(道路わきのコスモスがきれい)

雀宮神社を過ぎて、およそ2.5kmまでお知らせするようなものは何もない、
道路わきのコスモスがきれいであった。
関東バスのバス停(寿鶴薬師堂)がある。
見回しても薬師堂らしき建物は見当たらない。
道路反体側の宇都宮方面行のバス停が見え、
その隣に大きな板の看板らしきものにローマ字で、
(SUZUYAKUSIDOU)と書かれているのが目に付いた。
近づくと道路より奥まった所に薬師堂はあった。
(寿鶴薬師堂のバス停)

(SUZUYAKUSIDOUの文字と薬師堂)

どんな病いに霊験新たかなのかも説明板もなく解らない。
その先右手に菅原神社がある。
これは説明するまでもなく、手習いの神様、学問の神様である。
そして有名なのは、
・東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ
の歌であろう。
また、
(菅原道真は貞観9年~十二年(867~870)に、
下野国(栃木県)の国司権少将(裁判官)務めていたこともあった。(栃木県)
(菅原神社鳥居)

(菅原神社石柱)

(菅原神社社殿)

菅原神社から約2kmに(江曽島の一里塚)があったとされるが。
今は跡形もなく、ただ地名に「一里」の信号が残っている程度で、
隣を走るJR宇都宮線と国道4号線が最接近する場所でもある。
(「一里」の信号)

ここから1km先の(西原)の信号で、国道4号線は右へと分かれて行き、
旧日光街道は直進する。
その先の(不動前)の信号では直進しないで、旧日光街道は左方へ折れて行く。
その不動前の信号の横断歩道を渡り切った所に不動堂がある。
(国道4号線と別れる)

(国道4号線と分かれる「西原の信号」)

(「不動前」信号)

(「不動前」信号歩道正面の不動堂)

この不動堂には、高さ50cmの不動明王が収められて、
この付近の地名の由来となった、と言う。
不動堂の横に宇都宮市の説明案内板が建っている。
(安置された不動明王)

(宇都宮市の案内説明板)

この不動堂の前を左へ進む。
ここで余計なことを考えていると、つい直進してしまう。
ボクは間違って直進してしまったが、
決して直進してはならない。

雀宮神社を過ぎて、およそ2.5kmまでお知らせするようなものは何もない、
道路わきのコスモスがきれいであった。
関東バスのバス停(寿鶴薬師堂)がある。
見回しても薬師堂らしき建物は見当たらない。
道路反体側の宇都宮方面行のバス停が見え、
その隣に大きな板の看板らしきものにローマ字で、
(SUZUYAKUSIDOU)と書かれているのが目に付いた。
近づくと道路より奥まった所に薬師堂はあった。
(寿鶴薬師堂のバス停)

(SUZUYAKUSIDOUの文字と薬師堂)

どんな病いに霊験新たかなのかも説明板もなく解らない。
その先右手に菅原神社がある。
これは説明するまでもなく、手習いの神様、学問の神様である。
そして有名なのは、
・東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ
の歌であろう。
また、
(菅原道真は貞観9年~十二年(867~870)に、
下野国(栃木県)の国司権少将(裁判官)務めていたこともあった。(栃木県)
(菅原神社鳥居)

(菅原神社石柱)

(菅原神社社殿)

菅原神社から約2kmに(江曽島の一里塚)があったとされるが。
今は跡形もなく、ただ地名に「一里」の信号が残っている程度で、
隣を走るJR宇都宮線と国道4号線が最接近する場所でもある。
(「一里」の信号)

ここから1km先の(西原)の信号で、国道4号線は右へと分かれて行き、
旧日光街道は直進する。
その先の(不動前)の信号では直進しないで、旧日光街道は左方へ折れて行く。
その不動前の信号の横断歩道を渡り切った所に不動堂がある。
(国道4号線と別れる)

(国道4号線と分かれる「西原の信号」)

(「不動前」信号)

(「不動前」信号歩道正面の不動堂)

この不動堂には、高さ50cmの不動明王が収められて、
この付近の地名の由来となった、と言う。
不動堂の横に宇都宮市の説明案内板が建っている。
(安置された不動明王)

(宇都宮市の案内説明板)

この不動堂の前を左へ進む。
ここで余計なことを考えていると、つい直進してしまう。
ボクは間違って直進してしまったが、
決して直進してはならない。