老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

113;「ありがとう」を伝えたい

2017-05-19 17:56:56 | 老いの光影
私が暮らしている団地の一角

ご訪問いただき、ありがとうございます。

最期 
死に場所は
どこになるのか
その運命がどうなるのか
神のみぞ知る

脳幹梗塞を発症
言葉は聴こえる
でも
話すことができない
もどかしさ
悔しさに
ただ泣き喚くしかない
治療は終えた 
と医師から告げられ
療養型病院転院は間近
療養型病院の次は
何処に往くのだろうか
神のみぞ知る

蛍光管は切れ
点滅し
薄暗い病室に
寂寥の寝台が浮かぶ
最期
あなたの掌を握りしめ
「ありがとう」を伝えたい




112;青い空に浮かぶ白い雲

2017-05-19 13:07:37 | 老いびとの聲
気持ちが曇りのときは
青い空に浮かぶ白い雲
を みると
気持ちが晴れる

ご訪問いただきありがとうございます 

今日は快晴
青い空に浮かぶ白い雲を パチリ
今日は 8人の在宅老人を訪問
朝8時46分スタート

両膝関節痛のため
歩行器を使い
家のなかを移動し」
屋外はちょっと無理な
92歳になるミサエさん
炬燵と大の仲良し
炬燵の子守をしています
昔は土方をし
家族を養ってきたのが自慢

庭には
白とピンクのツツジが咲いていた
軒下から
幸福を運ぶ燕が飛んでいった

111;食べることの意味(6)「食べたくても食べられない」其の壱

2017-05-19 04:48:33 | 老いの光影
ご訪問いただき、ありがとうございます

もっと生きたかった

信濃嘉一郎(85歳)は
港の見える丘 横浜市で
長年自動車部品製造業を営んでいた。
14年前に「前立腺癌であり、余命は後10年である」と医師から宣告された。
療養とミニ農園づくりを兼ね
清流阿武隈川が流れる村に移り住み
その後癌の進行は無く
静かな時が流れていった。
 
余命10年を乗り越え
14年が経過したある日
医師から「癌が脊髄などに骨転移している」と告げられたとき
嘉一郎は「ショック」で茫然としてしまった。

最近、肩や腰の痛みが気にはなっていた。
まだまだやりたいことはあったし
こんなにも死が隣り合わせに忍び込んできているとは
予想もしていなかっただけに
戸惑いと不安がのしかかってきた。

車の運転もできなくなり
外出する機会も失われてきた。
「もう生きることができない」
と思ってしまった彼は
薬を服用したって無駄だし
食べたってしょうがない。

癌が骨転移し
言葉に表現できないほどの痛みが襲い
また身の置き場がないほどからだが怠く(だるく)
「食べたい」、という気持ちさえも起きなかった。

妻は、食べて欲しかった
もっともっと生きていて欲しかった。
こんなにも早く死の宣告がされるとは、
彼女自身も思ってもいなかった。

脊髄に癌が転移した
と医師から告げられたことで
彼は生きることを諦めてしまった。
それだけ見るならば
彼が癌に負けてしまった心の弱さだけが浮き彫りにされてしまう。
が、果たしてそうなのだろうか。
本人に癌告知をすべきだ
という風潮が当たり前になってきている昨今だが
癌告知をすることは「簡単」である。
問題なのは「告知」した後
本人とその家族をどうフォーロしていくのか。