少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

マックホルツ彗星(スケッチ)12-30

2004-12-31 08:20:38 | 天体観測
関東でも雪が降った次の日。なんとなく空の透明度も高くなった気がした。

オリオン座をあっという間に過ぎ去って、もうマックホルツ彗星はおうし座の足元まで進んできた。東向きのマンションのベランダからだと、あんまり時間が遅くなると見えなくなってしまう。

でもまだ月が出てくる時間には間があるから、きっと彗星もよく見えるだろうと思って望遠鏡を向けた。

コマの大きさは明らかにこの前より大きく見える。でも尻尾は???のまま。

お正月があけるとこの彗星はスバルとランデブーするらしい。星の数が多すぎてスケッチ大変かもね。でも楽しみ。


願いをかなえるために

2004-12-30 22:43:50 | 哲学
人が願いを持つとき、どのようにしてその願いはかなえられるのだろう。

以前に努力すればいいと書いた。確かにそうだ。願いに向けて努力する。

じゃあ一体何をどのように努力すれば願いは叶うのだろうか。

願いが実現しないように180度反対方向に突っ走るのが一番の近道だって知ってました?

急がば回れって言うじゃない。急いでいるときには急いではいけないのです。

何かが欲しいときに、それを買ってはいけないのです。

誰かに逢いたいときに、その人に逢ってはいけないのです。

そうすることが願いをかなえる最短の道なのです。

写真を上手くなりたいのなら、写真を上手くいなってはいけないのです。へたくそだから、上手くなれるのだから。上手くなったらもう上手くなれません。

何かを思うことは罪なのでしょうか?それがいいことであっても悪いことであっても。

なぜ人は思うのでしょうか。思うことを私たちは制御できません。思ってしまうことは仕方がないのです。そりゃそうでしょ。

この宇宙で、自分の思い通りに生きている人などどこにもいません。それは程度の問題ではなく、誰も自分の意思など持っていないのです。ここで今タイプしている私だって、自分の意思でこれを書いているのではないのです。誰かが、私を使って、ここにこのようにタイプさせているだけなのです。だってそうでしょう。


願うこと

2004-12-29 22:45:44 | 哲学
願いは必ず叶うと書いた。きっとそうだ。

では、人はなぜ生きるのか。多分人は願いをかなえるために生きるのだと思う。

だから、願いがなくなった人は生き続けることはできない。だって、かなえる願いがないのだから。

お金も名声も地位もなんでもかんでも、みんな自分のものにして何ももう願うことがなくなった瞬間に人は死んでしまうに違いない。

でも、大抵何かが叶うと、次の願いが出てくるのでそう簡単に人は死なないのだ。

大津波や地震、会社でリストラ、いろんなやなことが連発している。人は、未来を悲観し恐れおののいている。

でもね。こんなにいやな事が続くと、多くの人は早くこんないやな世の中から逃げだしたいと願うに違いない。地球上の何十億という人々が心をひとつにして願うのだ。

願いは必ず叶う。そして、この星に住みみんなが願いを持っている。大丈夫だよ。きっと。

願いが決まったら、あとはがんばるだけ。ご飯をちゃんと食べてがんばればいい。簡単さ。

願うから人は生きるのか。それとも願うことが生きることなのか。どっちも同じだろうね。

24か36

2004-12-29 21:25:52 | 写真
もちろんフィルムの枚数の話。

お得と言えば36枚の方が良いに決まっている。たくさんとる人はやっぱりこっちだろう。

でも僕は24枚がいいと思う。ハッセルを買ってから特にそう思うようになった。

なんたってブローニーは12枚しかない。一枚一枚に気合が入る。

その気分のまま35ミリカメラに行くと、どう考えても36枚は多すぎる。

なんというか36枚テンションが続かない。

現像をした後は、いつも「アー、損した」とは思うのだけどね。

どう思います?


タンク現像

2004-12-28 22:59:14 | 写真
先日直ってきたクラッセで撮ったフィルムをヨドバシに現像に出した。帰ってきたネガはきれいそのものでなんの問題もなし。

この間タンク現像したフィルムには無数の筋が入っていた。


この二つの事象から言えることは:

(1)少なくともクラッセに問題はない。

(2)タンク現像の過程で何らかの問題があってフィルムに傷が付いた。

ということだ。以前は、そういう問題はなかったから、何らかの劣化がタンクあるいはリールに起こったということだろう。ただ、ブローニー判でも同じリールを使っているのに問題がおきない。

ということはタンクに砂が入っていたとかそういう問題ではなく、リールの問題と考える方が素直だろう。

樹脂製のリールは35mmでもブローニーでも共用で使えて便利だが、ブローニーでは何度となく巻き取り途中にスタックしたりもした。

このタンクもずいぶん使ってそれなりに愛着はある。でも、写真一枚一枚に思いを入れて撮るとき、それをリスクにさらす道具を使い続けることはできない。

もう一回リールを見てみるけど、マスコタンクを購入することにしよう。

願いは叶う?

2004-12-27 22:10:47 | 哲学
願いは叶うのか?

願いは叶う。必ず。

何でそんなことが言えるかって?

