茂木誠実はとにかく家でじっとしていない。学校から帰ると、カバンを玄関に放り出して即座に飛び出す。外で遊びまわるのだ。もう肌が日焼けを繰り返して浅黒い。
名は体を表すと言う。誠実の場合は全く逆だ。考えるよりも行動するタイプだった。弟の龍大も名前とはかけ離れている。兄の誠実と対照的に、いつも部屋に閉じ籠って本を読んでいる。荒々しい龍大の名前にそぐわない。
「うちの子ら、静と動っちゅうんかいな。うまい事育ってくれたなあ」
両親はいつも自画自賛する。
「おい、龍大、カブト捕りにいこか?」
誠実はよく弟を誘う。中一と六年生。年子である。しかも性格は対極だ。それでも龍大は兄と一緒ならどこへでも出かけた。
弟が尻にくっつくと、誠実は顔をクシャクシャにして喜ぶ。自分の事はそっちのけで弟を楽しませるためにバタバタと走り回った。
「ほら、この根っこのとこ掘ってみいや。大物がようけおるぞ」
野山を駆け回っている誠実の知識はもう専門家だ。コナラの大木の根元を掘ると、クワガタやカブトムシがいた。
「すげー!やっぱりスゴイわ、兄ちゃんは」
弟の褒め言葉が誠実には一番だ。頭をガリガリ掻きながら「へへへ」と照れ笑いをする。
運動神経はずば抜けている誠実も、勉強は大の苦手。会話も下手だった。本を読まない彼の語彙は、あまりにも少なかった。
ただ龍大は兄の顔色や語調から、兄が言わんとすることは即座に了解した。
考えてみればいい兄弟だ。双方がお互いの不足部分をカバーし合っている。
盆を過ぎると、夏休みも終わりが近い。暑ささえ盆を挟んで微妙に和らぐ。子供らも心理的に背後から急かされた気になる。
「龍大、おるんか?」
障子越しに誠実が声を掛けた。
マーク・トウェインの『トムソーヤの冒険』に龍大は没頭していた。本を読んでいるのを邪魔されたくない。眉根が寄った。それでも兄を無視しない。龍大は本にしおりを挟んだ。
「兄ちゃん、どっか行くんか?」
障子をあけると、顔を綻ばす誠実がいた。
「はよ用意せえや。行くで」「どこへ?」「自転車で遠乗りや。夏休み最後の大冒険や」
誠実は得意げに胸を反らした。
「遠乗り?自転車で?どこまで行くのん?」
龍大は質問を連発した。
「目的なしや。行けるとこまで行くぞ」「暑いのに、しんどいやんか」「何言うとんや。もう夏休み終わりやで。思いくそ楽しむぞ」
目が線になった兄の顔を龍大は好きだ。
まだ朝の七時前である。涼しい中を、二人は出発した。誠実は大人用の自転車に跨る。龍大は補助輪をやっと外した子供用だった。
「おい、ついて来れるか?」
心配そうに振り返る誠実に、龍大は口をキッと結んで見せた。
(心配せえでええわ、兄ちゃん)
負けん気だけは兄に負けない。龍大はペダルを思い切り踏みこんだ。
そういえば、あの時もそうだった。去年、龍大は負けん気を実証した。二倍近い体格の中学生に、悲壮な覚悟で立ち向かった。突き放されながら、何度も何度も武者ぶりついた。
「お前、ちっこいくせに生意気やぞ!」
ガキ大将の猛は虫の居所が悪かったのだろう。いきなり誠実の頭を小突いた。目の前の暴挙に、龍大は逆上したのだ。(俺の兄ちゃんに何すんや!)猛の体に武者ぶりついた。龍大の体はぶるぶると震えている。
「兄ちゃんに何しょんや!アホタレ!」
龍大は必死だった。死にもの狂いで来られると、相手が小さくてもかなり閉口する。
「アホ!離さんかい!」
猛は狼狽えた。それでも力の差は歴然だった。龍大を突き飛ばし、振り回した。
「いやや!いやや!」
龍大は吸い付いて離れぬスッポンだった。
「コラッ!タケっさんに何すんじゃ!」「構わへん。やってもたれ!」
高みの見物だった猛の取り巻き連中が、意外な展開に血相を変えた。龍大の上着を掴んで引き放そうとする。
「痛っ!」
その一人が悲鳴を上げた。誠実が棒切れで相手の尻を思い切り叩いたのだ。誠実の形相はまるで赤鬼だった。凄い剣幕に他の連中もタジタジとなった。
「弟に手ぇー出すな!」
勢いに任せた誠実は猛の背中をどやしつけた。龍大に気を取られていた猛はモロに打撃を受けた。声にならぬ悲鳴を上げた。
