老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

94;手で握った🍙は最高~

2017-05-12 21:54:14 | 老いびとの聲
ご訪問いただき、ありがとうございます 

1年ぶり以上かな
今日は桜デイサービスセンターのお客様(爺さん婆さんたち=人生の達人)と
福島県天栄村 レージナの森へドライブ
福島産のお米を使った🍙🍙🍙3個頂き 大満足
コンビニで購入した🍙ではなく
釜から炊き上げ 人の手で握った🍙を
美味しく頂いた
初夏の風 新緑と沼を背景にして🍙
みんなで食べた🍙は最高
🍙は人の温もりのある手で握ったから
余計に美味しい
今日の心の色鉛筆は「黄色」
幸せな一日でした
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93;私が寝たきりや認知症になったときは・・・・

2017-05-12 14:42:28 | 老いびとの聲
福島県天栄村 レジーナの森 初夏風景

ご訪問いただき、ありがとうございます 

私が
寝たきり、或は認知症になったとき
自宅で妻と暮らし 介護をしてもらいたい
と 思うが
もし私が80歳のときに寝たきりになったら
妻は58歳
私の介護のために
「自由のない」生活にはさせたくないので
介護施設を選ぶが
どのような介護施設にするかは
ベストな施設はないと思うので
ベターな施設を選んでいきたい
でも
老後の介護においても
「金次第」なのか
お金がなければ 
ベターな施設で世話を受けることができるかどうか
それはわからないが・・・
介護施設で
人生の最期を終えるとき
傍らで誰かに手を握ってもらい
あの世に逝きたい


人間生れたときには
傍らに誰かがいた
ならば
死するときも
傍らに誰かに居てもらいたい
誰知れずあの世に逝くのは
寂しい・・・
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92;寝たきりになったとき、誰に介護をしてもらいたい?

2017-05-12 04:41:57 | 老いの光影

ご訪問いただき、ありがとうございます 

いま私は、白河の関を境に、
寝たきりや認知症を抱えながらも
懸命に生き
在宅で過ごされている老人とその介護者の「家」を
毎月一回以上訪れている。
どの老人も「住み慣れた家がいい」
「家(うち)がいちばん」と
目を細めながら話してくれる。

しかし、
なかには介護者自身も高齢の身であり、
腰痛や膝の痛み、高血圧、心疾患などの病を持ちながら介護をされている。
いつまで続くかわからない介護・・・・。

俗な表現になってしまうが
家族にいつも汚れた紙おむつや下着の交換をしてもらう老人たちにとって、
どんな思いを抱き、
日々「家で過ご」されているのか。
いつも気になっている。


床ずれができ、両膝は「く」の字に曲がった85歳の男性老人は
ぽつりと小さな声で呟(つぶや)く
「早くあの世に逝きたい」と。

いつまで続くかわからない介護に、
身も心も擦り減らして、
代わってくれる人もいない老老介護。
伴侶(つれあい)が生きていてくれるだけで、
妻としての努めを果たすことができる。

夫は寝たきりになったとき
妻に介護してもらいたい。
妻は介護したくない、と回答。

妻が寝たきりになったとき
夫には介護してもらわず
介護施設に入り そこでお世話になる。

団塊の世代では
そのような声が聞かれる。
あなたならどうする?


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