背丈程度の長さに切った青竹の節を、鉄筋を突っ込んで抜いた。スポン、スポンと小気味よく作業は進んだ。即席のタンクを作るのだ。まだ時間は十分ある。慌てる必要はない。
傍に用意しておいたコーヒーカップから湯気が漂っている。青竹を転がすと、カップに手を伸ばした。凍えた体に暖かい珈琲は格別だ。フーッと溜息をついた。
笠松雄基は今も気が乗らない。村の行事に参加しないのは拙いと思う。それでも参加した先を考えれば気が重い。悩みを振りきるかのように頭をブルッと振った。残りの珈琲を一気に呷ると、両手を叩き合わせた。前向きになれぬ気持にハッパをかけたのだ。
作業の続きにかかった。節を抜いた青竹に灯油を注ぎ込む。こぼれないようにと息を止めた、慎重に灯油缶を傾けた。コプコプと流れ込む灯油をジーッと見詰めた。よく見ていないと溢れ出すのに対処できない。何にしても竹を使った簡易タンクの容量は小さい。次はぼろ布をねじり込んで栓の役割と同時にタイマツ状に仕上げる。すぐに灯油は布に滲みこむ。これで用意は万全だった。
「お~い!おるか?」
納屋の入り口に兄の忠志が立っていた。既に加工済みの青竹を二本余分に抱えている。
「なんや。自分も作ってたんか?」
どうやら弟の分も用意したらしい。いつも雄基を気にかけてくれる兄だった。
「ああ。どうや、これやったら通用するやろが」
「うん。ほな出かけるか?」
「もうそんな時間になってるんか?」
時計を見ると、確かに十二時を過ぎていた。空腹を感じなかったのは作業に集中していたせいだ。畔焼きは一時に開始である。
「マッチあるか?」
「ああ、ライターを持ってる」
「さすがソツがないのう」
忠志はニヤリと笑った。雄基も応じて笑った。久しぶりの兄弟による阿吽の呼吸だった。
畔焼きは毎年二月に入った早々の日曜日に行われる。昔と違って休日でないと村の行事は立ち行かない。午前中は雑草に露が下りている可能性があるので、昼過ぎの一時から畔焼きは開始される。この日を契機に村の田圃作りは本格的に始まる。
忠志は弟を伴って二百メートル下ったところにある笠松家所有の田圃に向かった。畔焼きは始まりの集まりはせず、てんでに所有田畑の畔を焼き始めていいのだ。村のあちらこちらから畔の枯草を焼きながら奥へ移動する。最後は全員が顔を揃えたところで、村の一番奥まったところにあるため池の土手の枯草を一斉に焼く。その段取りは昔から少しも変わらない。
「さあ、やるか?」
「ああ」
雄基はライターで青竹のタイマツに火を点けた。灯油が染み込んだ布にゆっくりと炎が生まれた。横を見ると、忠志は枯草に対峙している。手慣れたものだ。勾配のついた畔の下側にタイマツの炎を走らせる。枯草に火が移ると、あとは勝手に火が蛇みたいに下から上に向かって舐め上げてくれる。忠志はもう雄基を振り返らなかった。火を扱うには集中しなければ危険が伴うのだ。長年畔焼きに参加している忠志には、それがくどいほどわかっていた。
雄基も青竹の松明を下に向けた。チャプチャプンと灯油が竹のタンクで踊っている。パーッと雑草に火が移った。大きな炎が舞い上がる。顔が熱い。もう寒さはどこかに姿を隠してしまった。火は風を呼ぶ。起きた風が火を畔の勾配にそって走らせる。
「おう。笠松の息子はんかい?」
声を掛けられてビックリした。振り返ると、見知っている顔があった。同じ隣保に属する男だった。確か川瀬と言ったっけ。
「ミツグさん。今日はええ塩梅や。畔焼き日和やで。よう枯れて乾いとるから、すぐ燃えてまうわ」
「火の勢いだけに用心しとったらええやろ」
親子ほど年の開きがあるのに、忠志はタメ口である。雄基は押し黙ったまま、枯草にタイマツの日を押し付けた。昔から人と話すのは苦手だった。実の親にすら気を許せない話し方になってしまう。他人、それも年長者になると、相手の問い掛けに短い返事を返すか頷くしかできない。町に出て少しは解消できたはずの内向性が、またぶり返したようだ。
次の田圃に移った時、馴れ馴れしく男が寄って来た。メラメラ燃える松明を肩に担いでいる。幼馴染みの田淵だった。と言っても気楽に話せないのは同じである。でも相手は違う。田舎にいると誰でも仲のいい友達に見えるのか、愛想よく話して来る。