連中は転がるように逃げだした。
ガチャガチャと危なかしい音を立てながらも、二人の自転車は快調に走った。普段来る機会のない隣町との境界にあるM台地を縦断する道へ踏み込んだ。
M台地には自衛隊の駐屯地がある。周囲は膨大な開墾地と森だ。大根やスイカの生産地である。広大な景色は二人の心をすっかり解放させた。もう不安はかけらもなかった。
暑さが急に増した。十時を過ぎている。ジリジリと照りつける太陽に汗が所構わず吹き出す。流れ落ちる汗が目に入ると堪らなく痛い。シャツの端でゴシゴシ拭った。それでも、次々と汗は湧き出る。
「キーッ!」
いきなり誠実がブレーキをかけた。思いもしなかっただけに、龍大は慌てた。必死でブレーキに手をやった。あわやぶつかる寸前に子供用自転車は停まった。
「なんで急に停まるんや。危ないやん!」
龍大は口を尖らせた。彼なりの抗議である。
「龍大、ラムネ飲むぞ!」
誠実は額の汗を手で荒っぽく拭うと、左の方を指差した。その先にバラック建ての小さな店がある。かき氷の旗が風に揺れている。それがないとまず店だと気付かない。
店先に自転車を停めた。誠実はポケットから十円玉を出した。
店の中は大きめのテーブルが中央にある。カウンターとおぼしき所に、鋳物の氷かき機が鎮座している。人影はまるでない。
龍大は喉の渇きに襲われて、思わず唾を呑み込んだ。救いを求めて兄を見やった。
「すみません!」
誠実は大声で店の奥に呼び掛けた。
「はいよ」
のんびりした返事だった。のろのろと姿を現わしたのは老婆である。
「ラムネください、一本」「はいよ」
老婆は相変わらずのろのろと冷蔵庫からラムネを取った。ポンとラムネ玉の栓をあけると、プシュッと泡が噴き出す。誠実は慌てて口を瓶の先に運んだ。こぼれる泡を器用に吸い取った。龍大に瓶が渡った。性急に飲む。炭酸が悪さをしてむせた。
「慌てんでええで。ゆっくり飲めや」
誠実は兄らしい鷹揚さを見せた。
「あんたら、このクソ暑い中、どこまで行くんや?汗まみれやないけ」
気のいい老婆だった。
「兄ちゃんと自転車旅行や!」「ほうけほうけ。兄弟か、あんたら。そやけど偉いのう」
老婆に褒められて、龍大は首をすぼめた。
「気ぃ―つけて行きや」
老婆は名頃惜しげだった。もしかしたら今日の客は誠実らだけだったのかも知れない。
二人はガチャガチャとペダルを踏んだ。ぐーんとペダルが軽い。ラムネの効果は流石だ。
勾配がきつい。歩いて自転車を押した。坂道を上りつめると、いきなり広がる広い畑。別世界だった。遠くに地平線を望める開墾地である。枯れかかったツルの絨毯にゴロゴロと転がるスイカ。息を呑む光景が続く。
「M台地のスイカは有名なんやぞ。前は大根ばっかりやったらしいけどな」
誠実は得意げに話した。龍大は「ふんふん」と頷き、兄の偉大さに尊敬の念を募らせる。
「スイカ旨いやろな」「アホ。人のもん黙って食うたら泥棒やぞ」「そんなんアカン」「当たり前や」
二人はケラケラ笑った。
「あっちの畑の端っこまで走ったら、もう帰るぞ」「うん。そしたら競争や。兄ちゃんに負けへん」「よっしゃ、行くぞ。よーいどん!」
誠実の号令で二人はペダルを力いっぱい踏み込んだ。「ガシャガシャン!」異常な音が響いた。龍大の踏み込んだ足に手応えがない。スコーンとペダルが下がった。
「あっ!」
龍大はバランスを崩すと、「ガシャーン!」と横倒しになった。チェーンが外れていた。
誠実は自転車を飛び下りる。激しく倒れるのをよそに、弟に走り寄った。
「自転車動くけ?」「あかん。チェーン外れてるわ。それにペダルがひん曲がってるぞ。道具あらへんし、修理できひんな……!」
誠実はため息をついた。それでも情けなさそうに眉根を寄せる龍大をおもんばかって、ニーッと笑って見せた。しかし、誠実の方が不安に押し潰されそうだった。
「ドッドッドッドッ」とエンジン音がした。三輪のトラックだった。荷台にはスイカが山積みだ。二人に近づくと停まった。
