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心身ともにゼロからのの出発を誓わなければならない年始めのはずが、昨年起こしてしまった不祥事で高校を中途退学を余儀なくされたりと、絶望のどん底にあった私はまだ立ち直っていなかった。
我が家の年賀の朝に顔を出すのも気が重くて、私は自室でゴロンと寝転がっていた。
「おい、お前の分や」
兄が年賀状をワザワザ部屋へ運んでくれた。
弟の不祥事沙汰で肩身の狭い思いをしただろうに、いつも私を気遣ってくれる優しい一歳違いの兄だった。そんな兄の気遣いにも素直になれなくて、私は寝たふりを決め込んだ。
「ここに置いとくで。腹が減ったら下へおりて来いや。雑煮が炊けてるさかい」
兄の口調は、やはり弟を思ったものだった。
兄が階下におりたのを見計らって、私は勉強机の上に兄が老いてくれた年賀状を手に取った。
僅か五、六枚に過ぎない年賀状なのに、不思議に胸がときめいた。あの不祥事以来、自分の殻に閉じ籠って来た。その孤独感は言葉に言い表せないほどだった。その孤独感を年賀状は癒してくれるようだった。
年賀状は眼鏡屋のものと制服屋のものを除くと、たった四枚しか残らなかった。それもあの兄が弟を思いやって書いてくれたものと、遠い所に引っ越して年賀状だけを出し合う小学校時代の友達と、親戚の甥からのものは、例年通りだった。
友達を作れない内向的な性格の私にとっては、毎正月の定期便ばかりだった。それでも、前年以上の喜びを、礼儀的な年賀状を見ながら感じた。有難くて涙がこぼれそうになった。
最後の一枚に目を移した。荒っぽい筆勢で書かれた年賀状だった。裏返すと差出人は『井上昭夫』とあった。ピンとすぐに思い当たる名前ではなかった。
『謹賀新年 今年は君の再出発の大事な年。頑張れ!でも慌てないでゆっくり行こう』
いったい誰なんだろう?同級生でないことは確かだった。高校の担任の先生でもなく、小学校や中学校の担任の先生でもなかった。
昼前になるとお腹が空いたので階下におりていくと、居間の掘り炬燵で兄がひとり年賀状を見ていた。兄は私の気配に気づいて、こちらに笑顔を向けた。
「年賀状読んだか?井上先生から来てたやないか。オレの受け持ちやった先生や」
「え?井上先生……?あの理科の……」
やっと思い当たった。中学校で理科を教えて貰った先生である。無精ヒゲだらけの顔が、よほど印象が強かったのか、記憶に残っている。兄のクラスを受け持った先生だった。だから顔と名前が即座につながらなかったのも仕方はない。
しかし、さっきはすぐに思い出せなかったほど、私には希薄な存在の先生だった。その先生が、なぜ年賀状を……?
だんだん記憶がよみがえって来た。そうだ、よく怒る怖い先生だったっけ。一度だけ理科の宿題を忘れたことがあった。
「当然のことが出来なんだんやから、しゃあないわな、齋藤。ええか、もう忘れるな」
そういうのと同時に、先生は額をピンと指で弾いた。かなり痛くて涙が出た。みんなの前で恥ずかしくてたまらなかった。以来、宿題は忘れなかった。でも、それ以外、目だない生徒だった私と井上先生との接点は何もなかった。
「井上先生はええ先生なんやど。いっつも口癖みたいに言うとったわ。オレの生徒は、クラスのお前らだけやない。この学校で育ったヤツらみんなや。だから、卒業したもんらがうまいこといっとるか、気になってしょうがあらへんわ。おかげで頭が薄うなってもた。そんな冗談も言うて、よう笑かしてもうたもんや」
兄は懐かしい記憶を辿りながら喋った。
その井上先生がくれた年賀状は本当に嬉しかったくせに、その返事を私は出せなかった。
(所詮、先生にとったら、ボクはくだらんことを仕出かしてしもうた落ちこぼれの生徒で、憐れみを掛けて貰うただけやないか、ふん!)
妙に依怙地な気持ちに捉われてしまったのだ。
ところが翌年も井上先生の年賀状が元旦の朝に届いた。
『謹賀新年 去年は新しい学校にも受かってええ一年になったなあ。今年もその勢いで、もうひと踏ん張りしようで』
先生は私の一年をよく承知している風だった。あの無精ひげの奴凧そっくりの丸顔をはっきりと思い出した。今度は素直に返事を書いた。
『謹賀新年 先生、今年もよろしくお願いします。年賀状有難うございました』
通り一遍のそっけない内容になってしまったが、苦手な毛筆で丁寧に仕上げた。ほかのだれもが見向きもしてくれない落ちこぼれの私を気にかけてくれる、たった一人、井上昭夫先生に感謝の念を正直に籠めた年賀状だった。
井上先生の年賀状は一昨年の暮れに届いた喪中葉書まで二十九年間途切れることなく届いた。いつもひとことが添えられた年賀状は、失敗を繰り返す生き方をしていた不器用な私をしょっちゅう励まし続けてくれた。
『生前のご厚誼有難うございました。』
井上先生の死を知らせる喪中葉書の文面は、むしろ私が先生に述べるべき言葉だった。
先生の教え子の一人は、立派に家庭も仕事も得て、もう何の心配も要りません。ここまでボクを支え続けてくれた先生の年賀状……。
もうその年賀状は二度と届かない。それは私の遅い独り立ちを意味しているのだ。 (1997年記)