「ユウちゃん。少しは慣れたか?」
「ああ」
田淵は一学年下になる。昔子供会で一緒に火の用心の見回りをした仲である。彼も雄基と同じ立場だった。村への出戻り組である。雄基より三年早く帰郷したと聞いている。
「こないして村の行事に参加しとったら、すぐ慣れるよって。みんなも喜んでくれるわ、ユウちゃんの村入りを。心配いらん。経験者やからな、僕は」
田淵はやけにお喋りである。市役所の秘書課にいる影響もあるのだろう。田舎の公務員は得てしてそんなタイプが多い。
「奥さん、こないだスーパーで出会うてな」
「そういや、そないなこと言うてたなあ」
妻が言ったかどうかは覚えていなかった。それでも話題を合わせていれば何事もなく時間は過ぎる。時々雄基は自分の事なかれ主義に呆れる。しかし、それで世渡りをしてきたのだ。
田淵は雄基の傍を離れなかった。無条件に話を聞いて貰えるのが心地よいのだ。もしかしたら田淵も出戻り組の孤独感を払しょくできていないのかも知れない。忠志の姿は消えていた。村の集まりに慣れている兄の行き場所はどこにでもある。心配は無用だ。
ため池の土手を下から見上げた。五メートル近い高さだ。冬を越して広がる枯草はよく燃えそうだ。村の人間が三十人ばかり、ズラーッと並んで待機している。役員の合図で一斉に枯草へ火を放つ予定だ。
「今日はよう燃えそうでんな」
右隣にいた見知らぬ男が言った。無視もできず雄基は笑顔を作って頷いた。
「笠松はんは、今日が初めてやな」
相手は雄基の名前を知っていた。当然と言えば当然な話だった。村は大きくない。誰それの噂話などすぐ村中に広まる。田舎に住みなれた人間に噂話が届かないはずはない。
「ほな用意してください。いっぺんに火を点けますさかい」
役員が土手のてっぺんに仁王立ちして怒鳴った。土手の両端にはやはり役員の若手がジョウロを手に動き回っていた。水を撒いて火が燃え移らないラインを作っているのだ。大規模な畔焼きだと消防車の出動もある。それに比べて雄基の村はやることが小さい。
「それじゃあ、火を点けて下さい」
役員の指示で待機中の人間は青竹を持ち直して火を点けた。黒く焼け焦げたぼろ布の残骸は待ち構えていたように炎を上げた。
「あれ?」
雄基は驚いた。青竹を下に向けると、なんと先っぽに詰められて焦げたボロ布がボロッと抜け落ちたのだ。灯油がこぼれ出る。その量はたいしたものではなかった。ただ、それで竹のタンクは空っぽになった。
(どうしよう?)
雄基は焦ったが、拾った焦げ布を竹の先に詰め直したところで燃料はない。炎が生まれる可能性が皆無なのは、さすがの雄基にも分かる。思わず隣を見た。救いを求める気配に気づいた相手は、形相を崩した。
「そらどないしようもないなあ。みんなに任せて、待っといたらええやんか。別にズルするわけやないし、みんな分かってるで」
「そないさして貰うわ」
答えて雄基は気付いた。いつの間にか地の言葉になっているのを。町に出て以来、使う機会がなく忘れていた故郷の言葉だった。
「待っとり、待っとり。すぐ終わりよるで」
周りの人間たちが口々に雄基へ声を掛けた。見やると、人の好さそうな笑顔が雄基に向けられていた。雄基ははにかんで頷いた。
「それじゃあ、畔焼きを始めます!」
役員の号令で村の連中は竹タイマツの火を枯草に押し付けた。一斉に炎が上がった。メラメラと土手にそって炎が登って行く。ザワザワと風が起こった。風を受けて炎の勢いは増した。白煙も風に流される。風の向きがいきなり変わり村の人間たちを包む。むせる。目に染みる煙。少し混乱してざわついた。また風向きの変化で白煙は上に流れを変えた。
土手の中腹まで激しく炎が舐めた。焼けた後の黒い絨毯が広がる。
雄基は炎が作り出す光景に見惚れた。この地に生まれ育ったのに、初めて見るのだ。先ほどの煙が滲みた目は潤んだままだ。かすみ
もせずしっかりと見える。
「おうい!そっちに水や!」
「任しとけ!」
役員たちはコマネズミのようにジョウロを持って走りまわる。炎越しに見る彼らは何とも頼りなく小さい。しかし、彼らがいま炎を牛耳っているのだ。
雄基の目は池の土手に釘づけだった。何も聞こえない。たった一人の世界で炎が描きだした生の絵を楽しんでいた。
