老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

79;心の色鉛筆(3)「憂鬱な一日」

2017-05-07 20:19:22 | 老いびとの聲
ご訪問いただき、ありがとうございます 

晴れた日曜日なのに
家の中で昼下がり3時まで怠惰な生活
仕事のことで
また一つ課題が発生し頭痛の種が増えた
憂鬱な一日となり
今日の心の色鉛筆は 灰色
今夜の夢はせめて明るい色にしたいものだ
おやすみなさい


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78;死後の世界

2017-05-07 16:02:58 | 老いびとの聲
ご訪問いただき、ありがとうございます

私だけの戯言なのか
それとも妄想なのか
時々よりは少ないが
ふと 頭のなかを過る

やはりそれは
私だけが持つ妄想なのか
それは何かと云うと
他者からはみれば
他愛ないことなのかもしれない

それは
人間 眠っているとき
夢を見るときもあれば 見ないときもある
現か夢か判然としないときもあるけれど
心地よい夢は消えて欲しくない


私だけが見るのか
コバルトブルーの海や大河の上を飛ぶ夢を見たときは
気持ちがよい
現実 空を飛べるはずもないのだが
両手を広げ鳥のように羽ばたいている自分がいる
夢だから飛べる
夢を見ているときの自分は
まだ生きている
夢が途切れると目が覚め
現に戻る

人間 眠っているときが 幸せな時間
現の苦悩や不安、葛藤などから解き放され
空白の時間に癒される
このまま眠りから覚めないと
それは死に至るのか
死は永遠の眠りに着く と言われているが
死んだら人間は もう夢を見ることはできないのか

死後も夢を見れるとしたら
背景は何色で 何を見るのであろうか

夢を見ているうちが花なのか
夢を忘れた人間は
死を待つ老いた人なのか
夢を抱いているうちはまだ青春
今夜こそ 空を飛ぶ夢に遭遇したい





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77;老母の介護に疲れた その後2 「死んだように眠っていた」

2017-05-07 05:02:22 | 老いの光影
我が家の一人息子(写真、本文とは関係はありません)
ご訪問いただき、ありがとうございます 

松さん(89歳)は、愛想はなく
他のお客様が「おはようございます」と挨拶をしても
無愛想で「・・・・」のまま
自分から話しかけることようなことはない
見るからに意地悪婆さんの雰囲気
何もしないでいると
「トイレに行きたい」と訴え
椅子から立ち上がろうする
傍に座り手を握ると落ち着く 
寂しがり屋なのか 甘えん坊なのか
昨夜は徘徊で活動していたせいか
手は温かい 眠いのかもしれない
眠いからと言って ここで寝せては
昼夜逆転を 逆転させ 
昼起きて 夜寝る のリズムに戻さねば

桜デイサービスのスタッフは
ボールやゴムバンド、手拭いなどの小道具を使い
手足を動かす運動を1対1で行った
ときには他のお客様にも参加して頂き
輪になり 音楽に合わせ体操を行った

午後は、スタッフと一緒に30分ほど
桜デイサービスの界隈を散歩
昼寝は無し
音程は微妙ではあったけれど
本人はそんなことは気にすることはなく
大きな声で 5曲ほど唄った
このときもただ座って唄うだけでなく
身振り手振りを入れながら唄う

画面の文字や歩くときに
視点が左側ばかり向くことに気がつき
もしかしたら右眼が見えていないのではないか、と疑い
大きな月暦を使って視力検査を行った
左眼を手で押さえたとき 右眼は大きな数字を読むことはできなかった
右眼がみえていない
長女も 気がつかなかった
桜デイサービスの前に利用さていた
村社協デイサービスセンター(定員30名)も
右眼が見えていなかったことは気づいていなかった

今回いっしょに彼女と行動した際に
桜デイサービスセンター長が気づいたのであった
これは大きな発見で
糖尿病による失明なのか 医師による診察が不可欠である

初日のデイサービスは寝ることもなく手足や体を動かした

帰宅し
松さんは夕食を摂り20時30分頃まで起きていたが
その後は朝まで一度も起きることもなく爆睡
翌朝 長女真恵さん(62歳)に電話をかけ様子を伺う
「死んだように眠っていた」

2日目 3日目も翌朝電話すると
真恵さんから同じ言葉が返ってきた
「死んだように眠っていた。おかげ様で私も夜眠れるようになった
「本当に感謝しています。安心して仕事に行けます」

まだ気は抜けないが
昼夜逆転は消失した
トイレ行きたいコールはかなり減ってきた
黙って座っているとトイレのことが気になる
体を動かしている間は トイレのことを忘れる
頻回にトイレに行ったとき オシッコは出てもチョロチョロ
1時間に1回となると それなりにオシッコが出ると 本人も満足する

手足や体を動かさず 椅子に座った状態でも
「トイレに行きたい」という言葉が頻回に出ないようしていきたい
まだ始まったばかりである

夜間徘徊 トイレコール頻回 は消失しつつあるが
次に解決しなければならない課題がある
これも松さんの生活習慣となっているだけに
厄介なことである

そのことは 次回書いていきたい





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