楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

アルバム 5

2003年11月16日 19時39分00秒 | つれづれなるままに考えること
(15歳その春:ボクの場合)

古いアルバムを整理していると、いろいろなことを思い出す。
6歳で亡くなった弟を思い出した。
弟は、小学校1年生になる寸前の3月、あっという間に亡くなった。
神のご意志とはいえ、余りにも儚(はかな)い命であった。

お釈迦様も、人の命については、「吐く息と吸う息の間にも落とす」と説いておられる。

自分より年齢の若い人が死ぬということほど悲しいことはない。

この時、ボクの中から全ての悲しみを吐き出してしまったに違いない。以来、どんな死に直面しても、悲しいと言う文字が出てくることはなく、平然としていられる。

ボクの15歳のときの出来事。

つまり思春期-声変わりが始まり、ひげが伸び始め、体は大人に成ろうとしているのに、頭の中はまだ子供―そんな年齢のときの出来事。

生きるということは、どういう事ですか?
死ぬと言うことはどういうことですか?
人間とはなんですか?


三月にやっと中学を卒業できる運びになったが、卒業する直前に学校から母が呼び出されていた。
「息子さんは、成績が非常に悪いので、このままでは高等学校を卒業するのは難しいかもしれません。よほど勉強すれば別ですが...」

そう担任の先生に母が言われてきた。ボクより下の成績の二人は、落第で中学に残留することになったという。中高一貫教育の私立の学校である。
つまり、高校へ進学した中ではボクはビリということだ。

この問題が弟の死と重なり合った。

(ボクは生きていても何の価値もないのか?)
頭の中は子供。その子供が考えることである。

(この世に生きていても何の価値もないのだから、死んでしまえ!)そんな短絡的な考えしか頭に思い浮かばない。

それが15歳の男の子。

生きるということは、どういう事ですか?
死ぬと言うことはどういうことですか?
人間とはなんですか?

疑問が続く。父が使う和剃刀を腕首に当て、引けば死ねると思いながら考えている。春の宵闇の中で。

ボクが死んだらどうなるのだろう!
弟が死んであんなに悲しんでいる母がもっと悲しむに違いない。
そんなことをして、良いのだろうか?

そうだ、死んだつもりで弟と二人分を生きて、母の悲しみを取り除いてあげよう。まずそれが、今自分に与えられた「やらなければならぬことだ」と思って、腕首からカミソリを放した。 
それから、止めどなく流れていた涙をぬぐった。こんなに涙を流したことは今まで無かった。のちに、読んだ心理学書によって、「涙を流すことは、次のステップへ移行するきっかけを作る」と知った。以来 どんな場合でも、悲しい時うれしい時、感激した時、時を選ばず、涙は流れるに任せて流すことにしている。

二人分を生きるとはどうすればよいだろう?
ボクが今なさねばならぬことは、何だろう?
ボクが出来ることは、学生だから勉強しかないのか?

その日から、二人分の勉強が始まった。
小学校を卒業する少し前、終戦でろくに勉強できていなかったボク達に、遅まきながら分数を教えていた担任の白髪まじりの先生が、
「二分の一+三分の一はいくつ?」と質問して、誰かが元気良く、「五分のニです」と答えた。先生が
「正しいと思う人?」と問いかけて、生徒のほとんど全員が、
「ハーイ」と答えたのを見て、
「この子達は大きくなってどんな子になるのだろう」とつぶやき、はらはらと涙をこぼされたのを見たボクは、その先生をいまだに忘れることが出来ない。

そんな基本しかないボクに、中学の授業が解るはずも無く、中学で始まったばかりの英語だけは、何とかついていくことが出来た。
中学では、サッカークラブに所属して授業が終わった後、暗くなるまでサッカーの練習をしていた。
そんな学校生活であったから、二人分の勉強は大変であった。

高校の一年生になる前の春休み。二人分の勉強に取り掛かった。

まず、中学一年生のときからの教科書を三年分、英、数、国、社会、理科とその全部を理解できるまで読むことを始めた。

一日に理解する範囲を決めて各科目を、毎日一章ごと理解するよう進めるを決めた。

いったん決めたら決意は固い。死と交換に始めたことである。理解できなければ、何度も何度も繰り返し教科書を読んだ。ほとんど毎日、午前三時ごろが就寝時間となった。時には夜がしらじら明けることもあった。朝は六時起床、7時には家を出て、8時過ぎに学校に着く。そんな生活が続いた。

一学期が始まり相変わらずサッカークラブを続け、暗くなるまで練習して、家に帰って二人ぶんの勉強を続けた。長い夏休みの初めには、中学校の復習は終わり、高等学校の勉強に入った。一年を一ヶ月で消化していくのであるから、夏休み中に高1の教科書は全て読破し、二学期が始まると、独習して理解できなかった部分について、先生の説明を聞くにとどまった。

そして記憶とは、興味を持って理解することにあり、ということが分かった。理解さえすれば全て頭の中に記憶される。中間試験、期末試験などに、前日一夜漬けで暗記するなどということは、無くなった。また、テストがあるから改めて勉強するということも無くなった。友人が一所懸命暗記している様子が、可笑しくてしようが無かった。理解すれば、一度読んだだけで、全て記憶に留まったからである。
そのテストの時期は、クラブ活動も無く、やることがないから、よく映画など見て遊んだのを、友人に羨ましがられた記憶がある。

二学期の中間試験が終わって、数学の教師に、職員室に来るよう言われた。訪ねると、ボクの数学のテスト結果を持ち出して、
「カンニングしたのでは無いか?」と問いただされた。
テスト結果が、普段からトップの成績のO君と、同じ得点であったからだ。この時ほど悔しかったことはないが、何しろ中学はやっと卒業できたボクのことだから、止むを得ない。そこでボクは

「他の科目の成績も見てください。それから判断してください」

そう言って抵抗するのが精一杯であった。世間では、日ごろの行いがどう影響するか、その時よく分かった。
結果は、その他の科目の成績もトップクラスであったので、事なきを得た。この二学期よりボク成績は、学年でベスト5を下ったことはなかった。授業はとっくに一年生分を独学で終わったボクは、各科目毎の上級の参考書を手に入れ、読破していった。興味を持つとは、恐ろしい。上級の参考書も何の苦もなく記憶の中に入っていく。

高校二年になって、クラス分けが成績順にABCクラスになった。
ビリのクラスから一挙に一番よいクラスに変わったのに同僚が驚いたのは言うまでもない。また、この時期から、三年生までを含め、実力テストが行われたが、600人中25番で、二年生の中では2~3人の名が、校内の掲示板に発表された。上位30番までの名前が掲示され、実力も全校に知られることになった。

一方で、この時期に疑問に思ったことに、答を出したいと思った。

まず、人間とはなんだろう?
「人間とは、智恵と意志、感情を持った動物である」を知った。
感情で涙を流し、腹を立て、笑い、好き嫌いができる。
動物という部分で本能が動き、その本能を智恵と意志が制御する。

人間そのものが解れば、あらゆる疑問は解決したようなものである。

以後、私の人生は「自分が今 真にやらなければならないことを、一所懸命やる」ことを命がけで貫くことにして、現在に至っている。
どんなことでもやるときは、自分ではこれ以上やることは出来ないほど努力するので、振り返って後悔するということはなかった。

しかし、生まれつきの才能というのはあるようで、どんなに努力しても、学年で一番にはなれなかった。
そして、一所懸命やりさえすれば、どんなことでも人並みのことは出来る自信がついた。これが一番の収穫だと思っている。

そして、今のボクがいる。





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