「とでんで」と言う小冊子が、
都営地下鉄の駅前に置いてあったので、
もらって電車の中で読み、思い立って記事の沿って歩きました。
東京に残っている唯一の都電荒川線は、
都電三ノ輪駅(荒川区)から、北区の王子駅前、
豊島区雑司ヶ谷の鬼子母神前駅、学習院下駅を抜けて、
早稲田駅(新宿区)までを走る路面電車。
(路面電車)

先ずは表題の「お岩さん」。
四谷怪談で有名な「お岩さん」です。
「お岩さん」を見に行く訳ではなく、
「お岩さん」が眠るお墓を見に行くのです。
豊島区にある、都電「新庚申塚駅」で降ります。
目の前に広い通りの国道17号線(通称中山道)があり、
線路と線路に並行する道路と交差しています。
その交差している道路の東側が「お岩さん通り」になっています。
(お岩さん通り)

その「お岩さん通り」を線路に沿って東へ進みます。
駅から数えて二本目の路地を左へ、電車の踏切を渡ると、
お岩さんが眠るお墓がある「妙行寺」の門前に出ます。
(豊島区西巣鴨4-8-28・開門時間8:00~17:00)
門前の石柱には、「お岩さんのお寺 長徳山妙行寺」
とあるからすぐ解る。
(長徳山妙行寺門膳の石柱)

(奥に見える本堂)

門の中に入ると、まず右手に、魚がし供養塔、
その先に浄行様、そしてうなぎ供養塔、
それから納骨堂、突き当り正面に本堂がある。
(魚がし供養塔)

魚がしで犠牲になった生類の供養塔です。
(浄行様)

浄行様は手水場で清潔な仏水で悪い所を洗えば、
その箇所が良くなると言われます。
(うなぎ供養塔)

うなぎ供養塔は都内 全うなぎ商の菩提心により建てられた供養塔です。
(納骨堂)

これは説明が要らないでしょう。お遺骨をお預かりするところです。
突き当りに本堂ですが、その手前右手に立正大師 高祖三蓮大聖人の像がある。
(本堂と高祖の像)

(本堂の扁額)

長徳山妙行寺は法華宗陣門流の寺院で、
1624年(寛永元年)四谷鮫河橋南町にあったが、
1909年(明治42年)現在地の西巣鴨に移ってきた。
本尊は大曼荼羅と言う。
本堂をのぞいたがよく解らないので写真をご覧あれ。
(本堂内にはご本尊大曼荼羅は見えない)

(webから拝借した曼荼羅)

諸仏が並んでいる。
本尊の隣には、お岩さんを祀ってあった。
(本堂内左のお岩尊齢霊のある祭壇)
さて、肝心のお岩さんのお墓であるが、
本堂左手にある墓地への通路を見ると、
(お岩様左へ)の案内が書いた石柱が建っている。
矢印に沿って進むと、鳥居があって説明板がある。
(お岩さん左の案内石)

(鳥居と案内看板)

(説明板)

この説明板によると、まず最初に忠臣蔵の中心人物、
浅野内匠守の奥方のお墓が先に有って、
その前を通って右に回ると、
一番奥にお岩さんのお墓はあるようだ。
(浅野家のお墓)

忠臣蔵の面々のお墓は泉岳寺にある筈なのに、
奥方だけはここにあるとは大発見である。
南部坂雪の別れで、大石蔵之助が主君のかたき討ちの報告に、
雪の中を奥方を訪ねて来たのに、
奥方の屋敷内にいる、吉良方の間者に気付いて、
「仇討ちなんて、滅相も無い、致しません」と答えた。
有名なエピソードを思い出す。
(こんなエピソードも、浪曲師か講談師の創作らしいが)
奥方の墓には法名として、
「妙法 瑶泉院殿良螢正澄大姉淑霊」とあった。
(浅野家の墓2、左が奥方のお墓)

(「妙法 瑶泉院殿良螢正澄大姉淑霊」と読める)

右へぐるりと回ると、お岩さんの嫁ぎ先田宮家の墓が手前にあって、
一番奥の一段高い所にお岩さんのお墓がある。
(田宮家の墓)

(田宮家の墓2、一番奥の高い所がお岩さんのお墓)

(お岩さんお墓)

