「帰って来てまだ慣れてないやろけど、悪いなあ、今年隣保長をやって貰う番なんや」
農会長と連れ立って家を訪れたのは隣保長代表。小中高と同級生だった幼馴染のSだ。
「年齢順や。無理いうけどお願いするわ。具体的な事は他の役員がカバーすっさかい、心配せんとって」
断れない。引き受けるしかなかった。
実は昨年の春に帰郷したUターン組だ。まだ一年ちょっと、隣近所と行き来するが、隣保の住人みんなの顔と名前はまだ一致しない。仕事場が隣町。休日以外は家を留守にする。とても地域の付き合いは無理だ。それでも村に住み始めた以上、引き受けるしかない。
「よう来てくれたな。任期は二年や。分からんことはわしが教えたる。任期の半分務めた経験済みや。つまり先輩や。よろしくな」
役員会で出迎えたSはえらく饒舌だった。幼馴染みと言っても、彼と口を利いた記憶は無い。ただの顔馴染みに過ぎないのだ。
役員会は滞りなく進んだ。最初の新役員挨拶は何とかこなし、借りてきた猫になり、末席で大人しく聞き役に徹した。歓迎の酒席につながったが、やはり談笑に加われないまま。
「ご苦労はん」
帰りかけると、背後から呼びかけたのは、やはりSだった。
「一緒に帰ろうや」「ああ…」
何となく煩わしさが先行する。
「あんたの気持ちよう分かるんや。オレも出戻り組なんやで」
そういえば彼は名古屋の自動車工場で働いていたはず。やはりUターンしたのか?
「三年前に帰って来た。まあ出戻りは辛い。村に残っとるんは、長男か跡継ぎばっかり。話しが合うはずないねん。あんたが帰って来てくれて、ほんまホッとしたんや、仲間が出来たって。これからよろしゅう頼むわな」
「…よろしく」と愛想ない返事をしたが、内心、安堵と喜びを覚えた。同じ境遇の仲間がいたのだ。
翌月、さっそく春の草刈りと道普請だ。隣保長が農会長と共に差配する行事だ。とはいえ何も分からない。まして農家生まれながら末っ子、草刈りや農作業とは縁遠く育った。不安と戸惑いで落ち着かないのは当然である。
「大丈夫!生まれ育ったとこは絶対裏切らんさかい。程らいでいいんや、慣れるまでは」
Sが何を言おうとしたのか。その場では理解できなかった。気分は重くなるばかり。それでも逃げるわけにはいかない。
道普請当日、ジタバタと走り回った。
「おい、隣保長、グズグズすんなよ。ちゃんと差配せえよ。作業手順どないなっとんや?」
苛立った文句が飛んだ。それでも分からないものを知ったかぶりじゃ通用しない。焦りに焦った。
休憩を迎えた。ため息を吐いて畦に座り込む。気力が失せた。もう嫌だ!
「あの山覚えとるか?」
顔を上げると、Sがにこやかに立っていた。
「あっこや。よう遊んだやないか、わしら村の子どもらみんなで。虫捕り楽しかったなあ」
Sが見上げる山。イザナギ山だ。山桜があちこちに咲いている、緑豊かな山。結構高く深い。中腹に古い神社がある。最近有名になった『揺るぎ岩』も。…よく駆け巡った。ガキ大将に率いられてクヌギの木を目指し先を競う。遅れたらカブトムシが獲られてしまう。
「そうや。カブトムシ、ようけおったで」
懐かしい記憶が蘇る。思わず感嘆の言葉。すると、向かい側の男性が、相づちを打った。
「そうや!タケシが名人やったのう」「わしらカナブンしか取れへんかったら、タケシ気前よう呉れよったやんか」「そやそや」
周りのもんが話に加わった。話しがはずみ。方言丸出しの言葉が飛び交う。垣根が取れた。
「ツネヨッサン、姫路で喫茶店やっとったそうやのう。繁盛したんかい?」
いきなり話題がこちらに飛び火。昔と同じ呼び名に顔がほころぶ。思い出した。腕っ節が強かったキヨッさんや。ノリユキもおる。タカオもや。ちゃんと昔の面影を残している。さっきまで見分けられなかったのに、今ははっきりと判別がつく。声も昔と同じだ。
「おーい!隣保長、お前頼んないけど、ちょっと手貸せや」「いま行くさかい待っとれ」「草刈り機の燃料、はよ持って来いや。さぼるで。ええのんか?隣保長!」「さぼったら人夫賃出さへんぞ」雰囲気は一変。和気あいあいで言いたい放題。悪ガキたちの道普請となった。
「生まれ育ったとこは裏切らん!」Sの言わんとしたことが、いま何となく分かる。
豊かな自然に恵まれた山あいの村に生まれ育った仲間たち。村を離れ、遠地の暮らしの中、記憶は曖昧になった。しかし、そんなもん、ちょっとしたきっかけさえあれば、すぐ蘇る。みんな同じふるさとを持つのだから。