「パチパチパチパチ!」
「パチパチパチパチパチパチ!」
拍手の波は雄基が浸る世界の壁を打ち破った。
「?」
雄基はキョロキョロと見回した。
誰も彼もが顔を輝かせて手を打ち鳴らしている。何かに憑かれたようだ。ひたすら拍手が続く。雄基は周りに倣って手を打ち合わせた。続いて狂ったように拍手した。一大饗宴の終演を惜しんで拍手は続いた。
土手の脇にあるこじんまりとした広場に村の連中は集まった。大きな輪を作って、ど真ん中に青竹のタイマツを山に積んだ。元気者が腰に挟んでいたなたを掴んで、かなり太い竹タイマツを選んで叩き切った。スパッと切れた青竹から残っていた灯油が飛び散る。残った灯油は青竹の山に振りかけた。
役員がマッチを擦った。ぼろ布の残骸を拾って火を移した。燃えだしたぼろ布を、青竹の山に投げた。ぼーっと火の手が上がった。灯油のおかげで火は消えない。燃える竹がぼん!と破裂した。新たな灯油が炎を生む。次々と爆ぜる竹が加わって激しく燃え上がる。火炎瓶に似ている。パチパチと火の粉を舞い散らし燃え続ける。
炎が映えて顔を赤くした男たちはてんでに笑い興じた。下世話な話から高尚な話題まで、キリのない談笑が続く。いつしか雄基も隣り合わせた男と話し出した。この場で孤独を守るのは不可能だった。
「ええー、ええ時間なんで、お開きにしたいと思います!」
役員が大声を上げた。
「今日はみなさんお忙しい所、参加していただいてありがとうございました。滞りなく終わることができたのもみなさんのおかげです。本格的な春を迎える準備を終えて……」
ぞろぞろ帰り道に着く。感じる。大事をなし終えた満足感がみんなを包み込んでいる。
「今日は最高の畔焼き日和やったなあ」
田淵が感極まった顔をして振り返った。
「ほんまにそやったわ。次は油切れせんようにするで。春をちゃんと迎えなあかん」
来年の畔焼き日和に雄基は思いを馳せた。
傍に用意しておいたコーヒーカップから湯気が漂っている。青竹を転がすと、カップに手を伸ばした。凍えた体に暖かい珈琲は格別だ。フーッと溜息をついた。
笠松雄基は今も気が乗らない。村の行事に参加しないのは拙いと思う。それでも参加した先を考えれば気が重い。悩みを振りきるかのように頭をブルッと振った。残りの珈琲を一気に呷ると、両手を叩き合わせた。前向きになれぬ気持にハッパをかけたのだ。
作業の続きにかかった。節を抜いた青竹に灯油を注ぎ込む。こぼれないようにと息を止めた、慎重に灯油缶を傾けた。コプコプと流れ込む灯油をジーッと見詰めた。よく見ていないと溢れ出すのに対処できない。何にしても竹を使った簡易タンクの容量は小さい。次はぼろ布をねじり込んで栓の役割と同時にタイマツ状に仕上げる。すぐに灯油は布に滲みこむ。これで用意は万全だった。
「お~い!おるか?」
納屋の入り口に兄の忠志が立っていた。既に加工済みの青竹を二本余分に抱えている。
「なんや。自分も作ってたんか?」
どうやら弟の分も用意したらしい。いつも雄基を気にかけてくれる兄だった。
「ああ。どうや、これやったら通用するやろが」
「うん。ほな出かけるか?」
「もうそんな時間になってるんか?」
時計を見ると、確かに十二時を過ぎていた。空腹を感じなかったのは作業に集中していたせいだ。畔焼きは一時に開始である。
「マッチあるか?」
「ああ、ライターを持ってる」
「さすがソツがないのう」
忠志はニヤリと笑った。雄基も応じて笑った。久しぶりの兄弟による阿吽の呼吸だった。
畔焼きは毎年二月に入った早々の日曜日に行われる。昔と違って休日でないと村の行事は立ち行かない。午前中は雑草に露が下りている可能性があるので、昼過ぎの一時から畔焼きは開始される。この日を契機に村の田圃作りは本格的に始まる。
忠志は弟を伴って二百メートル下ったところにある笠松家所有の田圃に向かった。畔焼きは始まりの集まりはせず、てんでに所有田畑の畔を焼き始めていいのだ。村のあちらこちらから畔の枯草を焼きながら奥へ移動する。最後は全員が顔を揃えたところで、村の一番奥まったところにあるため池の土手の枯草を一斉に焼く。その段取りは昔から少しも変わらない。
「さあ、やるか?」
「ああ」
