沙羅双樹
平家物語の冒頭に述べられている
「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす.」の沙羅双樹とは、
どんな花を咲かせるどんな木なのか長い間
疑問に思っていました。
ある時たしか北陸へ旅した時、仏殿へ上がる階段の下に、
「沙羅双樹」の看板を付けた木がありました。
これが沙羅双樹かと思い、その時はそのまま何も考えずに終わってしまいました.
また、別の機会に「鎌倉に咲く四季の花」と言う本に写真入で「沙羅双樹」に出会った。
その説明文によれば
「椿によく似た白い花をつけるが開いたと思うと、
すぐ花がそのままポロリと落ちてしまい木の周りの地面は白い花が雪が積もったように白くなる」
とあった.
最近になって、散歩の道すがら立ち寄るお寺の本堂の脇に、
白い花を沢山つけた木があって、木の周りは落ちた花で白くなっている.
これがひょっとして沙羅双樹かと、
図書館で図鑑を見た.別途沙羅双樹を辞書で調べてみると
「釈迦が涅槃に入った時臥所の四方に在ったとされる」とある。
だから沙羅双樹は寺院の本堂脇にあるのかと合点が行った。
沙羅双樹の木そのものが解った所で散歩道など、
注意していると結構あちらこちらに木を見かける。
説明にあるように白い花は美しく咲き誇ったかと思うとそのまま地面に落ちてしまう。
実に早く落ちてしまう.
そして「咲き誇った昨日の栄華はいずこ」とばかり、
地面にその名残を落としていく.
まさに「盛者必衰の理」を表現している.
別名は「夏椿」50年も前に読んだ「平家物語」を、
今になってやっとその冒頭部分を理解しているとは、
自らの問題意識の足りなさを痛感するばかりか、
そもそも全文は何を述べていたか、すっかり忘れている.
花が咲き散っていくのは(盛者必衰の理)、
人の一生にもたとえられます。
人は生まれると同時に死に向かって歩き始めます.
これは誰もが知っている事実です。
余りにも当たり前なことなので殆どの人が忘れて生活をします。
齢を経ると ある時 忽然と思い出します.
それではもう遅いのです。
「人は生まれると同時に死に向かって歩き始めます」
この事実を何時も意識して、生活してこそ、本当の生きる道があるのではないでしょうか?
明日は生きていないかもしれません。
だから身の回りは何時でも、身支度が終わっていなくてはなりません。
だから毎日を精一杯生きなければなりません。「
精一杯」=「このまま死んでも良いくらい」です。
そうすれば、後悔することなく、よい一生を送れるでしょう!
沙羅双樹の花がこんなことを物語っていると思われます。
皆さん!
皆さんはどう思いますか?!
平家物語の冒頭に述べられている
「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす.」の沙羅双樹とは、
どんな花を咲かせるどんな木なのか長い間
疑問に思っていました。
ある時たしか北陸へ旅した時、仏殿へ上がる階段の下に、
「沙羅双樹」の看板を付けた木がありました。
これが沙羅双樹かと思い、その時はそのまま何も考えずに終わってしまいました.
また、別の機会に「鎌倉に咲く四季の花」と言う本に写真入で「沙羅双樹」に出会った。
その説明文によれば
「椿によく似た白い花をつけるが開いたと思うと、
すぐ花がそのままポロリと落ちてしまい木の周りの地面は白い花が雪が積もったように白くなる」
とあった.
最近になって、散歩の道すがら立ち寄るお寺の本堂の脇に、
白い花を沢山つけた木があって、木の周りは落ちた花で白くなっている.
これがひょっとして沙羅双樹かと、
図書館で図鑑を見た.別途沙羅双樹を辞書で調べてみると
「釈迦が涅槃に入った時臥所の四方に在ったとされる」とある。
だから沙羅双樹は寺院の本堂脇にあるのかと合点が行った。
沙羅双樹の木そのものが解った所で散歩道など、
注意していると結構あちらこちらに木を見かける。
説明にあるように白い花は美しく咲き誇ったかと思うとそのまま地面に落ちてしまう。
実に早く落ちてしまう.
そして「咲き誇った昨日の栄華はいずこ」とばかり、
地面にその名残を落としていく.
まさに「盛者必衰の理」を表現している.
別名は「夏椿」50年も前に読んだ「平家物語」を、
今になってやっとその冒頭部分を理解しているとは、
自らの問題意識の足りなさを痛感するばかりか、
そもそも全文は何を述べていたか、すっかり忘れている.
花が咲き散っていくのは(盛者必衰の理)、
人の一生にもたとえられます。
人は生まれると同時に死に向かって歩き始めます.
これは誰もが知っている事実です。
余りにも当たり前なことなので殆どの人が忘れて生活をします。
齢を経ると ある時 忽然と思い出します.
それではもう遅いのです。
「人は生まれると同時に死に向かって歩き始めます」
この事実を何時も意識して、生活してこそ、本当の生きる道があるのではないでしょうか?
明日は生きていないかもしれません。
だから身の回りは何時でも、身支度が終わっていなくてはなりません。
だから毎日を精一杯生きなければなりません。「
精一杯」=「このまま死んでも良いくらい」です。
そうすれば、後悔することなく、よい一生を送れるでしょう!
沙羅双樹の花がこんなことを物語っていると思われます。
皆さん!
皆さんはどう思いますか?!