老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

70;夢から覚めたとき あなたは何に変身したいか・・・

2017-05-04 16:08:48 | 読む 聞く 見る
ご訪問いただき、ありがとうございます 

ある朝
夢から目を覚ますと
自分が寝床のなかで
巨大な虫に変身していた
という話は カフカの小説『変身』の書き出しにある
巨大な虫ではなく
鷹のような大きな鳥に変っていて
大空を飛んでみたいと思う

夫朗人が53歳で若年性のアルツハイマー病になった
腕を組んで硬貨を数える姿は子どものようであった
「あなた、どんな病気にかかっても大好きだからね」
と微笑みながら夫を見つめる妻(美砂)
二人は 
勤労感謝の日午後3時に 
銀座和光の時計台の下で二度目の初デートをする
涙なくして読めない22㌻の短編小説「銀のデート」
石田衣良の文庫版小説『再生』(角川文庫552円)に収録されている。
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69;綿毛のたんぽぽ

2017-05-04 08:21:13 | 老いびとの聲
綿毛のたんぽぽ 再登場!

ご訪問いただき、ありがとうございます

春から初夏

幸せの黄色で咲いているたんぽぽは素敵
綿毛になったたんぽぽも魅力的
花や草木は
何処へも行くことができず
根の生えた場所で生息する
綿毛になったたんぽぽは
南風まかせであっても
知らない世界へ飛んでいき
着地した処で 生まれ変わる
人間は自由に見えて
自由ではないのかもしれない

人間 何もかも捨て去り
遠くの世界へ飛んでいき
見知らぬ世界で
静かに 世捨て人となり生きてみたい
それはかなわぬ妄想の世界でしかない
いまいる処で 生き逝く

人間は勝手な生き物で
時には孤独になりたいと望むくせに
いざ独りになると 人恋しくなる
孤独はよいが孤立はよくない

綿毛たんぽぽは
人間と同じ運命であり
自分が何処へ着地するかは
未知の世界

ブログも未知の世界
ブログを媒介とし
様々な見知らぬ人に出会う
綿毛たんぽぽの様である
ブログの画面から
その人のいまを感じる

ブログは
もうひとりの自分との出会いでもある

そんな難しく
ブログを考えずに
風吹くまま自由に楽しく
時を刻むのも
ブログの魅力なのかもしれない

いつもへんなおじさんが呟く
怪しげな字面をお読み頂き 「感謝」致します








コメント (1)
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68;老いに生かされてきた

2017-05-04 04:44:57 | 老いの光影
ご訪問いただき、ありがとうございます 

白髪混じりの60才過ぎの女性が相談に訪れた。
彼女は話す。
「10年間、95才になる義母の面倒を看てきましたが、
疲れ果ててしまい、
いま、病院通いをしているところです。
自分の年齢も60才を越え体力的に限界です。
義母はリウマチを患い、歩くこともままならない。
“ボケ”もではじめ、
夜間大きい声で独りしゃべりをしたり、
おむつを外し布団の上にオシッコをしたりなど、
隣の部屋にいても落ち着いて寝ることができないのです。
年老いた義母にとって“家”が一番いいとわかっていても・・・・、
これ以上女手一つで義母の面倒を看ていくのは困難です。
長い間義母の面倒を看てきて、
いろいろと苦労もありましたが、
“義母に生かされてきた”という思いです。
13年前に主人が亡くなり、
ずっと義母との二人暮らしでした。
血の繋がりがない義母であっても、
義母の存在は一つの心のはりになっていました。

自分の親は、(他人である)長男の嫁に世話になり、
自分は(他人である)夫の親の世話をしている。

自分の疲れがとれたら(老人保健施設から)義母を引き取り、
また面倒を看たいと思いますので、
それまでお願いしたい」、
としみじみ話されました。
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