あまり長々といるとお岩さんに取りつかれてしまいそうなので、
早々に退散した。
都営地下鉄の駅前に置いてあったので、
もらって電車の中で読み、思い立って記事の沿って歩きました。
東京に残っている唯一の都電荒川線は、
都電三ノ輪駅(荒川区)から、北区の王子駅前、
豊島区雑司ヶ谷の鬼子母神前駅、学習院下駅を抜けて、
早稲田駅(新宿区)までを走る路面電車。
(路面電車)

先ずは表題の「お岩さん」。
四谷怪談で有名な「お岩さん」です。
「お岩さん」を見に行く訳ではなく、
「お岩さん」が眠るお墓を見に行くのです。
豊島区にある、都電「新庚申塚駅」で降ります。
目の前に広い通りの国道17号線(通称中山道)があり、
線路と線路に並行する道路と交差しています。
その交差している道路の東側が「お岩さん通り」になっています。
(お岩さん通り)

その「お岩さん通り」を線路に沿って東へ進みます。
駅から数えて二本目の路地を左へ、電車の踏切を渡ると、
お岩さんが眠るお墓がある「妙行寺」の門前に出ます。
(豊島区西巣鴨4-8-28・開門時間8:00~17:00)
門前の石柱には、「お岩さんのお寺 長徳山妙行寺」
とあるからすぐ解る。
(長徳山妙行寺門膳の石柱)

(奥に見える本堂)

門の中に入ると、まず右手に、魚がし供養塔、
その先に浄行様、そしてうなぎ供養塔、
それから納骨堂、突き当り正面に本堂がある。
(魚がし供養塔)

魚がしで犠牲になった生類の供養塔です。
(浄行様)

浄行様は手水場で清潔な仏水で悪い所を洗えば、
その箇所が良くなると言われます。
(うなぎ供養塔)

うなぎ供養塔は都内 全うなぎ商の菩提心により建てられた供養塔です。
(納骨堂)

これは説明が要らないでしょう。お遺骨をお預かりするところです。
突き当りに本堂ですが、その手前右手に立正大師 高祖三蓮大聖人の像がある。
(本堂と高祖の像)

(本堂の扁額)

長徳山妙行寺は法華宗陣門流の寺院で、
1624年(寛永元年)四谷鮫河橋南町にあったが、
1909年(明治42年)現在地の西巣鴨に移ってきた。
本尊は大曼荼羅と言う。
本堂をのぞいたがよく解らないので写真をご覧あれ。
(本堂内にはご本尊大曼荼羅は見えない)

(webから拝借した曼荼羅)

諸仏が並んでいる。
本尊の隣には、お岩さんを祀ってあった。

さて、肝心のお岩さんのお墓であるが、
本堂左手にある墓地への通路を見ると、
(お岩様左へ)の案内が書いた石柱が建っている。
矢印に沿って進むと、鳥居があって説明板がある。
(お岩さん左の案内石)

(鳥居と案内看板)

(説明板)

この説明板によると、まず最初に忠臣蔵の中心人物、
浅野内匠守の奥方のお墓が先に有って、
その前を通って右に回ると、
一番奥にお岩さんのお墓はあるようだ。
(浅野家のお墓)

忠臣蔵の面々のお墓は泉岳寺にある筈なのに、
奥方だけはここにあるとは大発見である。
南部坂雪の別れで、大石蔵之助が主君のかたき討ちの報告に、
雪の中を奥方を訪ねて来たのに、
奥方の屋敷内にいる、吉良方の間者に気付いて、
「仇討ちなんて、滅相も無い、致しません」と答えた。
有名なエピソードを思い出す。
(こんなエピソードも、浪曲師か講談師の創作らしいが)
奥方の墓には法名として、
「妙法 瑶泉院殿良螢正澄大姉淑霊」とあった。
(浅野家の墓2、左が奥方のお墓)

(「妙法 瑶泉院殿良螢正澄大姉淑霊」と読める)

右へぐるりと回ると、お岩さんの嫁ぎ先田宮家の墓が手前にあって、
一番奥の一段高い所にお岩さんのお墓がある。
(田宮家の墓)

(田宮家の墓2、一番奥の高い所がお岩さんのお墓)

(お岩さんお墓)

あまり長々といるとお岩さんに取りつかれてしまいそうなので、
早々に退散した。