少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

コミュニケーションについて

2006-09-30 22:20:04 | 哲学
人はコミュニケーションが大事という。

でも、本当に我々はコミュニケーションなんてできるんだろうかと思う。

いくら言っても自分の気持ちは通じない。それぞれの人は、他とは何の関係もなくあらかじめ決められた運命をたんたんと進んでいくだけ。

いくら、こうしたらいいと思っても、それはむなしくこだまするだけ。

分かる時にはわかるのだけれど、時が来なければいくら言ってもダメなのだ。

どの人が悪くて、どの人が悪くない。そんな話のどこに意味があるのだろう。

人には意識などないのだ。いや、意識とは運命によって作り出されたフィクションにすぎないのである。

それでも僕達は人とコミュニケーションしたくて仕方がない。少なくとも僕は。

何と言う矛盾だろうか。

メモリスティック

2006-09-25 22:12:27 | 哲学
もうだいぶ前のことになるが、八丈島に行ったときに携帯のストラップにつけてあったメモリスティックをなくした。展示会でもらったただのやつ。

でもちゃんと何百メガバイトものメモリ容量があった。いつか、どうしてもメモリに書類を入れて持って帰らなければいけないことがあるかもしれないと思って、携帯につけておいた。

結局デジカメの写真とかしか入れたことはなかったのだけど、八丈島から帰ってきたらなくなっていた。どっかで落としたのに違いない。

まああ、もともとただだし、中に入っていたデータもたいしたことはないので、まあ正直いってそれほどショックは受けなかった。

今、八丈島の浜辺かどこかにあのメモリは転がっているに違いない。誰も消すことのない半導体のチップは、これから何年間、あのデータを記録し続けるのだろう。

もしかしたら、100年経っても八丈島のどこかに僕のでデジカメ写真は、そのメモリの中に存在し続けるのかもしれない。

人類が滅びさってから、どっかから宇宙人がやってきて、そのチップをひろいあげるかもしれない。でも、その中にデジカメ写真のデータが入っているとは、そう簡単に気づかないに違いない。何年もの研究の果てにJPEGなるデータフォーマットが解読され、そこに不思議な人の顔が浮かび上がる可能性もある。

もしかすると、家の前に転がっている石っころにもそういうデータが埋まっているのかもしれない。ただ、僕らはその方法を知らないだけ。JPEGみたいなフォーマットを見つけられずにいるだけなのかもしれない。

何もないように見える雑音だらけの自然、石や空の中には宇宙の全てが記憶されているのではないだろうか。きっとそうだ、そうに違いない。ただ僕達はその秘密の解読方法を知らないだけ。

八丈島のどこかにきっとメモリは転がっている。いつかどこかの誰かに解読される日をずっと、ずっと待ち続けるに違いない。

失敗について

2006-09-24 21:39:38 | 哲学
物事はなんであれ失敗しなければならない。そうしないと、それは未来につながっていかない。

成功してはダメだ。失敗しなければ。

いや、正確には失敗したと感じればいい。

カメラのパーツを買う。「いやあー、いいもの買ったなあ」

と思っている間は、そのパーツは役にたたない。

「しまった、こんなもの買っちゃった」と思ったとき初めて、それは活用されたことになる。

よけなこと、くだらないこと、いやなかと、そんなことをすればそれは未来の自分の肥やしになる。

さあ、恐れることはない。失敗を犯そうじゃないか。未来の為に。

それは貴重な生け贄なのだから。

M31

2006-09-23 22:12:55 | 天体観測
GINJI-250D XW10

気持ちよい秋晴れのもと久しぶりに天体観測。
アンドロメダの大銀河も光害であまりさえないが、それでも25cmで見るとなんとなく横に広がった感じはわかった。

最良の方法を見つける方法

2006-09-20 22:30:42 | 哲学
以前にも同じようなことを書いた気もするが、まあいいだろう。もう一度最良の方法を見つける方法について考えてみることにしよう。峠を越えるときに、いつ自分が峠に立ったかを知るためには、峠を越えて下ってみる必要がある。頂を越えて初めて、その直前に峠に立っていたことが分かるのである。