「どないしたんや?お前ら」
怒鳴り声と思えるほど大声だった。日焼けして若いのか年寄りか判別がつかない顔だ。目だけがぎょろぎょろと動いた。
「なんや自転車がどないかなったんやな」
男は運転席から身軽に飛び下りた。
「こないなとこでこないなったらお手上げやわな」
男は饒舌だった。快活に笑い修理を進めた。
「お前らどっから来たんや?」「富田村です」
「へえ、富田け。あっこにわしの友達がおるわ。梶谷言うんや。知っとるか?」「梶谷って三軒あるさかい。それに別の地区にもおってやし……」「そらそうや。知ってるはずないのう。ガハハハハッ!」
男の開けっぴろげな態度は、兄弟の不安を吹き飛ばした。修理を終えた男は、荷台からスイカを取った。ぐいと力を入れるとスイカはバカッと割れた。
「ほれ。喉が渇いたやろ。俺の作ったスイカは旨いぞー!遠慮せんと食え」
日焼けして真っ黒な顔の口元に白い歯が現れた。笑っている。
確かに旨かった。冷えていないのに、こんな旨いスイカは初めてだった。スイカの汁でシャツを赤く染めて、むさぼり食った。
「ええ食いっぷりや。お前ら兄弟け?よう似とる。ええ兄ちゃんやのう、お前」
誠実を褒めた男はタバコをふかしながら、またげらげらと笑った。
通夜の席だった。親戚連中が酒を飲んでげらげらと笑っている。
龍大は祭壇に掲げられた写真に目を移した。笑顔の兄がいる。日焼けして真っ黒になった顔に白い歯が印象的だった。働き者の兄の死。まだ信じられない。仕事で屋根に上り足を滑らせたのだ。炎天下で兄は死んだ。
兄と遊んだ日々、あの夏の大冒険!子供の頃ばかりがさっきから走馬灯のように頭をよぎる。あの時、我を忘れてかぶり付いたスイカの味。あれは、兄が傍にいたから。頼れる兄の存在に安心できたから。最高に旨かったのだ。
また写真を見た。(俺……一人っ子になっちまったで。馬鹿野郎、兄ちゃんの馬鹿野郎!頼りない弟を置き去りにしやがってからに……馬鹿野郎!)
情けない。涙がまた流れる。(見えない、見えないんだ、兄ちゃんの写真が……!クソッ)嗚咽をグッと噛み締めた。
名は体を表すと言う。誠実の場合は全く逆だ。考えるよりも行動するタイプだった。弟の龍大も名前とはかけ離れている。兄の誠実と対照的に、いつも部屋に閉じ籠って本を読んでいる。荒々しい龍大の名前にそぐわない。
「うちの子ら、静と動っちゅうんかいな。うまい事育ってくれたなあ」
両親はいつも自画自賛する。
「おい、龍大、カブト捕りにいこか?」
誠実はよく弟を誘う。中一と六年生。年子である。しかも性格は対極だ。それでも龍大は兄と一緒ならどこへでも出かけた。
弟が尻にくっつくと、誠実は顔をクシャクシャにして喜ぶ。自分の事はそっちのけで弟を楽しませるためにバタバタと走り回った。
「ほら、この根っこのとこ掘ってみいや。大物がようけおるぞ」
野山を駆け回っている誠実の知識はもう専門家だ。コナラの大木の根元を掘ると、クワガタやカブトムシがいた。
「すげー!やっぱりスゴイわ、兄ちゃんは」
弟の褒め言葉が誠実には一番だ。頭をガリガリ掻きながら「へへへ」と照れ笑いをする。
運動神経はずば抜けている誠実も、勉強は大の苦手。会話も下手だった。本を読まない彼の語彙は、あまりにも少なかった。
ただ龍大は兄の顔色や語調から、兄が言わんとすることは即座に了解した。
考えてみればいい兄弟だ。双方がお互いの不足部分をカバーし合っている。
盆を過ぎると、夏休みも終わりが近い。暑ささえ盆を挟んで微妙に和らぐ。子供らも心理的に背後から急かされた気になる。
「龍大、おるんか?」
障子越しに誠実が声を掛けた。
マーク・トウェインの『トムソーヤの冒険』に龍大は没頭していた。本を読んでいるのを邪魔されたくない。眉根が寄った。それでも兄を無視しない。龍大は本にしおりを挟んだ。
「兄ちゃん、どっか行くんか?」
障子をあけると、顔を綻ばす誠実がいた。
「はよ用意せえや。行くで」「どこへ?」「自転車で遠乗りや。夏休み最後の大冒険や」