農会長と連れ立って家を訪れたのは隣保長代表。小中高と同級生だった幼馴染のSだ。
「年齢順や。無理いうけどお願いするわ。具体的な事は他の役員がカバーすっさかい、心配せんとって」
断れない。引き受けるしかなかった。
実は昨年の春に帰郷したUターン組だ。まだ一年ちょっと、隣近所と行き来するが、隣保の住人みんなの顔と名前はまだ一致しない。仕事場が隣町。休日以外は家を留守にする。とても地域の付き合いは無理だ。それでも村に住み始めた以上、引き受けるしかない。
「よう来てくれたな。任期は二年や。分からんことはわしが教えたる。任期の半分務めた経験済みや。つまり先輩や。よろしくな」
役員会で出迎えたSはえらく饒舌だった。幼馴染みと言っても、彼と口を利いた記憶は無い。ただの顔馴染みに過ぎないのだ。
役員会は滞りなく進んだ。最初の新役員挨拶は何とかこなし、借りてきた猫になり、末席で大人しく聞き役に徹した。歓迎の酒席につながったが、やはり談笑に加われないまま。
「ご苦労はん」
帰りかけると、背後から呼びかけたのは、やはりSだった。
「一緒に帰ろうや」「ああ…」
何となく煩わしさが先行する。
「あんたの気持ちよう分かるんや。オレも出戻り組なんやで」
そういえば彼は名古屋の自動車工場で働いていたはず。やはりUターンしたのか?
「三年前に帰って来た。まあ出戻りは辛い。村に残っとるんは、長男か跡継ぎばっかり。話しが合うはずないねん。あんたが帰って来てくれて、ほんまホッとしたんや、仲間が出来たって。これからよろしゅう頼むわな」
「…よろしく」と愛想ない返事をしたが、内心、安堵と喜びを覚えた。同じ境遇の仲間がいたのだ。
翌月、さっそく春の草刈りと道普請だ。隣保長が農会長と共に差配する行事だ。とはいえ何も分からない。まして農家生まれながら末っ子、草刈りや農作業とは縁遠く育った。不安と戸惑いで落ち着かないのは当然である。
「大丈夫!生まれ育ったとこは絶対裏切らんさかい。程らいでいいんや、慣れるまでは」
Sが何を言おうとしたのか。その場では理解できなかった。気分は重くなるばかり。それでも逃げるわけにはいかない。
道普請当日、ジタバタと走り回った。
「おい、隣保長、グズグズすんなよ。ちゃんと差配せえよ。作業手順どないなっとんや?」
苛立った文句が飛んだ。それでも分からないものを知ったかぶりじゃ通用しない。焦りに焦った。
休憩を迎えた。ため息を吐いて畦に座り込む。気力が失せた。もう嫌だ!
「あの山覚えとるか?」
顔を上げると、Sがにこやかに立っていた。
「あっこや。よう遊んだやないか、わしら村の子どもらみんなで。虫捕り楽しかったなあ」
Sが見上げる山。イザナギ山だ。山桜があちこちに咲いている、緑豊かな山。結構高く深い。中腹に古い神社がある。最近有名になった『揺るぎ岩』も。…よく駆け巡った。ガキ大将に率いられてクヌギの木を目指し先を競う。遅れたらカブトムシが獲られてしまう。
「そうや。カブトムシ、ようけおったで」
懐かしい記憶が蘇る。思わず感嘆の言葉。すると、向かい側の男性が、相づちを打った。
「そうや!タケシが名人やったのう」「わしらカナブンしか取れへんかったら、タケシ気前よう呉れよったやんか」「そやそや」
周りのもんが話に加わった。話しがはずみ。方言丸出しの言葉が飛び交う。垣根が取れた。
「ツネヨッサン、姫路で喫茶店やっとったそうやのう。繁盛したんかい?」
いきなり話題がこちらに飛び火。昔と同じ呼び名に顔がほころぶ。思い出した。腕っ節が強かったキヨッさんや。ノリユキもおる。タカオもや。ちゃんと昔の面影を残している。さっきまで見分けられなかったのに、今ははっきりと判別がつく。声も昔と同じだ。
「おーい!隣保長、お前頼んないけど、ちょっと手貸せや」「いま行くさかい待っとれ」「草刈り機の燃料、はよ持って来いや。さぼるで。ええのんか?隣保長!」「さぼったら人夫賃出さへんぞ」雰囲気は一変。和気あいあいで言いたい放題。悪ガキたちの道普請となった。
「生まれ育ったとこは裏切らん!」Sの言わんとしたことが、いま何となく分かる。
豊かな自然に恵まれた山あいの村に生まれ育った仲間たち。村を離れ、遠地の暮らしの中、記憶は曖昧になった。しかし、そんなもん、ちょっとしたきっかけさえあれば、すぐ蘇る。みんな同じふるさとを持つのだから。