(道路わきのコスモスがきれい)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/32/796d745e2a4f5939a6871d336941627f.jpg)
雀宮神社を過ぎて、およそ2.5kmまでお知らせするようなものは何もない、
道路わきのコスモスがきれいであった。
関東バスのバス停(寿鶴薬師堂)がある。
見回しても薬師堂らしき建物は見当たらない。
道路反体側の宇都宮方面行のバス停が見え、
その隣に大きな板の看板らしきものにローマ字で、
(SUZUYAKUSIDOU)と書かれているのが目に付いた。
近づくと道路より奥まった所に薬師堂はあった。
(寿鶴薬師堂のバス停)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/e2/ce1272ad21c13f25ae83fc1ebfed0e57.jpg)
(SUZUYAKUSIDOUの文字と薬師堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/59/14dbe82e0f93916c29eb190f07a8721a.jpg)
どんな病いに霊験新たかなのかも説明板もなく解らない。
その先右手に菅原神社がある。
これは説明するまでもなく、手習いの神様、学問の神様である。
そして有名なのは、
・東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ
の歌であろう。
また、
(菅原道真は貞観9年~十二年(867~870)に、
下野国(栃木県)の国司権少将(裁判官)務めていたこともあった。(栃木県)
(菅原神社鳥居)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/40/9416772b9dc0a96372225cec19b8ce9b.jpg)
(菅原神社石柱)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/78/e13ce1f43ccc7c9ca6bad6b63badc9b6.jpg)
(菅原神社社殿)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/2f/47b84330a09577d414a9a9a9498c5257.jpg)
菅原神社から約2kmに(江曽島の一里塚)があったとされるが。
今は跡形もなく、ただ地名に「一里」の信号が残っている程度で、
隣を走るJR宇都宮線と国道4号線が最接近する場所でもある。
(「一里」の信号)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/33/982f59ba8faf0eb3047d6a3f1a13071d.jpg)
ここから1km先の(西原)の信号で、国道4号線は右へと分かれて行き、
旧日光街道は直進する。
その先の(不動前)の信号では直進しないで、旧日光街道は左方へ折れて行く。
その不動前の信号の横断歩道を渡り切った所に不動堂がある。
(国道4号線と別れる)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/5f/e5401e97a37a9f065568c91a642e22fa.jpg)
(国道4号線と分かれる「西原の信号」)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/f5/6a375fd318eba76941b852461e6e1dca.jpg)
(「不動前」信号)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/aa/b0d31ad225f89b580e150c133bced5cf.jpg)
(「不動前」信号歩道正面の不動堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/72/d7f61aeaf58da6f4d7f44934291ce852.jpg)
この不動堂には、高さ50cmの不動明王が収められて、
この付近の地名の由来となった、と言う。
不動堂の横に宇都宮市の説明案内板が建っている。
(安置された不動明王)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/ee/a7961c0f583ba1f8a05628978be1ab5f.jpg)
(宇都宮市の案内説明板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/77/4d373bf2383024031e2a6c5439d3101a.jpg)
この不動堂の前を左へ進む。
ここで余計なことを考えていると、つい直進してしまう。
ボクは間違って直進してしまったが、
決して直進してはならない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/32/796d745e2a4f5939a6871d336941627f.jpg)
雀宮神社を過ぎて、およそ2.5kmまでお知らせするようなものは何もない、
道路わきのコスモスがきれいであった。
関東バスのバス停(寿鶴薬師堂)がある。
見回しても薬師堂らしき建物は見当たらない。
道路反体側の宇都宮方面行のバス停が見え、
その隣に大きな板の看板らしきものにローマ字で、
(SUZUYAKUSIDOU)と書かれているのが目に付いた。
近づくと道路より奥まった所に薬師堂はあった。
(寿鶴薬師堂のバス停)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/e2/ce1272ad21c13f25ae83fc1ebfed0e57.jpg)
(SUZUYAKUSIDOUの文字と薬師堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/59/14dbe82e0f93916c29eb190f07a8721a.jpg)
どんな病いに霊験新たかなのかも説明板もなく解らない。
その先右手に菅原神社がある。
これは説明するまでもなく、手習いの神様、学問の神様である。
そして有名なのは、
・東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ
の歌であろう。
また、
(菅原道真は貞観9年~十二年(867~870)に、
下野国(栃木県)の国司権少将(裁判官)務めていたこともあった。(栃木県)
(菅原神社鳥居)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/40/9416772b9dc0a96372225cec19b8ce9b.jpg)
(菅原神社石柱)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/78/e13ce1f43ccc7c9ca6bad6b63badc9b6.jpg)
(菅原神社社殿)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/2f/47b84330a09577d414a9a9a9498c5257.jpg)
菅原神社から約2kmに(江曽島の一里塚)があったとされるが。
今は跡形もなく、ただ地名に「一里」の信号が残っている程度で、
隣を走るJR宇都宮線と国道4号線が最接近する場所でもある。
(「一里」の信号)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/33/982f59ba8faf0eb3047d6a3f1a13071d.jpg)
ここから1km先の(西原)の信号で、国道4号線は右へと分かれて行き、
旧日光街道は直進する。
その先の(不動前)の信号では直進しないで、旧日光街道は左方へ折れて行く。
その不動前の信号の横断歩道を渡り切った所に不動堂がある。
(国道4号線と別れる)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/5f/e5401e97a37a9f065568c91a642e22fa.jpg)
(国道4号線と分かれる「西原の信号」)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/f5/6a375fd318eba76941b852461e6e1dca.jpg)
(「不動前」信号)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/aa/b0d31ad225f89b580e150c133bced5cf.jpg)
(「不動前」信号歩道正面の不動堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/72/d7f61aeaf58da6f4d7f44934291ce852.jpg)
この不動堂には、高さ50cmの不動明王が収められて、
この付近の地名の由来となった、と言う。
不動堂の横に宇都宮市の説明案内板が建っている。
(安置された不動明王)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/ee/a7961c0f583ba1f8a05628978be1ab5f.jpg)
(宇都宮市の案内説明板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/77/4d373bf2383024031e2a6c5439d3101a.jpg)
この不動堂の前を左へ進む。
ここで余計なことを考えていると、つい直進してしまう。
ボクは間違って直進してしまったが、
決して直進してはならない。