雄基はライターで青竹のタイマツに火を点けた。灯油が染み込んだ布にゆっくりと炎が生まれた。横を見ると、忠志は枯草に対峙している。手慣れたものだ。勾配のついた畔の下側にタイマツの炎を走らせる。枯草に火が移ると、あとは勝手に火が蛇みたいに下から上に向かって舐め上げてくれる。忠志はもう雄基を振り返らなかった。火を扱うには集中しなければ危険が伴うのだ。長年畔焼きに参加している忠志には、それがくどいほどわかっていた。
雄基も青竹の松明を下に向けた。チャプチャプンと灯油が竹のタンクで踊っている。パーッと雑草に火が移った。大きな炎が舞い上がる。顔が熱い。もう寒さはどこかに姿を隠してしまった。火は風を呼ぶ。起きた風が火を畔の勾配にそって走らせる。
「おう。笠松の息子はんかい?」
声を掛けられてビックリした。振り返ると、見知っている顔があった。同じ隣保に属する男だった。確か川瀬と言ったっけ。
「ミツグさん。今日はええ塩梅や。畔焼き日和やで。よう枯れて乾いとるから、すぐ燃えてまうわ」
「火の勢いだけに用心しとったらええやろ」
親子ほど年の開きがあるのに、忠志はタメ口である。雄基は押し黙ったまま、枯草にタイマツの日を押し付けた。昔から人と話すのは苦手だった。実の親にすら気を許せない話し方になってしまう。他人、それも年長者になると、相手の問い掛けに短い返事を返すか頷くしかできない。町に出て少しは解消できたはずの内向性が、またぶり返したようだ。
次の田圃に移った時、馴れ馴れしく男が寄って来た。メラメラ燃える松明を肩に担いでいる。幼馴染みの田淵だった。と言っても気楽に話せないのは同じである。でも相手は違う。田舎にいると誰でも仲のいい友達に見えるのか、愛想よく話して来る。
「ユウちゃん。少しは慣れたか?」
「ああ」
田淵は一学年下になる。昔子供会で一緒に火の用心の見回りをした仲である。彼も雄基と同じ立場だった。村への出戻り組である。雄基より三年早く帰郷したと聞いている。
「こないして村の行事に参加しとったら、すぐ慣れるよって。みんなも喜んでくれるわ、ユウちゃんの村入りを。心配いらん。経験者やからな、僕は」
田淵はやけにお喋りである。市役所の秘書課にいる影響もあるのだろう。田舎の公務員は得てしてそんなタイプが多い。
「奥さん、こないだスーパーで出会うてな」
「そういや、そないなこと言うてたなあ」
妻が言ったかどうかは覚えていなかった。それでも話題を合わせていれば何事もなく時間は過ぎる。時々雄基は自分の事なかれ主義に呆れる。しかし、それで世渡りをしてきたのだ。
田淵は雄基の傍を離れなかった。無条件に話を聞いて貰えるのが心地よいのだ。もしかしたら田淵も出戻り組の孤独感を払しょくできていないのかも知れない。忠志の姿は消えていた。村の集まりに慣れている兄の行き場所はどこにでもある。心配は無用だ。
ため池の土手を下から見上げた。五メートル近い高さだ。冬を越して広がる枯草はよく燃えそうだ。村の人間が三十人ばかり、ズラーッと並んで待機している。役員の合図で一斉に枯草へ火を放つ予定だ。
「今日はよう燃えそうでんな」
右隣にいた見知らぬ男が言った。無視もできず雄基は笑顔を作って頷いた。
「笠松はんは、今日が初めてやな」
相手は雄基の名前を知っていた。当然と言えば当然な話だった。村は大きくない。誰それの噂話などすぐ村中に広まる。田舎に住みなれた人間に噂話が届かないはずはない。
「ほな用意してください。いっぺんに火を点けますさかい」
役員が土手のてっぺんに仁王立ちして怒鳴った。土手の両端にはやはり役員の若手がジョウロを手に動き回っていた。水を撒いて火が燃え移らないラインを作っているのだ。大規模な畔焼きだと消防車の出動もある。それに比べて雄基の村はやることが小さい。
「それじゃあ、火を点けて下さい」
役員の指示で待機中の人間は青竹を持ち直して火を点けた。黒く焼け焦げたぼろ布の残骸は待ち構えていたように炎を上げた。
「あれ?」
雄基は驚いた。青竹を下に向けると、なんと先っぽに詰められて焦げたボロ布がボロッと抜け落ちたのだ。灯油がこぼれ出る。その量はたいしたものではなかった。ただ、それで竹のタンクは空っぽになった。
(どうしよう?)