だって、願いがはっきりしたらそれに向かって努力すれば良いから。

とにかくがんばればいい。がんばることってそんなに難しいことではないと思う。言わば力仕事だ。ご飯をちゃんと食べてがんばればいい。それだけのこと。

じゃあ、なんでみんな幸せになれないのだろう。願いは必ず叶うのに。

それは、願いが見つからないからじゃないかな。自分が何を求めているかって、本当はとっても難しいことなんだと思う。

星に願いを。本当は星に祈ることが大切なのではなくて、祈る願いを考えることが一番大切なことに誰も気づいていない。

写真も同じ。写真に願いを。それもありだね。あなたは何をお願いしますか?

僕は、起こって欲しい願いと起こって欲しくない願いが同じになっちゃって、超困っています。
これでは叶いそうもない。というかどっちがどっちか分からないので、必ず叶うとも言えるんだけど。あー、面倒くさいアタマだこと。

マックホルツ彗星(スケッチ付き)

2004-12-26 22:32:40 | 天体観測
今日は殆ど満月に近い状態で空は相当明るかったのだが、エリダヌス座の端あたりにいるマックホルツ彗星を観察できた。

真ん中の核とその周りを取り巻くガス雲(コマ)はよく見えた。右上の方に向かって尾が伸びているような気がしなくもないが、これはちょっと先入観のせいかもしれない。

普通、彗星が現れると災難が起こるとされてい。でも、ちょっと「教養のための天文学講義」という本を開いてみると、トルストイの戦争と平和では、彗星を良い出来事と重ねて登場させている場面があるという。

彗星だって星のひとつ。もしかしたら願いをかなえてくれるかも知れない。これから月の出る時間が遅くなると、この彗星はもっと明るく見えるようになるだろう。星に願いをかけてみようよ。東の空高く。オリオン座の上の方だから。

東方三博士の贈り物

2004-12-26 13:59:32 | 哲学
クリスチャンではないが、せっかくのクリスマスなのでちょっと宗教の話を。

馬小屋でキリストが生まれたとき、当方から三人の博士がやってくる。その時の贈り物が黄金(gold)と乳香(frankincense)そして没薬(myrrh)だった。それぞれには以下のような意味があるという。

黄金はキリストの王権への敬意、乳香はキリストの神性への敬意を象徴し、没薬は、死体の保存に使われていたことから、キリストの死の予兆である。

でも、それって本当だろうか?象徴と言うのは、人それぞれの心の中で結び付けられた2つの事象である。つまり、象徴に本当の正解はない。それは違うって思えばそれは違う。三つの贈り物だって、みんながそういっているからそうなだけであって、必ずしもそうだという必然性はないのだ。

大体なぜ三人の博士は生まれたキリストに会いに行かねばならなかったのだろう。旧約聖書にかいてあったから?でもなぜその三人が?(三人という数は後から付いたお話らしいが)ついでに言うとなぜキリストは男だったんだろう。別に女であったって構わないような気もする。

大体、こういう質問に対する論理的な探求は、奇跡とか予言とかそういう因果律に支配されない出来事によって断ち切られる。別に、そのことに文句を言うつもりもキリスト教にうらみもない。

写真も同じような気がしてきた。作者の意図によって写真は撮られる。それがそのまま見る人に伝わることもあるが、違った風に捉えられる事だってもちろんあるだろう。何せ文字ではなくて絵(というか写真)しかないわけであるから、見る人がどう思うかは、その人の勝手だ。そして、すばらしい写真がなぜ撮られたか、その写真がなぜすばらしいかという議論の果てには、必ずフォトグラファーの天才的なひらめきや神がかった偶然に帰着される。そこには因果律で説明されるようなテクニックは存在しない。

聖書と写真が一緒?クリスチャンのみなさんおこらないでね。

メリークリスマス

更新記録途絶

2004-12-24 20:57:30 | 哲学
何とか毎日1つでもいいから記事を書こうと思ってがんばってきたが、昨日ついに途切れた。

ここまで精神状態が落ちるとどうにもならない。

リチウム飲んでんだけどなあ。おい薬、どうにかしろ!

写真を撮るとき

2004-12-22 23:53:51 | 写真
写真を撮るとき、すごく短い時間にいろんな事を考えなくてはいけない。

ハッセルは特に自動が何もないから、露出、絞り、シャッタースピード、フォーカス、構図などなどみんな決めなくてはいけない。

どっちから光が当たっているか、シャドーとハイライトの場所や様子も気を配らなければだめだ。

頭の中ではいろいろ考えていても、いざ撮るとなると被写体が笑ってくれるように適当な話もしなければいけなくなる。

まさにマルチタスク状態になる。が、大体はどれかがいい加減なままシャッターを切っていまう。

意識では理解していても、まだ無意識のレベルまでこれらの仕事が落ちていっていないのだ。

なんかわからないけど、ちゃんとなっていないと気持ちが悪くなるような感覚までまだ行っていない。勘で判断しているように見えて、実は高速でいろんな状況判断ができるようになるレベルだ。

でも、写してから、そういう問題に気がつくまでの時間がちょっとづつ短くなってきた気はする。

こんな意識をもちながら量をこなすとだんだん上手くなっていくんだろうな。

量の変化は質の変化をもたらす。間違いない。