三味線弾きの日常。

おもに津軽三味線弾き唄い。
ときどき地歌・上方唄。こっそり義太夫三味線。
三味の音を一人でも多くの人に届けたい。

未来のサムライミュージシャンズ発掘コンテスト 優秀賞受賞!

木ノ下歌舞伎『娘道成寺』。

2019年12月08日 | 鑑賞
道成寺マニアとしては、やはり気になる。笑



というわけで観てきました。

きたまりさんの舞踊、
なんとなく可愛らしいというのが全体として残った印象。
もちろん、エネルギーを内にためこむような静の部分も引き込まれたけれど、
そこからパッと解き放たれて跳躍する場面の印象が強かった。
日本の伝統芸能では、あまり跳躍という動きはない、
なくはないけど、空高くに向かって、ぽーんと軽やかに飛ぶ、というイメージではなくて
飛び上がった後にしっかりと大地を踏みしめる力のほうに比重がある感じ。
だから、その跳躍がとても新鮮に見えたし、
私のイメージする道成寺の中にはなかった感覚だった。

春秋座ホームページに掲載されている
きたまり×中島那奈子の「道成寺」対談がとても面白い。

よく言われていることが、歌舞伎舞踊の『京鹿子娘道成寺』は、歌舞伎の海外公演で見せると観客にウケないということです。その理由は、明確なドラマがある『勧進帳』のような作品と違って、この舞踊は論理的に作られていないからだと言われます。大筋と関係ない、様々な踊りの見せ場が入るから、歌舞伎舞踊を見慣れない観客はそれに納得できず、楽しめないということです。それは、もしかしたら、きたまりさんが言っていることと繋がっているのかもしれない。いわゆる物語ではないところに、踊りの本当の面白さはあるものです。物語の意味に回収されてしまう動き、もしくは、言葉の意味に回収されてしまう振りや演技、だけだと舞踊としての面白さは消えて、演劇として筋を身体の動きで説明するだけになってしまう。

実は、私自身も、道成寺ものの有名作品の中で
『京鹿子娘道成寺』は、あまりぴんとこない。
当然ながら、私は舞踊家ではないので、
道成寺に惹かれるのは絶対的に物語の部分で、
「娘道成寺」は物語の本筋から離れる部分が多くて、
正直、あまり面白いと思ってなかった。
なるほど、こういうふうに観るのか、と納得。

納得はしたけど、
やっぱり観たいのは、物語性のある道成寺だな。。

もうひとつ。きたまりさんの言葉。

日本舞踊を習わない理由に、人に敬意を持ちすぎると怖いなっていうことがあります。作品には敬意をもっているんですよ。「道成寺」という作品であったり、長唄には、非常にいろんな気持ちをもっている。けれども、いま実際生きている人にそういった感情をもつと、人間は情という感情が一番強い、そしていちばん邪魔なものだなという気がするから、そういうものがあると、この振りはこのまま守らなければならないっていう風になっていくのかもしれないな、というね。

これは、ものすごく鋭い指摘だと思う。
ちょっと痛いところを突かれたな、とも思う。
古典はやればやるほど奥深さがわかってしまうから、
”守らなければならない”というよりは、
”これを超えるものは作れない”と思ってしまう。
その罠に落ちつつある。

ものすごく怖い道成寺と
ものすごく美しい道成寺。
動と静の道成寺を描いてみたい。


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►演奏予定
 12月14日(土) はじめての義太夫ワークショップ@一心寺南会所
 12月15日(日) Penguin's Live@西宮LiveSpot Penguin
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