物事も同じだと思う。つまり、行き過ぎて初めて最適の方法が認識される。失敗しない限り成功を知ることはできない。でも、これではいつも行き過ぎて失敗するということになってしまう。「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」である。これでは困るのである。それでは、どうすればいいのだろう。

最近私は一つの方法に気が付いた。自分が失敗して、他の人に成功してもらえばいいのではないかと。なんだか難しそうな話である。確かにちょっと説明しにくい。つまり、何事においても自分ひとりでするということはまずない。多くの人がかかわってプロジェクトは進んで行く。そういう時、自分の考えを他の人にぶつけてみる。差し支えない範囲の話であれば、それは認められていく。

「会議をしたら議事録をつけましょう。」

そういって反対する人はそうはいまい。これは多分、正しいけど最良の方法ではない。他にもやるべきことはたくさんあるに違いない。もうちょっと過激なアイデアをぶつけてみる。そのうち、ちょっとそれはどうかなあという人が出てくるかもしれない。でも、だからといってそう簡単に引き下がってはいけない。粘る。何とか説得する。もしかすると他の人も納得してくれるかもしれない。とすれば、これもベストのアイデアではないということだ。まだいける。

このプロセス繰り返していくと、どこかで他人が譲れない考えを主張することになる。いくらがんばっても、それはダメというところが見えてくる。そうしたら、あきらめるのだ。

「エッ、あきらめちゃうの。」

と思うかもしれない。そう諦めるのである。つまり、自らの意見を通すことに失敗するのである。そして、他の人に勝ちを譲るのだ。自らがギリギリのところで負けることによって、そのプロジェクトが進むべき最良の方法を導き出す、これが私の考えた最良の方法を見つける方法だ。ぱっとみると、いつも最後は人に押し切られて自分の意見を通すことのできない「ふがいないやつ」に見えるかもしれない。まさにその通り。でも、実際には私はプロジェクトを思うどうりに進めているのである。それも最善の方法で。

あなたの周りにもいませんか。いつもニコニコしながら道を譲っているように見えて、いつの間にかプロジェクトを進めてしまう人。なんか仕切っているようにはちっとも見えないのに、なぜか物事をまとめていく人。そういう人はキット、この方法を理解しているに違いない、と思うんだけど。どうでしょう。

ご飯を残すという生け贄

2006-09-19 22:32:42 | その他
今日は社食でご飯を残した。別に体調が悪かった訳ではない。ダイエット。

もったいないから最初から小もりにしてもらえばと思うかもしれない。僕もそう思っていた。だってもったいない。

でも、今日は考え方を変えてみた。つまり、残したご飯は生け贄だと。

はあ?いやその、つまり僕はご飯を無駄にした。ダイエットという自らの満足為に。

だからこのダイエットはもう後には引けない。そりゃそうだ。そうじゃなきゃ残したご飯は浮かばれない。

明日もご飯を残そう。もったいないけど。

PRESTO1600攻略に向けて

2006-09-18 21:26:35 | 写真
高感度のSUPER PRESTO 1600で写真を撮るとすごくコントラストの高いネガができてしまう。まあ、実際に光の当たるところと当たらないところの明るさの違いが大きいのだからしかたがないのだけど。

もうちょっとダークの階調がだせるようにならないかなあと思う。どうすればいいのだろう。

とりあえずは多めに露光して、現像をあっさりすること。そうすればダークの部分の階調があがり、ハイライトのとびも防げるはず。

あまり感度を下げると折角の高感度が生かせない。EI=800くらいはがんばりたいところだ。

現像時間調整

2006-09-18 21:17:48 | 写真
昨日とったサッカーの写真を現像した。ピーカンの晴れではなかったので、少し長めの現像時間にした。A液=3分45秒、B液=4分30秒。結果は強烈にオーバー現像。全くダメ。

現像温度を24度にしていることもあり、現像時間の15秒あるいは30秒くらいの違いが大きくネガ濃度を変える。少し控えめに露出した方が良さそうだ。