誠実は得意げに胸を反らした。
「遠乗り?自転車で?どこまで行くのん?」
龍大は質問を連発した。
「目的なしや。行けるとこまで行くぞ」「暑いのに、しんどいやんか」「何言うとんや。もう夏休み終わりやで。思いくそ楽しむぞ」
目が線になった兄の顔を龍大は好きだ。
まだ朝の七時前である。涼しい中を、二人は出発した。誠実は大人用の自転車に跨る。龍大は補助輪をやっと外した子供用だった。
「おい、ついて来れるか?」
心配そうに振り返る誠実に、龍大は口をキッと結んで見せた。
(心配せえでええわ、兄ちゃん)
負けん気だけは兄に負けない。龍大はペダルを思い切り踏みこんだ。
そういえば、あの時もそうだった。去年、龍大は負けん気を実証した。二倍近い体格の中学生に、悲壮な覚悟で立ち向かった。突き放されながら、何度も何度も武者ぶりついた。
「お前、ちっこいくせに生意気やぞ!」
ガキ大将の猛は虫の居所が悪かったのだろう。いきなり誠実の頭を小突いた。目の前の暴挙に、龍大は逆上したのだ。(俺の兄ちゃんに何すんや!)猛の体に武者ぶりついた。龍大の体はぶるぶると震えている。
「兄ちゃんに何しょんや!アホタレ!」
龍大は必死だった。死にもの狂いで来られると、相手が小さくてもかなり閉口する。
「アホ!離さんかい!」
猛は狼狽えた。それでも力の差は歴然だった。龍大を突き飛ばし、振り回した。
「いやや!いやや!」
龍大は吸い付いて離れぬスッポンだった。
「コラッ!タケっさんに何すんじゃ!」「構わへん。やってもたれ!」
高みの見物だった猛の取り巻き連中が、意外な展開に血相を変えた。龍大の上着を掴んで引き放そうとする。
「痛っ!」
その一人が悲鳴を上げた。誠実が棒切れで相手の尻を思い切り叩いたのだ。誠実の形相はまるで赤鬼だった。凄い剣幕に他の連中もタジタジとなった。
「弟に手ぇー出すな!」
勢いに任せた誠実は猛の背中をどやしつけた。龍大に気を取られていた猛はモロに打撃を受けた。声にならぬ悲鳴を上げた。
連中は転がるように逃げだした。
ガチャガチャと危なかしい音を立てながらも、二人の自転車は快調に走った。普段来る機会のない隣町との境界にあるM台地を縦断する道へ踏み込んだ。
M台地には自衛隊の駐屯地がある。周囲は膨大な開墾地と森だ。大根やスイカの生産地である。広大な景色は二人の心をすっかり解放させた。もう不安はかけらもなかった。
暑さが急に増した。十時を過ぎている。ジリジリと照りつける太陽に汗が所構わず吹き出す。流れ落ちる汗が目に入ると堪らなく痛い。シャツの端でゴシゴシ拭った。それでも、次々と汗は湧き出る。
「キーッ!」
いきなり誠実がブレーキをかけた。思いもしなかっただけに、龍大は慌てた。必死でブレーキに手をやった。あわやぶつかる寸前に子供用自転車は停まった。
「なんで急に停まるんや。危ないやん!」
龍大は口を尖らせた。彼なりの抗議である。
「龍大、ラムネ飲むぞ!」
誠実は額の汗を手で荒っぽく拭うと、左の方を指差した。その先にバラック建ての小さな店がある。かき氷の旗が風に揺れている。それがないとまず店だと気付かない。
店先に自転車を停めた。誠実はポケットから十円玉を出した。
店の中は大きめのテーブルが中央にある。カウンターとおぼしき所に、鋳物の氷かき機が鎮座している。人影はまるでない。
龍大は喉の渇きに襲われて、思わず唾を呑み込んだ。救いを求めて兄を見やった。
「すみません!」
誠実は大声で店の奥に呼び掛けた。
「はいよ」
のんびりした返事だった。のろのろと姿を現わしたのは老婆である。
「ラムネください、一本」「はいよ」
老婆は相変わらずのろのろと冷蔵庫からラムネを取った。ポンとラムネ玉の栓をあけると、プシュッと泡が噴き出す。誠実は慌てて口を瓶の先に運んだ。こぼれる泡を器用に吸い取った。龍大に瓶が渡った。性急に飲む。炭酸が悪さをしてむせた。
「慌てんでええで。ゆっくり飲めや」
誠実は兄らしい鷹揚さを見せた。
「あんたら、このクソ暑い中、どこまで行くんや?汗まみれやないけ」
