老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

153;柏の葉が咲いている?

2017-05-30 17:18:25 | 春夏秋冬


平成29年4月24日撮影したときは、
まだ柏の木の葉は、枯葉であった(下の画像)
いまは青葉の葉っぱでいっぱい 
葉が咲いているような感じ(上の画像)
                 
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152;洋式便器で手洗い

2017-05-30 15:13:54 | 老いの光影
左側に少し見える石段
何でもない僅かな段差のところ
躓き転んだ拙者

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在宅での話
島藤千代子さん(91歳)は
一緒に住んでいる息子の名前を
忘れてしまうことがある
夏でも炬燵を入れてしまうほど

食後
自宅の洋式便器を
洗面所と勘違いし
洋式便器の水で
手を洗い 
口をゆすいでいた

記憶のピースを
いくつも失ってしまった彼女

それでもデイサービスにくると
スタッフと一緒ならば
衣類たたみ
食器拭き
は できる


151;現実の介護保険サービスの実態 或る一人暮らしの爺さんから考える

2017-05-30 12:33:51 | 老いの光影
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83歳の独り暮らしをされている角山三郎さん
今年 トイレに行こうとし自宅で転倒し 
左大腿骨転子部骨折で入院
手術施行 左足にボルトが入った
右手で杖を使うも 
体重を右手にかけふらつきながらも歩行はできるが
転倒の心配はつきない
左手で物を持ちながらの歩行は難しい

要介護認定の区分変更を申請したが
第1次判定結果は 要介護2(区分変更申請前は要介護1)
第2次の審査会があり、その審査会で介護認定が決まる
*だいたいは第1次判定結果で決まる。
審査会で要介護3になることを期待するが、厳しいかな
本当は要介護3でないと
彼の生活を支える介護サービスを組むことはできないが
どうにか歩けることもあり 
要介護2のコンピューター判定になる
要介護認定調査では、
5m以上歩けると「歩行ができる」とされる
しかし 実際に三郎さんのように室内で5m歩けても
調理台に立つことも配膳下膳もできない
歩く、または立つことができるというのは
人間ただ歩いたり、立ったりしているのではなく
目的があり、その目的を達成するために行動(歩く、立つ)をする
三郎さんの場合は、その目的の行為ができない

三郎さんの要介護2(暫定)のケアプランは
朝 生活援助60分  (食事作りなど)週6回
夕 生活援助45分未満(食事作りなど)週6回
通院等乗降介助(いわゆる介護タクシー)週3回
*人工透析をしているため 歩行介助が必要となり利用
要介護1のときは、病院で送迎をしてくれていた(無料)が
歩行介助となると利用できなくなった
デイサービス 週1回(入浴目的)
*自宅の浴槽は深く利用できない
福祉用具貸与(介護用ベッド、洋式便器手すり)

以上のサービスで要介護2の限度額範囲内ギリギリ
三郎さんの介護保険の負担割合は自己負担1割なので
限度額をめい一杯使うと、19,616円になる
介護保険サービスは国民年金額では厳しいものがある

三郎さんの場合には、できるものなら入浴を週2回したいのだが、
限度額オーバーとなるため難しいのです

三郎さんは頑固で
転倒し骨折しても「まだ自分でできる」と
思っている(できると思いたいのかもしれない)
素直に他者の支援を受けることが我慢ならない
申しわけない、という気持ちもあるのだが・・・
また転倒しないか と内心は不安で一杯


150;胡瓜が・・・・・

2017-05-30 08:04:08 | 春夏秋冬
牛糞を撒いたのがいけなかったのか
胡瓜の葉は、萎び土に臥せてしまった

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胡瓜6本とメロンも死滅
ゴーヤーも危うい

今度の日曜に萎れた野菜苗を弔い
植え替えをしなければ

話は180度変わるが
右手首(手首の関節)を痛めると
指の操作や手の返しができなくなり
何かと不自由
手首に限らず
何でもそれぞれに役割があり
それぞれの役割によって
助け合い、補うことで
一つのことができるものなのですね
人間社会においても同じ

149;夢知らせ(3)

2017-05-30 01:52:27 | 老いの光影
思いがけない処に咲いた朝顔? 昼顔?

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夢知らせ

いねさんは、急いで帰りの支度をする。
帰り際、彼女は職員に挨拶に来た。
「お父ちゃんは南方まで戦争に行って、苦労したんだ。
陸軍中尉までになったが、復員してきたときには
半分アル中気味だった。
頑固な人じゃった。
長年、連れ添った仲。
顔を見てきたら、
また施設のお世話になるのでよろしくお願いします」
と、柩に眠る亡き夫に会いに出かけた。

できるものなら最期は夫に会わせてやりたかった、
誰しもがそう思う。
「夢のなかで、ご主人はいねさんのことを気にかけていたんですよ。
御身に気をつけて暮らせよと言いたくて、夢で知らせてくれたのかもしれないですね」
と慰めの言葉をかけるしかできなかった。

いねさんの夫は1年前から認知症の状態がひどくなり、おむつもしていた。
長男はいねさん夫婦の跡を継ぎ、農業をしている。
顔や手に労働の苦労が刻みこまれ、
実際の年齢よりも老けて見える長男。
認知症の父親と
歩くこともままならぬ母親の世話をすることは、
肉体的も精神的にも無理だということで、
老人保健施設入所の切符を手にせざるを得なかったいねさん。
夫婦離れ離れになってから5月。
初めての外泊が、悲しみの外泊になるとは
誰も夢にも思わなかった。

49日も過ぎ、桜の咲くころ、
いねさんは、夫の位牌がある我が家に帰った。