(雀宮宿の仮本陣家 修復中の表門)

雀宮宿について、
(雀宮は宇都宮市の入り口に当たる町で最初は横田村でしたが、
土地が高地であったことから台横田村とも言い、
のちに雀宮神社の名を取って雀宮村となった。
雀宮宿は、元和年間(1615~424)に日光街道が開かれたとき、
新しく作られた宿場だと言われている。
慶安元年(1648)には、本陣と脇本陣あ各一軒、
旅籠が38軒ありました。
本陣職を務めていた小倉家は、もともと宇都宮氏の家臣として、
2万石を領していたと言われる旧家で
慶長2年(1597)宇都宮市が没落してからは同地に土着し、
代々なぬしをつとめと言います)(資料より)
陸上自衛隊 宇都宮駐屯地入り口を過ぎて、
約2km先左手に「雀宮本陣跡」があるが、
注意しないと見落としてしまいそうである。
(雀宮本陣跡の碑)

(雀宮本陣跡の碑のある場所)

その先に(雀宮駅前)の信号があり、右折するとJR雀宮駅。
交差点手前右手には仮本陣の戸谷家があり、
その門構えと黒い板塀が往時を彷彿とさせる面影が残っていたそうですが、
ボクが通った時は修復中でした。
(雀宮駅前の信号)

(修復中の仮本陣家の表門)

(修復中の裏門?)

(修復中の高札?)

(修復中のお稲荷さん?)

(雀宮駅)の信号を越えてすぐ右手に雀宮神社がある。
(雀宮神社の鳥居)

(神社社殿)

(何が書いてあるか読めない神社の扁額)

雀宮神社伝説によると、
(宿場の名となった雀宮神社ですが、
その由来には多くの伝説が残っている。
社伝では長徳元年(995)、
陸奥守に任ぜられた藤原実方が赴任途中、
ここで休息し陸奥に向かいました。
妻の綾女も、その実方を慕いますが、
この地に来たところで病死してしまいます。
その遺言で、綾女が持っていた宝珠を埋め、
産土神として祀ったのが神社の始まりです。
その後実方も赴任地の陸奥で非業の死(*)を遂げます。
その霊魂が雀となりこの地に飛来したので、
綾女と実方の2人を合祀し雀宮神社と称したと言う。)(資料による)
(*)実方の非業の死については下記をクリックして参照してください。
「道祖神社と籐の中将 実方(さねかた)の塚(芭蕉の道を歩く 46)」
雀宮神社を後にして、約2.5kmほどは、見るべきものは何も無くて、
ただただ、国道4号線をひたすら歩く。
この辺りから宇都宮宿に入って行く。

雀宮宿について、
(雀宮は宇都宮市の入り口に当たる町で最初は横田村でしたが、
土地が高地であったことから台横田村とも言い、
のちに雀宮神社の名を取って雀宮村となった。
雀宮宿は、元和年間(1615~424)に日光街道が開かれたとき、
新しく作られた宿場だと言われている。
慶安元年(1648)には、本陣と脇本陣あ各一軒、
旅籠が38軒ありました。
本陣職を務めていた小倉家は、もともと宇都宮氏の家臣として、
2万石を領していたと言われる旧家で
慶長2年(1597)宇都宮市が没落してからは同地に土着し、
代々なぬしをつとめと言います)(資料より)
陸上自衛隊 宇都宮駐屯地入り口を過ぎて、
約2km先左手に「雀宮本陣跡」があるが、
注意しないと見落としてしまいそうである。
(雀宮本陣跡の碑)

(雀宮本陣跡の碑のある場所)

その先に(雀宮駅前)の信号があり、右折するとJR雀宮駅。
交差点手前右手には仮本陣の戸谷家があり、
その門構えと黒い板塀が往時を彷彿とさせる面影が残っていたそうですが、
ボクが通った時は修復中でした。
(雀宮駅前の信号)

(修復中の仮本陣家の表門)

(修復中の裏門?)

(修復中の高札?)

(修復中のお稲荷さん?)

(雀宮駅)の信号を越えてすぐ右手に雀宮神社がある。
(雀宮神社の鳥居)

(神社社殿)

(何が書いてあるか読めない神社の扁額)

雀宮神社伝説によると、
(宿場の名となった雀宮神社ですが、
その由来には多くの伝説が残っている。
社伝では長徳元年(995)、
陸奥守に任ぜられた藤原実方が赴任途中、
ここで休息し陸奥に向かいました。
妻の綾女も、その実方を慕いますが、
この地に来たところで病死してしまいます。
その遺言で、綾女が持っていた宝珠を埋め、
産土神として祀ったのが神社の始まりです。
その後実方も赴任地の陸奥で非業の死(*)を遂げます。
その霊魂が雀となりこの地に飛来したので、
綾女と実方の2人を合祀し雀宮神社と称したと言う。)(資料による)
(*)実方の非業の死については下記をクリックして参照してください。
「道祖神社と籐の中将 実方(さねかた)の塚(芭蕉の道を歩く 46)」
雀宮神社を後にして、約2.5kmほどは、見るべきものは何も無くて、
ただただ、国道4号線をひたすら歩く。
この辺りから宇都宮宿に入って行く。