少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

骨董という商売

2016-04-21 23:25:26 | その他

テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」に出演している有名な中島誠之助氏の新書本を読んだ。氏が骨董の世界に入るまでのいきさつや、骨董に対する考え方などが書かれており、なかなか面白かった。この本の中で中島氏は、骨董というのは悪く言えば人をだますことが商売の原点であると述べている。つまり、古美術の仲介とは、このくらいの値段がするだろうなあと思った古美術品を、知らぬ素振りで安い値段で買い、その値段よりはるかに高い値段で別の買い手に売りつけることで、その差額を利益にする。決して自分の目利きした値段を人に言ってはいけないのである。インターネットで調べると、その壺の値段がパッと誰でもわかるようでは、骨董商の商売は成り立たない。自分で磨き上げた審美眼だけを頼りに、目の前にある美術品の値踏みをする。残念ながら壺の裏を見ても値段のシールなど決して貼っていない。目利きの感性によって、その値段は10万円になることもあれば100万円になることもあるだろう。どれが正しくてどれが間違いということでもない。決してこの壺の価値は100万円と一意に決まらないのだ。そういう価値の曖昧さが、本質的に大事なのである。

 そういう曖昧さのなかにずっと身を置いてきた中島氏が、突然テレビに出て、「この壺は1000円です。」と皆の前で言い切ってしまうことになったのである。これは大変なことである。業界からは、相当の反発があったのだという。それはそうかもしれない。結局、テレビ出演から何年かたって中島氏は自分の骨董店を閉めてしまうことになる。「いい仕事していますねえ。」という名文句で、あれほど有名になってしまうと、その流れも仕方のないことだったのだろう。実はテレビに出る前から、中島氏は自分の店で正札で骨董を売ったりしていて、同業者から顰蹙を買っていたこともあるというから、騙し合いのような骨董商という商売に元々違和感を感じていたのかもしれない。

 値段のはっきりしない骨董品の取引というのは、我々の普通のビジネスとはかけ離れた別世界のことと思うかもしれないが、もしかすると我々のビジネスだって、煮詰めるとそういう騙し騙されという側面だってあるのではないかと思う。いつもお客様の利益のために最善をつくすとか、CS最大化が目標とか言う言葉を聞く。そのことを否定するつもりはないけど、それだけでは商売というのは長続きしない。申し訳ないけど、営業というのはそういうことではないのだろうと思う。さらにもうちょっと考えてみると、骨董の価値のような価値がフワフワした対象を見つければ、そこには美味しいビジネスが潜んでいるのかもしれない。どっかにころがっていないかなあ、フワフワしたもの。

 参考文献:中島誠之助、骨董掘り出し人生、朝日新書、2007


JAPAN INTERNATIONAL DX CONTEST

2016-04-10 20:46:06 | アマチュア無線

7MHzと21MHzでコンテストに参加。世界中の局が日本の局と交信するというルールの大会で、今回はCW部門。5WのQRPだと、電話はなかなかとってもらえずフラストレーションがたまるけど、CWだとそれほどでもない。アンテナはどちらのバンドともにEFHWアンテナ。地上高もそれほど高くないけど、なかなかよく飛んでくれる。交信した局は、アジアの局が中心だけど、7MHzではアメリカとの交信もそれほど難しくない。21MHzで夕方にハンガリーの局と交信もできた。こっちはたぶんノイズレベルギリギリだったと思う。相手のリグと耳に感謝。両バンド合わせて23局、お疲れ様でした。


駅における整列乗車について

2016-04-09 19:41:41 | その他

通勤で使っている電車の駅、始発の電車を待って、多くの人がきちんと並んで電車を待っている。どの列に並んだ方が座れる可能性が高いかもしっかり研究してあるので、後ろの方に並んでいても、殆ど座ることができる。並んでいる間と座ってからの少しの間が毎日の読書の時間だ。残念ながら、座ってしばらくたつとついつい眠ってしまい、次に気が付いたときには終点に到着というのが毎日のルーティーン。

 多くの人が続々とやってくるので、駅員さんも事故が起こらないようにマイクに向かって声を張り上げている。なかなか大変な仕事だなあと思うのだけれど、その中でちょっと気になることがある。というのも、始発で並んでいる人に対して

 「電車をお待ちの方は、黄色い印のある所に4列に並んでお待ちください。」

 と連呼している。しかし、実際に並んでいる人をみると、どの列も2列しかない。駅員は、列が長くなるとプッラットフォームの反対側まで人があふれるので、4列になるように繰り返しアナウンスをするのだけれど、誰もそれを聞いて4列になる人はいない。このアナウンスをするようになってもうだいぶ期間が経つのだが、状況が改善される様子は一向にないのだ。一度だけ、駅員さんが列のところまでやってきて強制的に4列にさせられたことがあるのだが、それ以降同じような誘導はしていないようだ。

 なぜ、2列は4列にならないか?それは、皆が4列に並ぶという気持ちになっていないので、誰かが4列になろうとしても、「2列でいいじゃん」と思っている人とトラブルになってしまうと思っているからではないかと思う。しつこく4列にならびましょうとアナウンスを続けて「4列に並ぶのね」と思う人がある水準を超えると、ぱたっと4予列モードに遷移するのかもしれない。物理学でいう相転移という現象に似ているかもしれない。とすると、過冷却の水にちょっと衝撃を与えると急に凍るのと同じように、どこかの一列だけ毎日4列にするように(例えばペイントや駅員の誘導)工夫してみるのはどうだろうか。

 こんな些末な事柄を観察してもわかるように、人の心や行動というのは言葉や理論によって簡単には変わらない。いくら言葉によって伝えられる事柄が理路整然として「正しいこと」であっても、そのことが相手の人の気持ちを変えることにつながるかはわからない。本人も理屈としては分かったつもりでも、それを飲み込んで自分の気持ちにできるかどうかは別のことである。

世界中で争いが絶えない。ビジネスにおいても大きな会社の内紛などが毎日ニュースになっている。なぜ、そんなことが起こるのか。それは、正しいことを伝えれば、正しくないことをしている人が気持ちを翻して、正しいことを言っている人に従うと思っているからではないか。でも、それはたぶん幻想である。私たちは、意識をコントロールできないのだから。じゃあ、どうすればいいんだろう。大体何が正しくて何が正しくないなんてことだって、実はわかりはしないのではないかと思えてきた。