環境保護の名の下、自然を人間の開発の手から遠ざけ、そこに住む多くの生物を守る。生物多様性という言葉を聞くようになって久しい。まあ、何でもかんでもコンクリートの建物を建設して、それまであった森の木々を伐採、そこに住んでいたたくさんの虫や鳥を消滅させてしまうことに対して、私も含めてできればそういう生物の暮らしが守られればいいなあと皆思っている。
このコラムのタイトルと同じ名前の本によれば、有名なガラパゴス諸島だけでなく、世界の様々な場所で、所謂在来種の動植物を外来種から守るための様々な対策がとられ、莫大な費用が投下されている。しかしながら、思ったほどの効果を上げていないことが多いのだという。
著者は本の中でたくさんの例を挙げ、実際には在来種と外来種の区別がきわめて曖昧であること、人間の関与の全くない”手つかず自然”というのは地球上にはほとんど存在しないのだと主張する。例えアマゾン奥地のジャングルであっても、かつて人が住んでいた痕跡を見つけるのは、それほど難しくないのだという。自然と言うのは、人間がちょっと関与したくらいでへこたれることはなく、すぐに回復する力を持っているのだという。
じゃあ、自然を壊して何をやってもいいかと言っているわけではないのだけれど、これまでのように、孤立した生態系があるからと言って、全ての外来動植物がそこに入ることを遮断したり、人のアクセスを全く出来ないようにして、いわば幻想でしかない”手つかずの自然”や”純血種”を守る努力をし続けるのはもうやめにしたらいいというのが、著者の主張である。もっと生態系というのは、ダイナミックで力強いものだというのである。著者は、
「ダーウィンから150年もたったいま、特定の種や生物共同体を良い悪いで区別することに、いったい何の意味があるか?」
と断じている。さらに、
「外来種がたえず入ってきて基礎体力がついた生態系は、新しい種の到来にに対しても踏ん張りがきくだけでなく、侵入種を巧みに活用できるはずだ。これが『生物的抵抗力』である」
とも言っているのだ。外来種が入ってくるのもあながち悪いことばかりではないらしい。
ビジネスの世界でも、エネルギーの自由化をはじめ、これまでの既存の領域に新しい勢力が参入してくる状況が、あちこちで起こっている。会社の合併も身近な出来事だろう。そういうことが起きたことに対しての考え方はいろいろあるかもしれない。でも、どうやら起こってしまったことは素直に認めて、その先を考えた方が良さそうな気がしてきた。異質な存在との接触を刺激ととらえ、その中で新たなコミュニティでの自分の新たな立ち位置(ニッチ)を探す。それは組織対組織で考えることではなく、それぞれの個人の問題である。
参考文献:フレッド・ピアス著、 「外来種は本当に悪者か? 新しい野生 THE NEW WILD」、2016、草思社