雄基は焦ったが、拾った焦げ布を竹の先に詰め直したところで燃料はない。炎が生まれる可能性が皆無なのは、さすがの雄基にも分かる。思わず隣を見た。救いを求める気配に気づいた相手は、形相を崩した。
「そらどないしようもないなあ。みんなに任せて、待っといたらええやんか。別にズルするわけやないし、みんな分かってるで」
「そないさして貰うわ」
答えて雄基は気付いた。いつの間にか地の言葉になっているのを。町に出て以来、使う機会がなく忘れていた故郷の言葉だった。
「待っとり、待っとり。すぐ終わりよるで」
周りの人間たちが口々に雄基へ声を掛けた。見やると、人の好さそうな笑顔が雄基に向けられていた。雄基ははにかんで頷いた。
「それじゃあ、畔焼きを始めます!」
役員の号令で村の連中は竹タイマツの火を枯草に押し付けた。一斉に炎が上がった。メラメラと土手にそって炎が登って行く。ザワザワと風が起こった。風を受けて炎の勢いは増した。白煙も風に流される。風の向きがいきなり変わり村の人間たちを包む。むせる。目に染みる煙。少し混乱してざわついた。また風向きの変化で白煙は上に流れを変えた。
土手の中腹まで激しく炎が舐めた。焼けた後の黒い絨毯が広がる。
雄基は炎が作り出す光景に見惚れた。この地に生まれ育ったのに、初めて見るのだ。先ほどの煙が滲みた目は潤んだままだ。かすみ
もせずしっかりと見える。
「おうい!そっちに水や!」
「任しとけ!」
役員たちはコマネズミのようにジョウロを持って走りまわる。炎越しに見る彼らは何とも頼りなく小さい。しかし、彼らがいま炎を牛耳っているのだ。
雄基の目は池の土手に釘づけだった。何も聞こえない。たった一人の世界で炎が描きだした生の絵を楽しんでいた。
「パチパチパチパチ!」
「パチパチパチパチパチパチ!」
拍手の波は雄基が浸る世界の壁を打ち破った。
「?」
雄基はキョロキョロと見回した。
誰も彼もが顔を輝かせて手を打ち鳴らしている。何かに憑かれたようだ。ひたすら拍手が続く。雄基は周りに倣って手を打ち合わせた。続いて狂ったように拍手した。一大饗宴の終演を惜しんで拍手は続いた。
土手の脇にあるこじんまりとした広場に村の連中は集まった。大きな輪を作って、ど真ん中に青竹のタイマツを山に積んだ。元気者が腰に挟んでいたなたを掴んで、かなり太い竹タイマツを選んで叩き切った。スパッと切れた青竹から残っていた灯油が飛び散る。残った灯油は青竹の山に振りかけた。
役員がマッチを擦った。ぼろ布の残骸を拾って火を移した。燃えだしたぼろ布を、青竹の山に投げた。ぼーっと火の手が上がった。灯油のおかげで火は消えない。燃える竹がぼん!と破裂した。新たな灯油が炎を生む。次々と爆ぜる竹が加わって激しく燃え上がる。火炎瓶に似ている。パチパチと火の粉を舞い散らし燃え続ける。
炎が映えて顔を赤くした男たちはてんでに笑い興じた。下世話な話から高尚な話題まで、キリのない談笑が続く。いつしか雄基も隣り合わせた男と話し出した。この場で孤独を守るのは不可能だった。
「ええー、ええ時間なんで、お開きにしたいと思います!」
役員が大声を上げた。
「今日はみなさんお忙しい所、参加していただいてありがとうございました。滞りなく終わることができたのもみなさんのおかげです。本格的な春を迎える準備を終えて……」
ぞろぞろ帰り道に着く。感じる。大事をなし終えた満足感がみんなを包み込んでいる。
「今日は最高の畔焼き日和やったなあ」
田淵が感極まった顔をして振り返った。
「ほんまにそやったわ。次は油切れせんようにするで。春をちゃんと迎えなあかん」
来年の畔焼き日和に雄基は思いを馳せた。