桜デイサービスセンターの門扉横に咲いた花
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自分という存在が他に存在するとは思ってはいない。
自分の生命が途絶えたらそれで自分の身体は消滅するのか。
火葬場で亡骸が焼かれても
魂だけが浮遊物の如く存在し得るのか。
「人間死んだら、夜空に輝く星となって現れる」、と
誰かに聞かされたこともあった。
本当に星となって輝くことができれば幸せだ。
仏教の教えによると、輪廻転生という言葉があり、
人が生まれ変わり、死に変わりし続けることの繰り返しを意味する。
自分の前世は何であったかは興味ないが、
来世はどうなるか、大いに気になる。
現世をどう生きたか、その良し悪しの結果で来世の運命が決まるのであろうか。
生きている人間にはわからない。
「人間死んだらお終いだ」と、
葬式のなかで囁かれる言葉だが、
本当にそうなのかもしれない。
眠れる老人の亡骸が棺のなかに納められたときに、
自分の死顔がどんな表情で居るのか、気になってしまう。
他人様に苦しい顔や恨めしそうな顔は見せたくない。
眠るように穏やかな顔で亡くなった、と言われるよう逝きたいものだ。
死んださきはどうなるのか、
死んでみないとわからない。
自分という人間が死んだとき、
自分が現世で見たものや感じたことは消去され、
なにもかも消えてしまうものなのか。
自分の存在が死でもって無(亡)くなれば、
他者の心なかでは時間の経過とともに忘れてゆき、
ふと想い出しときに思い浮ぶ蜉蝣のような存在でしかないのか。
死のさきに在るものは何か