気のいい老婆だった。
「兄ちゃんと自転車旅行や!」「ほうけほうけ。兄弟か、あんたら。そやけど偉いのう」
老婆に褒められて、龍大は首をすぼめた。
「気ぃ―つけて行きや」
老婆は名頃惜しげだった。もしかしたら今日の客は誠実らだけだったのかも知れない。
二人はガチャガチャとペダルを踏んだ。ぐーんとペダルが軽い。ラムネの効果は流石だ。
勾配がきつい。歩いて自転車を押した。坂道を上りつめると、いきなり広がる広い畑。別世界だった。遠くに地平線を望める開墾地である。枯れかかったツルの絨毯にゴロゴロと転がるスイカ。息を呑む光景が続く。
「M台地のスイカは有名なんやぞ。前は大根ばっかりやったらしいけどな」
誠実は得意げに話した。龍大は「ふんふん」と頷き、兄の偉大さに尊敬の念を募らせる。
「スイカ旨いやろな」「アホ。人のもん黙って食うたら泥棒やぞ」「そんなんアカン」「当たり前や」
二人はケラケラ笑った。
「あっちの畑の端っこまで走ったら、もう帰るぞ」「うん。そしたら競争や。兄ちゃんに負けへん」「よっしゃ、行くぞ。よーいどん!」
誠実の号令で二人はペダルを力いっぱい踏み込んだ。「ガシャガシャン!」異常な音が響いた。龍大の踏み込んだ足に手応えがない。スコーンとペダルが下がった。
「あっ!」
龍大はバランスを崩すと、「ガシャーン!」と横倒しになった。チェーンが外れていた。
誠実は自転車を飛び下りる。激しく倒れるのをよそに、弟に走り寄った。
「自転車動くけ?」「あかん。チェーン外れてるわ。それにペダルがひん曲がってるぞ。道具あらへんし、修理できひんな……!」
誠実はため息をついた。それでも情けなさそうに眉根を寄せる龍大をおもんばかって、ニーッと笑って見せた。しかし、誠実の方が不安に押し潰されそうだった。
「ドッドッドッドッ」とエンジン音がした。三輪のトラックだった。荷台にはスイカが山積みだ。二人に近づくと停まった。
「どないしたんや?お前ら」
怒鳴り声と思えるほど大声だった。日焼けして若いのか年寄りか判別がつかない顔だ。目だけがぎょろぎょろと動いた。
「なんや自転車がどないかなったんやな」
男は運転席から身軽に飛び下りた。
「こないなとこでこないなったらお手上げやわな」
男は饒舌だった。快活に笑い修理を進めた。
「お前らどっから来たんや?」「富田村です」
「へえ、富田け。あっこにわしの友達がおるわ。梶谷言うんや。知っとるか?」「梶谷って三軒あるさかい。それに別の地区にもおってやし……」「そらそうや。知ってるはずないのう。ガハハハハッ!」
男の開けっぴろげな態度は、兄弟の不安を吹き飛ばした。修理を終えた男は、荷台からスイカを取った。ぐいと力を入れるとスイカはバカッと割れた。
「ほれ。喉が渇いたやろ。俺の作ったスイカは旨いぞー!遠慮せんと食え」
日焼けして真っ黒な顔の口元に白い歯が現れた。笑っている。
確かに旨かった。冷えていないのに、こんな旨いスイカは初めてだった。スイカの汁でシャツを赤く染めて、むさぼり食った。
「ええ食いっぷりや。お前ら兄弟け?よう似とる。ええ兄ちゃんやのう、お前」
誠実を褒めた男はタバコをふかしながら、またげらげらと笑った。
通夜の席だった。親戚連中が酒を飲んでげらげらと笑っている。
龍大は祭壇に掲げられた写真に目を移した。笑顔の兄がいる。日焼けして真っ黒になった顔に白い歯が印象的だった。働き者の兄の死。まだ信じられない。仕事で屋根に上り足を滑らせたのだ。炎天下で兄は死んだ。
兄と遊んだ日々、あの夏の大冒険!子供の頃ばかりがさっきから走馬灯のように頭をよぎる。あの時、我を忘れてかぶり付いたスイカの味。あれは、兄が傍にいたから。頼れる兄の存在に安心できたから。最高に旨かったのだ。
また写真を見た。(俺……一人っ子になっちまったで。馬鹿野郎、兄ちゃんの馬鹿野郎!頼りない弟を置き去りにしやがってからに……馬鹿野郎!)
情けない。涙がまた流れる。(見えない、見えないんだ、兄ちゃんの写真が……!クソッ)嗚咽をグッと噛み締めた。