こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

掌編小説・家(その1)

2014年11月26日 22時01分39秒 | おれ流文芸
 さっきまでガンガンとボードを打ち付けていた大工が、ひょいとやって来て、おもむろに言った。
「これでわしの方、済みましたけ」
「え?」
 思ってもみなかっただっただけに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「左官とタイル屋に出来るだけ早う入るよう言うときますわ」
 大工はそそくさと道具をひとまとめにすると軽トラへ積み込んだ。電動の大きな工具は後日改めて取りに来ると言い残して帰った。
 それを見送った雅之は、フーッとひと息ついて腕時計に目をやった。昼を過ぎてから、まだ二時間も経っていない。
 雅之は雑然となったままの庭先を横切って、玄関の前に立った。真っさらのサッシ戸がはまっている。そのぐるりは剥き出しのモルタル壁のままだけに、やけにサッシ戸が輝いて見えた。
(やっと出来たんか……)
 地鎮祭から、ほぼ二年近くなる。いま思えば気の遠くなるほど長い時間だった。それが終わった。厳密にいえば壁とタイル床の施工が済んではいないのだが、そんなのは些細なことである。雅之にとって大工仕事の終了が総てだった。それだけに、余りにも呆気ない終了宣言が物足りなくもあった。
 しかし、その物足らぬ終了宣言は、雅之の父が念願した新宅の完成を意味していた。
「お前、ここに住む気でおるやろな」
 二年前、雅之の父は、やけに神妙な顔付きで切り出した。もう七十まに手が届くところまで来ているのに、職人の現役を張っている。
「どないや。その覚悟しとるな」
「ああ」
 念押しされなくても、雅之は他に答えようがなかった。町に出ての商売に失敗して、家族四人を伴って、雅之は父の家に居候を決め込んでいる。どうしたって流れに逆らえる立場にはない。
「そうか」
 満足そうに頷いた父は、ボソッと言った。
「お前の家を建てるか」
「え?」
 思いもしないことだっただけに、雅之は唖然と父を眺めた。
 雅之と二人きりの兄弟だった壮之が急逝してからこっち、すっかり張りを失っていた父の表情が前の状態に戻っていた。
「壮之もお前の新宅をえろう気にかけとったでのう。あいつ、何とかしたらなあかんて、口癖のように言うとった。一周忌も済んださかい、いっちょう建てるか」
「無理せんでもええで。俺は元々風来坊やさかい、家なんか無うても構わへんのや」
「阿呆。お前はどないでもええんや。雅樹や雅博のこと考えたらんかい。お前も親父なんやど」
 雅樹は雅之の長男、雅博は次男だった。しかし、長女の由紀の名前が漏れている。家長制度下に生きて来た昔人間の父には、女の孫は計算外になっているのだろう。
「雅樹や雅博のために家を建てたるんや」
 成程。社会に迎合しない風変わりな息子に新宅を持たせる気はさらさらないらしい。可愛い孫、それも男児であらばこそと言うわけか。雅之は思わず苦笑した。
「どんな家がええ?うちと同じ間取りにするかいのう」
 母屋は農家だけに、いま雅之の家族らが居候を決め込んでいる納屋を改造した四間を別にしても十間はある。それも一間一間、かなり大きく取ってある。それと同じでは、雅之の甲斐性から考えると分不相応である。
 町にいた頃は八畳一間と台所、トイレだけのアパートに五人の家族で住んだ。風呂は寒くても暑くても銭湯に通うしかなかった。それでも、狭くても楽しい我が家だった。
「二間もあったら充分や。風呂と台所、トイレさえ付いとったらオンの字やで」
「阿呆」
 またしても阿呆呼ばわりである。
「この村に一生暮らすんやど。隣保の付き合いやなんかでも八畳間二つの客間を用意しとかな、お前らが肩身の狭い思いするど」
 父とは発想の始点が裏表ぐらい違う。雅之は、そう納得せざるを得なかった。
「任せるわ」
 雅之は父の顔から視線を外して言った。
 地鎮祭まで半年近くかかった。予定の土地は農地、それも市街化調整区域にあったから、宅地への変更に手間取った。隣り合わせた農地の持ち主の承諾を得るのも一苦労だった。農業委員会の役員連の現場立ち会いがあったのは、もう初夏だった。
 川沿いにある百坪の土地の六十坪ほどの宅地化が認められた。
                (続く)
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ふるさと回帰

2014年11月26日 00時20分44秒 | おれ流文芸
十三年目のふるさとUターンだった。
 街に出た時は単身。帰郷は家族四人を伴ってである。末っ子はまだ赤ちゃんだった。やっていた商売を見限って帰ってきた。
迎えてくれた懐かしい田舎の自然あふれた風景。そして両親は元より、幼馴染みの友人たち。村の隣近所のみんなも歓迎してくれた。家族は自然にふるさとと同化していった。しかし、当の私はなかなか素直になれぬまま。
「ふるさとは遠きにありて想うもの」というが、やはり田舎は住んでみないと、その魅力は分からない。十三年前に背を向けた、豊かな山並みに囲まれた田舎風景に変化は少しも無かった。街の暮らしに敗れた傷心の身を優しく包み込んでくれるばかりだったのに。
 出戻りの身には、村の付き合いという難問があった。村入りして、ホッとしたのも束の間、村の行事が立て続けに来た。季節ごとにある草刈りや道普請の共同作業。冠婚葬祭は隣保の住人がより集った。秋の村祭りは一家族から最低一人の参加を求められる。社交性の乏しい性格が町に暮らしてさらにひどくなっていた。村特有の付き合い方も、長く離れて記憶も薄れている。やる前から意識は萎縮しきっていた。いつも部外者の気分だった。
「よう帰って来たのう。嬉しいわ」 
 声を掛けてくれたのは、二年学年が下の幼馴染み。顔は見知っていたが、特に話したこともない相手だった。しかし、彼は昔の知己に出会えた感動を隠そうともしなかった。知らず相手のペースに引きずり込まれていた。聞けば、彼も出戻り組の一人だった。私より三年も前に村に戻っていた。
「そら、帰った当初は居場所なかったなあ。そいでも、ふるさとはふるさとなんや。山も田んぼも原っぱも、みんな昔のままやった。俺もこの村で生まれ育ったし、今もこないして生きてる。それでええんやて、言ってくれてる気がした。それからは人を気にせんようになった。そしたらな、いつの間にか、みんなとの距離がのうなってたわ」
 淡々と語る彼の顔は、どこかで見かけたものだった。ぎすぎすしたものはかけらもなく、お人よしで柔和な顔。そうだ。自分の周囲にいる隣人たちの顔だった。
 佳境に入った祭り。神社の境内で布団屋台の練り合わせに、奉納の差し上げ。前と後ろから声がかかる。
「ええか。みんな仲間や。同じ村で育った誇りと馬力を見せたるぞ!」「おう!」
 呼応して叫んだ。屋台を神殿前で差し上げた瞬間。自分の頑なな思い込みが溶けて消え去った。屋台を境内の定位置に据えた瞬間、抱き合って歓呼の声を上げたみんな。子供の頃から村を駆け回った仲間たちの顔が、ようやく私の心に蘇った。ふるさと回帰だった。
 ふるさとは、自然も人情も阿吽の呼吸で迎え入れてくれる。それをやっと悟ったのだ。 
帰郷以来三十年。外に出た息子がもうすぐ帰って来る。彼もふるさとに救われるだろう。
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