老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

109;寝たきり十年

2017-05-18 16:24:33 | 老いの光影
ご訪問いただき、ありがとうございます 

脳梗塞で右手右足が
全く動かなくなり寝たきり十年
陽が射さない北向きの部屋
小さな特殊寝台から
薄暗く染みついた天井を見つめるだけ
訪れる人もなく話すこともない
言葉も忘れると
自分の声さえも聴こえなくなる

長すぎた老い

自分の感情を捨て去ることで・・・
それ以上のことを欲することもなく
小さな特殊寝台にじっと生きている
自分が寝たきりになったとき
特殊寝台の空間だけで
生き耐えることができるだろうか

寝たきり十年の老人の家に
送迎車が玄関前に到着した
車窓から十年ぶりに那須連山を見た

人間が話す言葉が聴こえてきた
桜デイサービスセンターの湯に浸かり
消しゴムの如く垢が落ちた分だけ
心が軽くなった

※「特殊寝台」とは、介護ベッドのこと   
コメント (1)
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108;感無量の泪(なみだ)

2017-05-18 01:08:10 | 老いの光影
白河達磨
ご訪問いただき、ありがとうございます 


私は、平成2〇年1△月5日に86歳の誕生日を迎えました。
私を含め
病を抱えた老人にとって
年齢(誕生日)をもう一つ重ねていくことは容易ではありません。

幼子(おさなご)なら1日1日と成長していき
我が子の誕生日を迎える両親にとっても
この子の未来が楽しみです。

それに比して
私のように体が不自由になり
他者の手を借りていかなければならない老人にとっては
今年の誕生を迎えることができたとしても
来年の誕生日を迎えることができるとは限りません。

それだけに86歳の誕生日に
こうしてデイサービスの仲間やスタッフから
心のこもった誕生祝いをもって頂いたこと
「本当に嬉しく、感無量です」。
私の目尻から一筋の泪がこぼれ落ちました。

日一日と足が動かなくなり
立つこともままならず
寝返りすることさらも容易ではなくなった自分
何もしないで椅子に座っていると
眠りの境地に誘われ死んだように眠ってしまいます。

そんなとき孫娘と同い年の明子さんから
コーヒーの豆挽きをお願いされました。
豆挽きをしていると
コーヒー豆の匂いと豆挽き音で
眠気が覚めてきたのです。
コーヒーミルが動かないように
明子さんは押さえていますが
上手く回すことができません。
つい彼女に「しっかり押さえなきゃだめ」
と注文をしてしまいました。
「こんな老いぼれになってもまだ働かせるのか」
と言いながらも豆挽きを楽しみました。

その後
私は手作りの誕生ケーキと
一緒に挽いたコーヒーを頂きました。
忘れられない味となりました。
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