返し処理を行うことによって、それまで見えなかったディテールが顔を出してくるのだ。

「きちんとやること」の意味は、実は「きちんとやること」そのものではないのかもしれない。きちんとやることによってディテールを浮き彫りにすることが、その本当の意味なのかもしれない。

ゾーンシステムの意味も、そこにある。きっちりとしたゾーンシステムの実践によって、撮影するときの作者のイメージのビジュアライゼーションは大切なのだが、ただそれは機械化された「きちんと」したプロセスに過ぎないのではないだろうか。それを実践した後に残る、ほんのわずかなタッチこそがその作品に深みを与え芸術作品へと昇華させる。それは、僕の現像の上達プロセスと全く同質のものだ。まあ、そのレベルは大分違うけどね。

露出を考える

2005-04-24 22:11:40 | 写真
今日は子供のサッカーの試合を見にいった。良く晴れ上がって運動日和の一日だった。
モノクロフィルムを1本詰めたハッセルを肩からさげて現場に出向いた。

さて、今日の課題は露出である。ISO200にセットされた露出計は反射光モードで、校庭の白い地面を指すと17EVくらいをさした。次に置いてあった黒いショルダーバックの暗い部分を調べると12EVくらい。フムフム。差が5段くらいあるということだ。子供の服の少し影になった部分あたりを調べると14.5EVくらい。大体このあたりがシャドーのディテールの描写をしたいところだろう。ということで14.5EVに露出をあわせて撮影した。結構動きがあるのでできるだけシャッタースピートをあげて撮った。絞りは5.6くらいか。

その後家に帰ってから、18%グレイカードがあったことに気がついた。あれを使ってやれば簡単に露出が決められるはずだ。
ところが、案外これも難しいことが判明した。18%グレイカードも、光の当たり方で2段くらいの明るさの変動があるのである。直射日光が当たる状態と影になったときでは2EVくらいは平気で明るさが変化する。何でもかんでもこのカードに向けて露出を決めればドンピシャリというわけには行かない。結局撮影対象に光は当たっているのだけれど、カードは直射日光が当たらない状況で測光した。写したのは子供のチャリンこのギヤ。どうもああいう機械モノを撮ってしまう。(後から見ると大体がっかりするんだけどね。)

結果は、サッカーの条件は、やや露出オーバー気味だった。焼付けの条件もちょっと露光時間がながくなった。グレイカードを使った方はとてもいい感じのネガになった。まだ、完璧とはいかないものの露出についてのイメージもちょっとずつ判ってきた気がする。

プリントは、はがきサイズのレンブラントに焼いた。写っていた子供やコーチのお父さんに差し上げることにしよう。

写真と天体観測の共通項

2005-04-24 09:46:12 | 天体観測
僕は写真撮影と天体観測という趣味を持っている。どちらもレンズを使うという意味では似ているが、それ以外はどうということを考えたことがなかった。

が、ふともう一つ両者には大きな共通項があることに気がついた。それは対象の明るさについてである。写真を撮るときの大きなファクターに露出がある。オートのカメラでも対象の色合いによってプラス補正とかマイナス補正をする。このときの一段の露出の違いは、光の強さ2倍に相当する。
要するに、写す対象の明るさを2のべきの目盛りで評価するのだ。ゾーンシステムというのは、この考えかたをシステマティックにしたものだといえるだろう。

それが天体観測の何と関係するか。それは星の明るさの等級だ。星の等級というのは1等星と6等星で100倍明るさが違う。そして各等級の明るさの比が2.5倍になっている。2.5と2という違いはあるものの、星の明るさの表現は写真の露出の話と全く同じなのだ。

星の明るさ。今までは、惑星や星雲を見るだけだったので、あまり等級ということに気を配ったことがなかった。でも、隣り合う星の明るさの違いや変光星の明るさの変化などにもっと気をつけてみると、天体観測の楽しみの幅が広がりそうな気がする。天体観測判ゾーンシステムなんてかんがえてみようかな。

露出が難しい

2005-04-23 22:37:33 | 写真
先週フィルムの現像だけしてあった一本の焼付けをした。
RCペーパーばかり使っていたが、今日はバライタ紙の印画紙を使った。
現像して映像が浮かび上がってくる時間が倍くらい。
水洗いも入念にしないとだめだ。
いろいろ大変だけど、こんなに違うか?というくらい仕上がりはこっちがいい。
発色も、勿論紙によって違うだろうけど、RCが無機的な感じの色になるのに対してバライタは深みのある色で、ちょっと黒とは違う感じだ。ブラウンのような緑っぽいような。

フィルムの現像は、だいたい安定してできるようになり、撮影の時の露出を少し多めにかけることによって上手く焼きあがる確率は大分高くなった。
一連のプロセスが、大分固定されてきて、今一番問題なのは露出の決定だ。全体にネガは濃くなったので、なんとか見られるようなプリントは出来るのだが、焼付け時間が大きくバラけてしまう。
どちらかというと室内とか、日陰のような場所ではまあまだいいのだけど、直接日光が当たっている状況での露出計の使い方が今ひとつしっくり来ない。

ゾーンシステムの概念をもう一回頭に入れて露出を考えてみたい。

月のスケッチ

2005-04-22 22:32:05 | 写真
久しぶりに月のスケッチをした。もう、満月に近い月が東の空を明るく照らしている。すぐそばには木星がいる。

スケッチしたのはアリスタルコスのそばにあるエディントンという大きなクレーターとその周辺の様子だ。表面はツルッとした滑らかなテクスチャの上にエディントンがかろうじて月面に顔を出している。

雲が通過すると気流が乱れて像がユラユラとゆれるが、雲がなくなるとスーッと安定する。あせらず、じっくり見ることが大切だ。