楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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アルバム 1ー思わぬ結婚式の写真

2003年11月10日 11時03分00秒 | つれづれなるままに考えること
(結婚式の写真)

先日、長年貯め込んで、
未整理のままの写真を整理しようと思い、
古いアルバムをひっくり返した。

自分の子供の頃の写真、
学生時代の写真、
就職してからの写真、
結婚間際の写真、
結婚式の写真。

その後は、子供中心に遊びに行った写真で、
我が子の幼稚園時代、小、中、高、大学校時代、
結婚前と結婚式の写真。

よく見れば、「自分の」が「我が子の」に変わっているだけである。
そして今は、孫に変わりつつあり、
人の流れは何も変わっていないことに気がつく。

一際目立つのが結婚式の写真である。
どうしてこんなに沢山の、
何組もの写真があるのだろう。

まず自分のもの、
それから兄弟の結婚式の写真。
次がそれぞれの兄弟の子供たちの結婚式の写真。
従兄弟たちの結婚式の写真。
仲人をした人たちの写真。
新郎側の主賓になった結婚式の写真...などなど、
何枚の写真があることか。

しかも装丁が確りしている。
写真も美しく撮ってある。
写真館の名前入りや結婚式場の名前入りがある。

その中でボクが仲人をし、
ボクが結婚式の費用を出した夫妻の写真があった。
これには、結婚式場の名も、
写真館の名も入っていない。
ボクが撮った写真だからだ。

この夫婦は、実は時の総理に、
公務員の友人が就職を頼まれ、
その就職を私自身が世話をしたO君(としておこう)夫妻である。

O君の父親は、一部上場企業の社長を経験したことがあり、
大学が時の総理の出身校と同じと言うことから、
何かのきっかけで息子が今年就職の時期に来ている話を
総理の前でしたことが、
回り回って私のところへ
世話をしてほしいと話が来たのであるが、
本人は若さと自分の力量を信じて、
そういう親の七光りが大嫌いな青年だということが、
初対面ですぐわかった。
それをボクが理解したことがきっかけで、
明るくて聡明なO君は、
私が勤務する会社に就職することになった。

親の七光りが嫌いで、独立の気風を持った青年O君は、
ボクとはかかわりを持たない部署に配置されたが、
なかなか優秀だと言う噂を聞いていた。
当時、優秀な社員(各職場から推薦で)十数名と月一回、
社長が昼食を共にする昼食会があった。
O君は、しばしばこの昼食会に
出席する栄誉にありついていると聞いていた。
それほど優秀であったらしい。

数年たって、ある時ひょっこりO君が
ボクの職場に訪ねてきた。
仕事で出かけていたが、
ボクの勤務先に近いので寄ったとのことであった。
なかなか精悍で明るく
生き生きした表情で挨拶をして入ってきた。
たまたま昼時でもあったので、
一緒に食事をすることにした。

その時、そろそろ年頃でもあり、
「結婚はまだか?」と聞いたところ、
「お付き合いしている女性がいる」という。
「それでは一度連れておいで。一緒にお昼でも食べよう!」
と別れた。

しばらく忘れていたが、ある日O君が、
女性と一緒にボクの職場にやってきた。
お昼前である。
約束どおり、一緒に食事をし、
近況など聞きながら、
その女性とも他愛ない世間話などしながら、
食事を終わった。

するとO君が
「どうでしょうか?」と小声でいう。
「なにが?」といったら。
「この間話した(結婚相手に)です」と小声で聞く。
「いいんじゃないの」と返事をした。
すこしハンサムなO君には、
とても似つかわしくなく、
どんなに欲目に見ても、
お世辞にも美人といえない女性ではあるが、
話をしていたら、
とても素直で気立ての良い女性であったからだ。
O君は満足して帰った。

その後気にも留めなかったが、
O君の結婚話は、
O君の親が許さぬといっているらしいということが解った。
O君は困り抜いていたが、決意は変わらず、
結婚を強行すると言う。

親が反対だから結婚式も披露宴もしないで、
籍だけ入れて結婚しますとO君から言ってきた。
そこで、ボクも乗りかかった船で、
近くの神社に行って、結婚式だけ神前で挙げて貰うようお願いした。
家内に仲人をするから出席してくれと依頼したが、
親が反対するのに私は嫌だと言って承知してくれない。

やむを得ず、夫婦と仲人のボク一人、
都合三人の神前結婚式を挙げた。
カメラを持って行き、
二人の杯をかわす様子など写真に収めて、
費用はボクがお祝い代わりに出してあげた。

O君は、その後、親とは絶縁状態になったと聞いたが、
二人は力を合わせ、
安アパートで貧しいながらも幸せそうな新婚生活を営んでいた。
やがて子供をもうけ、
子供が二歳くらいになった頃、
O君の父親が亡くなり、
その頃から母親とも仲直りしたようだ。
結婚は、親が反対しても当事者同士さえ良ければ、
親が結婚するわけではないので、
反対する意味がない。
父親から私は散々嫌味を言われたが、
結婚式を挙げてやったときは、
O君を我が子のように思っていたのだから、
なにを言われても聞く耳を持たなかった。

その後、ボクは定年退職をして、
音沙汰を聞かないが、
毎年来る年賀状では、
子供を二人儲け、
幸せな生活を楽しんでいるようである。

きっと、O君の子供が結婚する頃になって、
自分の若かったときのことを思い起こすに違いないだろうと、
色あせた写真をアルバムに納めた。


コメント
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