少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

emeters

2008-09-29 22:48:11 | その他
ダイエット用にとイオンで買った6段変速の自転車。特価で9800円なり。週末に1,2時間のサイクリングだが、それでもだいぶ効果があり体重もずいぶん減った。

なんでもブリジストンからスピードや距離などを記録できる自転車用のメータが発売されているらしい。こいつはサイクリングが終わると自転車からはずしてパソコンにつなげる。そして記録をネットにアップロードできるという。あら、おもしろいわね。

ということでネットで注文した。7100円のスピードメータ、ちょっと高いかな?

PODCAST

2008-09-28 21:39:17 | 写真
最近手に入れたiPod nanoでいろんなpodcastをダウンロードして購読している。その中で

LensWork



Camera Position

というカメラ関係のものが結構面白い。両方とも英語だが、写真撮影のテクニックというよりも写真撮影に絡んだ哲学のような話題が中心。一回のトピックも数分なので気軽に聞けるのもよいと思う。

ちなみに英語を勉強したかったら

ESLPodcast

がお勧め。2,3日おきに新しいエピソードが配信される。内容もわかりやすい。




アルゼンチン

2008-09-27 20:33:49 | その他
来月中旬ごろにアルゼンチンに出張することになりそうだ。行くだけで丸1日以上かかるらしい。初めての国にいくのは楽しみだが、仕事も結構タフな状況になりそうで、今日も休日出勤でその準備をした。前人未到の新製品の開発、たくさんの人に助けられながらここまで来た感じ。さあ、もう少しがんばろう。

太陽風

2008-09-25 22:14:11 | 天体観測
NASAの発表によると、太陽風の強さが観測史上最低のレベルになっているという。観測が始まったのがたかだか50年か60年前なので、これが周期的なものかそれとも単調に減っているものかはよくわからないという。そういえば最近の太陽は黒点というものを忘れてしまったかのようにつんつるてんのままだ。これも太陽風の激減と関係があるのだろうか。
ちなみに太陽風が減るとそれによって作られる巨大な磁場が弱まって、宇宙から飛んでくる宇宙線に人工衛星などがやられる確率が高まるのだそう。ふーん。

Averted Vision

2008-09-23 22:00:34 | 天体観測
なんのことはない「そらし眼」のこと。天文をやる人ならだれでも知っている暗い星を見るためのテクニック。要するに見たい星や星雲をわざと見ずに、あさっての方向を見つつ、気持ちは見たい星に向けるというやり方だ。ただ、Wikipediaで調べるとaverted visionについては、その効果について議論の余地があるらしい。やってみると明らかに直視とは感度が違うんだけどね。それからその記事によると右目で見るときは右上の方に視線をそらした方が良いとある。なんでも盲点に対象が近づくの防ぐためらしい。これは知らなかったが、確かに自分でも今まで右上を見ていたような気がする。

ところで、このテクニック、なんとなく暗い対象を意識の中に持ち込むことはできるのだけど、その分解能があまり高くできなくて、星があるかないかはわかっても、それが一個か二個かはよくわからなかった。なんかもどかしいのだ。

ところが、どうしたはずみか、最近ときどきそらし眼をしながらその対象をちゃんと「見る」ことができるようになった。どうすればいいのかはよく分からないのだけど、そらし眼状態(高感度モード)でそれぞれの星をちゃんと数えるくらいにはっきりと意識できたのだ。でも、集中が解けるとまたわからなくなってしまう。ちなみに双眼ではなく普通のアイピ―スを利き目で覗いているときのこと。

こういうことってあるのかしらん?

輪郭とディテールというコントラスト

2008-09-22 23:25:23 | 哲学
物事にはそれを形作る輪郭がある。輪郭がないと、たとえばクラゲと水の境目がなくなるような話になってしまって、どこからがクラゲか分からなくなってしまう。だいいち図鑑にこれがクラゲですと描くこともできなくなる。別に図鑑に描けないからいけないというわけではないが、それにしても輪郭がないと困るには違いない。輪郭というのは、目に見えるものだけに限らないだろう。仕事にだって輪郭はある。仕事の段取りには、ああやって、こうやって、それからこうしてといういろんな手順がある。それがわからないと、一向に仕事は進まず困ってしまう。こういう手順を仕事の輪郭と呼んでもいいかもしれない。箇条書きにできないような仕事の手順というのは、なんだかもやもやして人に指示もできない。近頃の会社はどこもマニュアル至上主義だという。そういう箇条書きの手順をちゃんとやりさえすればそれで良いというわけだ。

でも、よく観察してみると物事はそれほど簡単に箇条書きにはできない場合が多いことに気がつく。クラゲだってそうだ。詳しいことは知らないが、きっとクラゲの表面には細胞と海水が混ざったような境界が何となく広がっていて、どこまでが水でどこからが細胞なのかを厳密に線引きをするのはできないに違いない。仕事でもそうだろう。箇条書きに従って仕事をすれば誰でもいい仕事ができるかというと、決してそんなことはないことも誰でも知っている。電話を取る時のちょっとした挨拶や、プレゼンでちょっとだけ仕事と関係ないことを言って相手の心をつかむことなどマニュアルには書いてない細かなことが沢山あるに違いない。そして、そうしたディテールを何気なくこなす人こそプロというものだろう。では、こういうディテールさえ押さえていればすべてはうまくいくかというと、もちろんそんなことはない。電話に出るたびに長々と時候の挨拶ばかりしていたのでは、もちろん仕事は進まない。やるべきことはやはりちゃんと箇条書きに従ってやるしかない。当たり前だ。

では輪郭とディテールのどちらが大切か。それはきっとそんな単純な話ではない。つまり、輪郭を見るためにはディテールに心を馳せる必要があり、逆にディテールにまで気を使うにはきっちりとした輪郭が意識されなければならないのだ。言い換えると、輪郭とディテールの両者は、それ単独では存在し得ない、つまり、輪郭のためにディテールはあり、ディテールのために輪郭は存在する。どっちが上でもどっちが下でもない。それは互いにつながった輪のようなものなのである。

だから、マニュアル至上主義もOKなのである。それはそれ自身が悪いことではない。ただ、マニュアル至上主義は、マニュアルそのものが大事なのではなく、そのマニュアルの項目の隙間に横たわる無限のディテールを見るためのきっかけを与えているにすぎないと考えることが大切なのだ。逆にディテールにこだわることは悪いことではない。お客様の満足のために、直接利益につながらないようなサービスだっていくらやってもいい。でもそれは、そういうサービスに価値があるのではなく、そうしたことを通してどういうビジネスを展開していくかをしっかり見つめることが実は大切なのだ。それを忘れたサービスは、サービスのためのサービスであり、会社にとって利益にはならないだろう。

モノクロ写真には白と黒のコントラストしかない。強いコントラストと滑らかなグラデーション。それは写真を作る二つの要素である。それは互いに相補的な役割を担っているのだと思う。写真同様、物事はどこを切っても2つの対局という構図で切り取ることができる、のだと思う。でも、本当はその2つの軸というのも、我々がそう思っているに過ぎないような気がしないでもない。だってどこを切ってもいいなら、二つの対立軸だっでどのようにも決められるはずである。