老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

145;那須高原 森のなかを走る

2017-05-28 22:59:43 | 春夏秋冬
ご訪問いただき、ありがとうございます

帰宅してから
午後は気分転換を兼ね
那須塩原にある千本松牧場までドライブ
濃厚なソフトクリームを味わい

近くの道の駅で
雪ん子蕎麦を頂く
雪ん子蕎麦  大根おろし+餅が2枚+ざる蕎麦
美味しかった

妻は朝食べた鯵の小骨が喉に刺さり なかなかとれず困っていた

それが雪ん子蕎麦の餅を食べたら
知らぬ間に小骨がとれ 気分スッキリ
良かったです

帰りは那須高原の森のなかを
軽トラックで 40から60㎞の速度で
駆け抜けた?
鮮やかな緑に心癒されたひと時でした
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144;夢知らせ (1)

2017-05-28 19:49:38 | 老いの光影
今日の朝の空模様
黒い雲の隙間から光が射す

ご訪問いただき、ありがとうございます

夢知らせ 

人間の生命は無限ではなく
有限である。
死はいつか訪れる。

病気や障害を抱えた老人たちは
死や不安を抱え生きている。
老人にとって
厳しい冬の峠をまたひとつ越えていくことは
年齢を重ねるほど容易ではない。

小山内いねさん(89歳)は、
5年前に脳梗塞を患った。
翌年7月に入り
歩くことが困難になり車いすの生活になった。
それでも、車いすからベッドへの乗り移りは何とかできた。

連れ合いの夫は認知症のために紙おむつをしており
長男夫婦の世話を受けていた。
長男夫婦はともに61歳で、農業を行っていた。
農業しながら二人の介護を続けるには
限界の状態にあった。

老いた両親をともに介護施設に入所させたかったが
経済的に大変なことから
いねさんだけを入所(ショート)させることになった。
病状や介護の大変さからいけば
老父 真治さんが入所した方が
長男夫婦にとっては介護の負担が
少しでも軽減されるのだが
そうはいかなかった。
嫁姑の関係がよくないことから
いねさんが老人保健施設に入所となった。

いねさんは、認知症になった夫のことを案じながら
「家(うち)へ帰っても世話になるし、歩けないから
正月は外泊しないでここに置いてもらうべ」と
介護員に話していた。

年末に帰るはずでなかった彼女は
突然家に帰ることになった。

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143;帰 路

2017-05-28 10:32:20 | 春夏秋冬
家路に向かう
東北自動車道下り
妻が運転 助手席は何故かbeagle元気
私は運転席の後ろです

ご訪問いただき、ありがとうございます 


5日間ぶり 
阿武隈川の辺に
帰ってきました
玄関を開ける前に
野菜畑へ直行
なんと
胡瓜6本のうち4本が瀕死状態
原因は牛糞を畑に撒いたことで
塩分が強すぎたためか
脱水症のような感じで
胡瓜は「くたっ~」としていた
牛糞を撒かなければよかった
他者の話を鵜呑みにしないで
自分で調べるなどして確認すればよかった
胡瓜君ごめんなさい

左手は縫った箇所より、
特に第2指のつけ根を押すと痛みを感じる
いくらか腫れている感じ
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142;空気みたいな存在

2017-05-28 03:49:03 | 老いびとの聲
ご訪問頂きありがとうございます

空気は目には見えず
ふわふわとしたイメージから
いてもいなくてもいい存在
結婚生活が長くなればなるほど
そう思ってしまいがちなのだが

そうではなく
この世に空空があることを
意識することなく
当たり前のように空気を吸っている
空気がないと苦しくなる

老夫婦をみていると
空気みたいな存在に映る
新婚のときとは違い
言葉は少なく短くなる
やってもらうことが
当たり前のようになってしまう
「ありがとう」と
感想の気持ちを表すことで
空気みたいな存在になる
あなたがいることで
こうして生きていられる

妻が長い間、老親の介護を終えたとき
夫は「お疲れ様 ありがとう」と
妻に労いと感謝 の言葉をかけることで
妻の苦労や疲労感は癒される

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