今週の初めは、昭和22年になった。
生活のすべてが、生き残るためであった。
それが日本の置かれた状態だった。
つまり食べ物を必死で探し求めていた。
主食はサツマイモ、コメは高価な買い物であった。
ドラマのような肺結核で
亡くなる若者がボクの身近にもいた。
ボクはこの時小6であった。
校庭を耕して、サツマイモ作りに励んだ時代が、
少し遠のいていく時だ。
そんな中、勉強はほとんどしていない。
算数の分数は現在では小3で覚えるが、
ボクは小6のS23年3月に学んだ。
それも来週には卒業式が控えている。
先生が、
「½ +⅓ = 答えは?」と
黒板に書いて質問する。
ボクたち6年生 殆どが手を挙げて、
「ハイ! ⅖ です。」
「正しいと思う人」と先生。
生徒のほとんどが手を挙げる。
「違う答えの人?」
二~三人の人が手を挙げる。
一人の生徒が答える。
「ハイ! 6分の5です」
先生、
「正しいと思う人?」
2~3人が手を挙げた。
教壇の上で先生は黙り込み、
メガネの内でポロリと涙を落として、
呟いた。
(大きくなったら、この子達はどうなるのだろう・・・)
ボクは背が低かったので、
最前列の席でこれを見て、
感動した。
こんな生徒思いの先生になろう!!
そう決意した。
しかし大学で教職課程を選択したが、
必修科目の哲学がペケで、
先生になる夢を諦めた。
ペケを付けたドイツ人教授が正しいのか、
生徒のボクの考えが正しいのか、
確かめる人生の始まりでした。
そして世界を旅して、日本をくまなく旅して、
人生いかにあるべきかを確かめ、
最後に、
このブログ
「楽しんでこそ人生!」
があります。